理学療法50年――新たなる可能性への挑戦(内山靖)
インタビュー
2015.05.11
【interview】
理学療法50年
新たなる可能性への挑戦
内山 靖氏(名古屋大学大学院医学系研究科理学療法学講座教授)に聞く
1966年に日本で最初の理学療法士が誕生してから今年で50年目の節目を迎える。50回を数える理学療法士国家試験の合格者数は累計12万人を突破。超高齢社会によるリハビリテーションの需要増加に伴い,今や理学療法士は社会に欠かせない存在となっている。医療に対するニーズは多様化し,医学界がエビデンスに基づく医療を推進する中,理学療法においても「指針」作りが進められている。
本紙では,2015年6月に開催される第50回日本理学療法学術大会の大会長,そして新刊『今日の理学療法指針』(医学書院)の総編集を務め,将来の日本の理学療法像を描き,発信し続ける内山靖氏に,これまでの自身の理学療法士としての歩みと,今後めざす理学療法の展望について聞いた。
――日本に理学療法士が誕生してから半世紀,内山先生は,理学療法士になられて30年の月日が経ちます。振り返っていかがですか。
内山 卒業した1985年当時,理学療法士が世に出て20年近く経っていましたが,社会では理学療法という言葉はおろか,リハビリテーションすらもまだ十分には浸透していませんでした。
ですから,私は今まで,臨床,教育研究や日本理学療法士協会(以下,協会)の活動において,理学療法の中核を固有の学問として形成すること,人々の健康と幸福に資する等身大の理学療法を啓発すること,こうした一貫した思いを原動力に取り組んできました。
――学生時代はどのような分野に関心がありましたか。
内山 生理学と運動学,それに臨床神経学です。学校が国立療養所の附属ということもあり,筋ジストロフィー,脊髄小脳変性症などの神経筋疾患や脊髄損傷を有する方々と,日頃から接する機会が多かったからです。生理学の西原真杉先生,運動学の永田晟先生,神経学の村上慶郎先生(当時副学院長)には,在学中のみならず卒業後も指導を仰ぎ,大変お世話になりました。また,そのころ伊藤正男先生の論文から小脳の機能や病態に関心を持ち,運動失調の障害特性や体幹機能の研究を行うきっかけになりました。
解剖学実習では,あるとき,先生が一つの骨を持ち,「これは何」と聞かれました。「○○です」と即答すると無反応。別の呼称で「△△です」と答えると,無言のまま一瞬ニコッとして立ち去られました。その後,予想(期待)通り,通りすがりに同じ骨を「これは何」と聞かれ,「□□です」に対し,「う~ん」と言われたので,確信を得て「◇◇です」と答えました。「そうね。内山君。解剖学用語(nomina anatomica)はラテン語だよ」と言われました。○と△は日本語,□は英語,◇はラテン語で答えたものです。原典や用語の持つ大切さを学びました。
最も楽しかった専門科目は,臨床実習でした。実習場所の選択から実習内容まで,自らの希望通りに本当にいろいろな経験をさせていただきました。小さな学校でしたが,熱心な先生と自由な校風に恵まれ,科学する心と挑戦する気持ちが育まれたように思います。
表 日本の理学療法 50年の歩み(クリックで拡大) |
患者さんの存在が,理学療法の将来を考えるよりどころに
――就職した北里大病院での臨床経験はいかがでしたか。
内山 学生時代に使ったテキストの著者でもある神経内科学教授の田崎義昭先生が,手と目で詳細な所見を取る様子から,神経学の醍醐味と魅力を一層感じました。また,理学療法士の責任者だった松瀬多計久先生は,理学療法士としての姿勢やキャリア形成を導いてくださいました。運動器疾患はもちろん,精神疾患,手の外科,熱傷,がん,救命救急センターでの理学療法など,1980年代当時としては先駆的な理学療法を数多く経験させていただきました。
その後,新設された北里大東病院に配属され,神経内科学教授でリハ・社会医療部長だった古和久幸先生から直接指導を受ける機会に恵まれました。運動失調の姿勢調節に関する研究を進める過程で,耳鼻咽喉科教授の徳増厚二先生を紹介いただき,前庭疾患に対するめまいのリハビリテーションや平衡神経科学について理解を深めることができました。振り返ると,臨床で出会った多くの患者さん,恩師や同僚の存在が,30年経った今もなお,理学療法の将来を考える一番のよりどころになっています。
――教育・研究の道に進むことはいつから考えたのでしょうか。
内山 大学院に進学する際には考えていましたね。当時,理学療法学の専門教育はこれからという時期でした。いずれは自分が,理学療法を専門に学ぶ大学・大学院での教育研究に携わり,後進を育てたいという思いはありました。縁あって,人間工学・精密機械工学が専門の吉田義之先生の勧めで,大学院では理工学研究科の修士・博士課程で学ぶことができ,医療・福祉工学を専攻しました。
――修了後,臨床から教育・研究に軸足を移したことで,理学療法のとらえ方に変化はありましたか。
内山 群馬大に教員として着任してからは,基本的な臨床技術をわかりやすく教授し,いかに理学療法の質を保証するかについて考えました。医学教育で導入が進んでいたPBL(Problem Based Learning;問題基盤型学習)での講義・演習や,理学療法版OSCE(Objective Structured Clinical Examination;客観的臨床能力試験)を開発しました。現在では多くの大学,養成校で導入・発展されていることには感慨を覚えます。
また,神経内科学教授の岡本幸市先生のご配慮で,外来診療に3年間参加することができ,神経筋疾患に対する医師の継続的な治療や患者さん・ご家族とのかかわりを,間近で学ぶことができました。
転機となった日本での国際学会
――1999年に日本で初めてとなる世界理学療法連盟学会が,当時広島大教授の奈良勲先生を大会長に開催されました。先生ご自身にとっても転機になったのではないでしょうか。
内山 学会では教育講演を担当しました。きっかけは,1本の電話でした。開催1年前のある晩,奈良先生から突然自宅に電話があり,「内山君,ひとつ,セミナーをやらないか」と。国際学会でそのような経験はありませんでしたが,「いやあ,誰でも“最初は初めて”。頼んだよ」ということで,考える間もなく決まってしまいました(笑)。
――国際学会後の2001年には,協会の理事に就任します。
内山 初めは国際部の担当を命じられました。留学経験はあったものの,国際感覚に長けていたわけではないので戸惑いましたが,これを機に世界の理学療法の諸課題に目が向き,海外への理学療法の技術移転など,現在の取り組みにもつながっています。
――2000年代に入ってからは,理学療法の関連書籍が次々に企画されました。一つは学生向けの教科書「標準...
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