医学界新聞

対談・座談会

2015.03.30



【鼎談】

現場で思考する医療人類学
異文化理解の学問から,他者理解の視点を学ぶ
錦織 宏氏(京都大学医学研究科 医学教育推進センター准教授)=司会
飯田 淳子氏(川崎医療福祉大学総合教育センター/医療福祉学部医療福祉学科教授)
道信 良子氏(札幌医科大学 医療人育成センター准教授)


 日々の臨床でかかわる患者の多様な価値観を知り,より良い治療を提供したい――。

 このような医師の思いに応える学問領域の一つに,医療人類学があるのをご存じだろうか。少子超高齢化の進行,医療の高度・専門分化,患者の権利意識の変化など,医学・医療を取り巻く状況の移り変わりにより,社会や患者のニーズも複雑に変容してきている。こうした多様な変化を前に,「異文化理解」から健康・病気・医療を考える医療人類学の理論と方法が,臨床の実践にヒントを与えてくれる。

 本鼎談では,医療人類学を学ぶ意義と時期,医学教育学と医療人類学の連携の可能性について,医学教育学者と医療人類学者が検討する。


錦織 医学教育学と医療人類学という,一見異なる二つの学問分野は,非常に親和性が高いと感じています。

 私は社会医学の一分野である医学教育学の研究者と,総合診療医の一つの形であるアカデミックGP(General Practitioner)という二つの顔を持っています。前者として,社会の変遷とともに変わってきている医学教育のカリキュラムを分析・考察する中で,医療人類学は医学教育に独自の貢献を果たすのではないかと考えるようになりました。

 一方,アカデミックGPの立場としては,総合診療医の関心に,医療人類学が扱う内容が多いと実感しています。実際,私の周りの医師を見ていると,「もっと患者さんに寄り添いたい」「患者さんの抱える生活上の問題に対して自分は何ができるだろう」と考える方が多い。ところが,臨床現場で出合う困難に悩み,考え込んだときに,解決のヒントとなる学問があることを知らないのです。そこで,医学教育学と医療人類学,その両者をどうすればうまく結び付けられるのだろう,という問いに,最近関心を寄せています。

学際領域としての医療人類学

飯田 医療人類学は,人類学という人間の総合的な理解をめざす学問の一領域です。

道信 特に,人間の身体,健康や病気,治療の方法などが,それぞれの生きる環境や文化によって多様であることを明らかにします。そのため,世界各地の民族や文化集団を対象に研究が行われてきました。

錦織 人類を対象とした学問ということで,対象範囲はとても広いですね。まず医療人類学を理解する上で挙げられるキーワードは何でしょう。

道信 基本的なものとしては,環境,身体,文化,社会です。医療人類学の源流には,人間の生活を周りの環境への適応および進化の過程と考える「生態人類学」,生物としてのヒトを対象にする「自然(形質)人類学」,文化を営むものとしての人間を研究する「文化(社会)人類学」という,人類学の三つの下位領域があります()。それぞれが備えている視点の違いが医療人類学の多様性を特徴付けています。

 人類学の下位領域を横断する医療人類学
医療人類学は,生態人類学,自然(形質)人類学,文化(社会)人類学を基盤として,人間の「健康・病気・医療」を対象に研究を行う。臨床,国際保健医療協力,医療政策など,実践的な場面で用いられる場合,「応用人類学」の一つとされることもある。近年では,医学・看護・福祉の研究にも,医療人類学の視点や手法が取り入れられ,共同研究が行われている。

錦織 例えばどのような視点がありますか。

道信 ある特定の地域だけにみられる病気や障害を,その地域の生態系や社会環境の特徴から理解し,発生の原因を探るという視点があります。それは,身体の形質的・遺伝学的な特徴や,周りの環境への適応の過程とも関係するでしょう。他方,個人や集団の病気や苦しみの意味付け,対処の仕方を,その個人や集団が共有する信念や世界観に照らして読み解こうとする視点もあります。最近では,医学・看護・福祉を専門とする人たちも関心を示し,医療人類学はこれらの領域と人類学をつなぐ学際領域として発展しています。

飯田 医療人類学者の多くは,文化(社会)人類学を専門としていますね。道信先生も私もその一人です。

錦織 医療人類学は,医学と接点のある学問領域であるにもかかわらず,医師を含む医療者側にあまり認知されていません。その理由として,一つは学ぶ意義が浸透していないこと,もう一つは学ぶ機会が限られていることが考えられます。初めに,医師として医療人類学を学ぶことについて整理したいと思います。

道信 医学生のうちに医療人類学を学ぶ意義は,自分の生きる環境や文化の中で,身体,健康,病気,障害,治療について当たり前と思っていることが,他の生活環境や文化の中では必ずしも同じではなく,多様な在り方の一つだと学ぶことです。

飯田 人類学の基本の考え方である,「文化相対主義」ですね。

道信 はい。医療人類学を学ぶことで,日常の臨床における医師-患者関係では,自己を相対化し他者に謙虚に向き合うことを可能にすると思います。医師側は,患者の健康や病気の考え方,治療の求め方にはさまざまな違いがあることを心得,必要な医療は行うけれども,患者の気持ちをくめるところはくむ。患者の思いを生活背景の中できちんと理解していく。こうした思考と行動を続けていくことで,次第に自分自身のものの見方が広がります。

 他者と共感できる部分を見つけようとする態度は,治療が患者や家族との関係性の中で行き詰まったときなどに,役立つ部分があるのではないかと思います。

錦織 患者さんは基本的に,病院に来たいわけではありません。健康に問題を抱えたためにやむなく病院にやってくる。そのような,ある意味弱い立場にいる患者さんと接することになる医師には,「他者と謙虚に向き合う姿勢」が欠かせません。“受験戦争”に勝ち抜いてきた医学生に,その姿勢をどう教えていけばよいかということは,私自身,一つの課題でもあります。

飯田 自己を相対化して見ることで,「一つの物差しで優劣を一概に判断することはできない」ということに気付くはずです。このことは,医師-患者関係だけでなく,他職種に対しても当てはまります。今はまさに多職種協働の時代ですから,他の医療者への尊敬の念を医師には持ってほしい。医療人類学を学ぶことで,医師にとっての「当たり前」が,全ての人の当たり前ではないということを知る機会になるはずです。

道信 地球の環境も社会の状況も大きく変化している今,健康や病気を周りの環境や文化とのかかわりで広くとらえる視点は大切です。臨床,基礎,社会医学のいずれの領域においても,医療人類学は,学生にとって学びがいのある分野になるでしょう。

現実の中から理想の光を探し出す方法

道信 医療人類学を学ぶことで,人間の身体や健康,病気や障害についても,さまざまなとらえ方があることがわかり,また多様性だけではなく,人間に共通する普遍性もあるのだと知ることができます。

飯田 多様性と普遍性の両者を見ていく思考法も,人類学を通じて学ぶことになりますね。

道信 普遍性を追究するとき,医学の領域では,確実な根拠に基づくものに現実を近付けていくような傾向があるように思うのです。

錦織 それはあるかもしれません。

道信 人類学はむしろ現実の中から理想の光を探し出す方法を取ります。

錦織 医学が演繹的であるのに対し,人類学は帰納的な思考であると。

道信 はい。科学の知識としては正しくても,その知識が医療行為に応用されるとき,負担や苦痛など思わぬ結果を招くことがあります。患者さんには

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