青年海外協力隊員としての保健教育活動(馬瀬敦子)
寄稿
2015.02.23
【寄稿】
青年海外協力隊員としての保健教育活動
アルパカと暮らす子どもたちに衛生教育を
馬瀬 敦子(岡山大学病院看護部)
海外ボランティアをしたいと思ったきっかけは一冊の本からだった。黒柳徹子著『トットちゃんとトットちゃんたち』(講談社)を読んだのは私が小学6年生のとき。写真と文章で見たアフリカの現状は小学生にはとても衝撃だった。「どうして水がないの? なぜこんなに痩せているの? どうしてみんな病気になるの? そしてなぜ死んでいくの……?」幼心になんとかして助けたいと思った。この記憶が医療の道を選択する布石になったのかもしれない。6年後,私は進路に躊躇なく看護学を選び,岡山大医学部保健学科に入学した。
給与支給・職場保証の現職参加制度で青年海外協力隊員に
青年海外協力隊を知ったのは大学生のとき。電車の壁に貼ってある広告が目に留まった。関心はあったが,自分にはできっこないというか,そのときは自分とは別世界のように感じた。卒業後は看護師として岡山大病院で勤務し,忙しいながらも充実した日々を送っていた。そんな中,同級生で同僚の看護師が青年海外協力隊員としてトンガに派遣された。彼女の挑戦は私の中にあったもやもやしたものを一気に払拭してくれた。できないと決めつけているのは自分,やらないで後悔するよりやってみて後悔したほうがずっと価値があると,すぐに協力隊への応募を決めた。また当院に「現職参加制度」があることも決意を強く後押ししてくれた。海外で活動している期間,給与が支給され,帰国後すぐに現場復帰できるという理想的なシステムなのだ。
私が派遣されたのは南米エクアドル。赤道直下にあるため日差しは痛いほど強い。一方,標高6000 m級のアンデス山脈が国を南北に走っており,山は万年雪で覆われている。活動拠点となったグアランダは,国内最高峰6300 mのチンボラソ山の麓にある小さな町で,首都キトからは車で約5時間のところにある。先住民族も多く住むこの町の保健事務所に私は配属された。同国では若年妊娠が社会問題となっており,保健省はプロジェクトを作り啓発活動を行っている。私はそのプロジェクトに組まれたボランティア活動の担い手として配属されたのである。
とはいえ配属先では事務所でデスクワークばかり。青少年なんて誰も来ないしこちらから出向くわけでもなかった。異文化,言語の違いに慣れず,なぜ自分はここに配属されたのだろうと悩む日々が続いた。それでも悩んでいても前に進まない,とにかくやってみようと自分のできることを行動に移し始め,地区中学校,高校を巡回し性教育を行った。テーマを,(1)身体の仕組み,二次性徴の変化,(2)道徳観,(3)将来の夢,(4)親の役割の4つとし,各学校の生徒に健康教育を行った。
当初の要請にはなかったが,さらにもう一つ取り組んだ活動が衛生教育だった。対象小学校で行った教育内容は手洗いや歯磨き,また栄養に関することから環境美化についてまでである。地域には顕在化した衛生問題がいくつもあったからだ。例えば,彼らの多くがアルパカや牛,馬,ロバなどの家畜の世話をしているので手はいつも汚れている。しかし彼らは手を洗わない。同国では,食べるときに手を使うこともあるため,手を洗わないことが感染症の原因にもなり,消化器症状が出ると栄養状態の悪化にもつながる。私は子どもたちへの衛生教育は必須と感じ,ぜひ取り組みたいと思い,配属先と相談し実施した。
写真左:小学校で行った歯磨きの方法についての授業の様子。教材は筆者の手作り。 右:配属された保健事務所のスタッフと(中央が筆者)。 |
試行錯誤を重ね,熱意が伝わる
ボランティアの多くは活動する中でいくつかの壁に当たる。その一つが言葉の壁だ。異文化への戸惑いもあり,慣れないスペイン語では伝えたいことの半分も話せないこともあった。彼らは興味のないことには全く耳を傾けない。学校と交渉してせっかく許可をもらった1時間が無駄になってしまうことが何度もあった。試行錯誤を繰り返し現地に合った活動スタイルに変えていく。生徒自ら考えたり参加できるように画用紙やマジックを使用したり,また退屈しないよう楽しみながら遊べる工夫をとパズルや工作を取り入れた。一番好評だったのは日本の文化について話すこと。授業の合間に日本の話が出ると,子どもたちは皆興味津々に聞いてくれた。ほとんどの人が外国を知らない現地で,私は「歩く異文化」として人々の関心の的だったようだ。
海外ボランティアというかねてからの夢を持ち,思い切って飛び込んだ協力隊だったが,時につらいこともあった。活動場所を自分で探すことから始め,対象者がたった2人だけのときもあり,活動内容も最初に抱いていたイメージより実際には地味で,自分の非力さを幾度となく感じた。そんなときは,なぜ自分はここにいるのかと振り返った。彼らがボランティアを待ち望んだわけではなく,自分自身がそれをしたかったのではなかったかと,ボランティアの原点に返った。くじけそうになったり悩んだりはしたが,幸いにも私の熱意は多くの関係者に受け入れられ,協力を得られた。「また来てね,待ってるよ」「どうしたんだ,元気ないじゃないか」という彼らの何気ない言葉と笑顔に支えられ,2年は瞬く間に過ぎていった。任期中一度も辞めたい,日本に帰りたいと思ったことはなかった。
あるとき,1人の少女が私にこう言った。「Quiero ser enfermera porque es lindo tu trabajo;ねぇ,私,看護師になりたいわ。だってあなたみたいな仕事って素敵じゃない」。私の活動は単なる健康教育ではなく,働くこと,看護師という仕事を伝えていたのだと気付かされた言葉だった。素直にとてもうれしかった。私が教えた保健教育の内容が,子どもたちにとって将来役に立つ人生ツールの一つになればと願った。
海外ボランティアで広がる視野
帰国後はすぐに復職した。長い海外生活を経て,日本の良さをあらためて感じた。第一に,日本の看護師は素晴らしいということ。現在勤務している慢性期病棟では多くの患者は病歴が長く何度もつらい治療に耐えている。大学病院ならではの高度医療を提供するために,看護スタッフは日々カンファレンスを繰り返し,看護師一人ひとりが患者を中心に考え丁寧に対応する。日本の医療,看護の質の高さを感じ,同時に日本人の勤勉さ,真面目さも再認識した。
一つの夢であり目標であった海外ボランティアを実現した今,私にとって協力隊とは単なるボランティア活動ではなく,異文化,新たな世界への出合いと経験であったと言えよう。協力隊での2年間は,また会いたいと思える地球の裏側の人々に出会わせてくれた。この経験は間違いなく私の視野と世界観を広げてくれた。今後それをどのように活かすか,それは自分次第であるが,今できることは,自分の経験を伝えること,そしてやってみたいと思っている人の力になることだと思っている。
◆部局と看護部の連携で育てる看護職の国際感覚
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馬瀬敦子氏
2006年岡山大医学部保健学科看護学専攻卒。同年より現職。12年6月から2年間,「現職参加制度」により,青年海外協力隊員としてエクアドルに派遣される。14年に帰国した後はすぐ臨床に復帰している。
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