医学界新聞

寄稿

2014.10.20



【寄稿】

がん終末期の急変では何を考え,どう向き合うか

長谷川 久巳(国家公務員共済組合連合会虎の門病院看護部次長/がん看護専門看護師)


 高齢多死社会を迎えた現在,終末期における急変患者への対応が新たな課題の一つとなっている。今年6月に開催された第19回日本緩和医療学会(大会長=島根大・齊藤洋司氏,神戸市)において,シンポジウム「終末期の急変を考える」が開催され,筆者は演者の一人として発言の機会を得た(第3084号)。“終末期”と“急変”の言葉の組み合わせは,一見しっくりこない印象を持つかもしれない。しかし,急変を「病気の自然経過ではなく,予期せぬ病態の変化によって数日以内に死に至った場合」と定義付けた場合,わが国のホスピスケアを受けた患者の急変は1990年代の調査で23%1),42%2)と示されている。今回シンポジウムで発表した村上真基氏(新生病院)は,所属する緩和ケア病棟での急変が,2013年度は42%であったと報告した。急変といってもすぐに死に至るものから,数日以上経過する場合もある。前者であれば心臓マッサージなどの心肺蘇生措置を行うか否か,また後者であればどの程度まで原因探索の検査を実施し対症療法を行うか否かを短時間の中で決定する必要が生じる。シンポジウムでの議論を振り返りながら,日々の実践から考えたことを述べたいと思う。

“当たり前”と思う看取りの判断基準は,慣例による場合も

 シンポジウムは,事前に座長と演者間で共有された急変の仮想事例()をもとに進められた。議論の要点は,「急激に心肺停止に至り,患者の急変時の意思表示が明確ではない状況で,患者家族から心肺蘇生を行ってほしいという申し出があったときにどう対応するか」というものであった。この問いに対して当院(一般病院)でも同様の事例が生じた場合にどうするかを検討したところ,大多数が「心肺蘇生を実施する」と返答した。しかし,シンポジウムでは「Slow Code(形式的心肺蘇生)」あるいは「心肺蘇生は行わずそのまま看取る」が多数であり,ホスピス・緩和ケア病棟に勤務する者も同様の意見であった。「Slow Code」も倫理的問題に関して議論の余地があり,今回のような仮想事例に対して明快な答えを出せるものではない。少なくとも,そのとき置かれている医療状況によって判断は異なると言えるのではないか。

 シンポジウムの「仮想事例」抜粋3)
●口腔がんの60歳女性
●局所からの出血で緩和ケア病棟へ入院し出血はおさまったが,がん性リンパ管症による呼吸状態の悪化により1-2週間の予後を予測し,キーパーソンの夫とはDNAR(Do Not Attempt Resuscitate/Resuscitation)が確認された。しかし面談を行った日の夜,原疾患と因果関係のはっきりしない腹痛を訴え,血圧低下。
●家族を呼び寄せ,到着後心肺停止となったが,娘・息子は状態の変化をまだ伝えられていなかったこともあり,急変に混乱し心肺蘇生を要望。
●主治医が病院に到着するまでは20分かかる。患者・家族と面識のない当直医(他科)は院内に当直している。当直医は急変時の対応は行うが,通常の看取りに関してはオンコールの主治医が行っている。

 一般的にホスピス・緩和ケア病棟は無意味な延命措置は行わず,自然な経過の中で最期を迎えることが前提で,がんにより余命が限られた人がそのことを理解し過ごす場である。ホスピス・緩和ケア病棟の場合は,急変時にどうするかという明確な患者の意思表示がなくとも,このような場を患者自身が選択しているという大前提があるという考えから,仮想事例のような場面でも「心肺蘇生は行わない」という判断に至ると考えられる。

 しかし,当院のような一般病院では,DNARが明確でなければ,急変時対応として心肺蘇生を行うのが常であり,その枠組みの中で判断する。心肺蘇生のみならず,終末期がん患者に対して当然何をなすべきで何はすべきでないという判断は,個人の判断に加え,日常的な医療提供状況,すなわちそれぞれの場における文化や慣例,許容される態度など知らず知らずのうちに染みついたものに依拠していることに気付かされたのであった。

患者・家族・医療者,それぞれの認識の差を縮めるには

 シンポジウムを通して,患者や家族と医療者との考えや思いは異なるということをあらためて考えることになった。特に患者が意思表示できないとき,主に家族など,患者の代理となる者の意向が...

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