手指衛生からはじめよう(本田仁,崎浜智子,坂本史衣,松永直久)
対談・座談会
2014.10.13
【座談会】
全ての医療者が行うべき“スタンダード・ケア”手指衛生からはじめよう
本田 仁氏(東京都立多摩総合医療センター 感染症科医長・感染症対策室室長)=司会
崎浜 智子氏(国際医療福祉大学大学院准教授 感染管理・感染看護学)
坂本 史衣氏(聖路加国際病院 QIセンター感染管理係)
松永 直久氏(帝京大学医学部附属病院 感染制御部部長)
衝撃的な結果が示された。日本国内の医療機関で実施された観察研究(MEMO)によれば,日本における医療者の患者接触前の手指衛生(註)遵守率が約19%だというのだ。医療関連感染を防止する上で最も重要な制御方法の一つである手指衛生の実施が,日本の医療現場では危うい。
本紙では,本論文の作成に携わった崎浜智子氏・本田仁氏に,多剤耐性アシネトバクターアウトブレイク後に手指衛生の意識も高まったという帝京大病院の松永直久氏,徹底した取り組みで手指衛生遵守率を飛躍的に向上させた聖路加国際病院の坂本史衣氏を加えた,4氏による座談会を企画。各氏・各施設の取り組みを紹介していただき,手指衛生遵守率の改善の道を探った。
本田 本年4月に発表された崎浜さんの執筆による論文は,「日本の医療者の手指衛生遵守率が低い」という示唆を与えるものでした。まず,崎浜さん,今回の研究内容と結果についてご説明いただけますか。
崎浜 本研究は,米国ミシガン大・Sanjay Saint先生,地域医療機能推進機構研修センター・徳田安春先生が主任研究者として進行中の「感染予防における手指衛生向上のための国際共同研究」の一部で,日本版の基礎調査に該当します。私は外部観察者として,多施設共同研究に同意をいただいた4施設へ伺い,観察内容を明かさない形での直接観察法によって,医療者の患者接触前の手指衛生遵守率を調査しました。
その結果,全体の遵守率は約19%。 職種別では医師の遵守率15%,看護師は23%という結果が得られました。過去の文献1)で示された海外施設の遵守率は約40%ですから,諸外国と比較しても著しく低い結果と言えます。
本田 もちろん,今回の研究は限られた施設数でのデータなので,日本全体の状況を正確に示しているとは限りません。しかし私の少ない経験からでも,ここで示された数値は多くの病院の現状と一致する印象があります。
松永 私も本論文の示すとおり,臨床現場での手指衛生は十分には行われていない印象がありますね。
坂本 他の医療施設の実態まで詳しくはわかりませんが,調査すると本研究同様,多くの施設でそう高くない数値が出るのではないでしょうか。
しかし,当院では4-5年前から力を入れて取り組んだ結果,遵守率40%を切るところから,大きく改善が図られました。この経験からもアプローチの方法を見直せば,遵守率の向上は実現可能だと思います。
松永 当院も多剤耐性アシネトバクターのアウトブレイク事例を経て,感染対策への意識が組織的に高まり,手指衛生を以前よりも熱心に行うようになりました。それまでも他院と比較して極端に手指衛生が劣っている印象はなかったのにもかかわらず,です。医療者の手指衛生に関しては“伸びしろ”が大きい。これはどの施設においても同様の状況なのではないでしょうか。
“個人の問題”では済まされない
本田 では,そもそもなぜ手指衛生遵守率が低くなってしまうのか,その要因から考えてみたいと思います。医療者を介する患者間の微生物の伝播を防ぐ上では手指衛生が重要であると,誰しも耳にしたことはあるはずです。それにもかかわらず,手指衛生が実施されないのはなぜなのでしょうか。
松永 微生物による汚染は“目に見えない”。これが手指衛生が実施されない一番大きな要因ではないでしょうか。汚染が見えないから,その必要性を実感できず,優先順位も下がってしまう。これに対処するには,手指の汚染のイメージを「見える化」した動画ツールを用いるなど,工夫を凝らしながら継続的に手指衛生の重要性の再認識を図っていく必要があります。
さらに,医師の手指衛生の習慣付けに関しては,現場の上級医の振る舞いに左右される面も大きいんですね。いくらオリエンテーションや現場で研修医に手指衛生の重要性を伝えても,自分の上級医たちがきちんとやっていなければ,「やらなくてもいいもの」ととらえるようになってしまいます。
本田 そういう意味では,上級医に当たる医師たちが手指衛生をきちんと意識しているかも重要な環境要因になると換言できますね。過去の臨床研究でも,手指衛生を適切に行う指導医・リーダーとなるような医師の存在が,医師の集団全体の手指衛生の遵守に関与することが示唆されています2-3)。
崎浜 習慣化を阻むという点では,院内のインフラ整備の欠如も大きな要因だと思います。実際,施設によっては,手洗い場や擦式アルコール消毒剤が各病室になかったり,携帯用の擦式アルコール消毒剤が導入されていなかったりするケースも多い。こうした環境では,手指衛生がおろそかになってしまう医療者がいてもおかしくありません。
坂本 病院幹部の理解を欠いていても,手指衛生遵守率の向上は難しいです。例えば,崎浜さんの指摘されたインフラ整備という点は,投資が必要ですから経営幹部の関与が不可欠です。また,複数部門や職種にまたがって感染対策を改善するに当たっては,トップダウン的な手段を要するケースもあり,幹部の支援が求められます。感染対策担当者の熱意だけでなく,幹部から職員に向けた「手指衛生は重要であり,当院では徹底する」という明確な意思表明がなければ,病院全体の底上げを実現するのは困難でしょう。
画一的な方法論ではなく,“身の丈に合った”具体案を
本田 個々の医療者の知識や意識に収斂される問題だけでなく,病院設備や周囲の医療者といった環境的な要因にまで目を向ける必要があると示していただきました。このように多様な要因が複雑に絡み合っているわけですから,WHOの「Five Moments for Hand Hygiene」(表)4)のパッケージで,画一的に手指衛生の実施を呼び掛けるだけで,コンプライアンス向上を図るというのは現実的には難しいのでしょう。
表 手指衛生を要する5つのタイミング4) | |
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そこで,私としては,“身の丈に合った”感染対策を徹底することが大事であると考えています。部署・職場などセクションによって環境と状況は異なるので,個々の事情に応じてルールを設け,その遵守を呼び掛ける。そうでないと,現場の医療者の行動変容にはなかなか結びつきづらいと思います。
坂本 行動変容につなげるには状況に応じ,いつ,どこで実施すべきかの“力点”を具体的に示す必要があります。
当院では「Five Moments for Hand Hygiene」を推進していますが,入院部門で実施状況を評価する際,ハイリスクな患者がオープンフロアに集まる集中治療領域では5つの瞬間全てを確認します。一方,一般病棟であれば,「入退室時の手指衛生」を中心に確認する。これは当院の一般病棟の病室が全て個室である事情を踏まえ,入退室時に手指衛生を行えば,高確率で患者が守られると考えた上での方法です。
ただし,一般病棟での入退室時の手指衛生については,空室で患者不在であろうと必ず行うと決めています。「自動車の運転時,赤信号であれば歩行者の有無にかかわらず必ず止まる」。これと一緒で,そこは徹底して行ってもらうように促しているんです。
崎浜 実情を踏まえた上で,実践可能な工夫を織り交ぜた提案を行う視点は重要ですよね。私が介入研究でかかわった水戸協同病院では,感染管理をはじめとした現状の課題と手指衛生改善を“セット化”するという形で遵守率の向上を図りました。
例えば,病棟で散見された多剤耐性緑膿菌の問題。尿路カテーテルの排尿バッグの尿廃棄の方法が交差感染の原因でしたが,その見直しの際には「手から手へと伝播する面も大きい」と,手指衛生もセットで改善を促しました。
また,病院全体の医療安全対策と接遇の改善とを絡めて提案したのが,「患者確認のタイミングでの手指衛生」です。それまで「手指衛生をしている暇がない」なんて声もあったのですが,必ず行う患者確認のタイミングで手指衛生も行うと決めれば,手指衛生の時間確保・意識付けとともに,患者誤認の予防にも貢献できる。携帯用の擦式アルコール消毒剤の導入などのツールの整備に加え,このようにセット化して提案するといった工夫によって,医療者全体の意識も高まり,行動変容につながっていくと思います。
本田 帝京大病院では多剤耐性アシネトバクターアウトブレイク後,手指衛生が向上したというお話でしたね。
松永 ええ。2010年のアウトブレイクが教訓となり,院内スタッフの感染に対する意識は一変しました。手指衛生をはじめとする標準予防策などの基本の徹底が図られるようになったのです。その結果,アウトブレイク前後で,擦式アルコール製剤の使用量が10倍にも増加しました(図1)。
図1 帝京大病院における擦式アルコール製剤の使用量の推移 |
同院では2009年8月から2010年9月にかけ,58人の患者で多剤耐性アシネトバクター感染を確認。感染管理体制の立て直しを図り,それ以前と比べ,擦式アルコール製剤の使用量は約10倍増加した。 |
啓発活動としては,各部署の感染制御担当者が中心となって行った,標準予防策・接触予防策の講義,グループワーク,手指衛生とPPE(Personal protective equipment;個人防護具)着脱を実際にチェックする実習から成る集中講習です。全職員が対象で,アウトブレイクのとき以来,年2回,継続的に行っています。
さらに,アウトブレイクの経験を院内で風化させぬよう,2013年からは9月第2水曜日を「ストップ感染デー」と病院として定め,その一環で「手指衛生ラウンド」を企画しました。事務職を含めた全部署から原則各10人の職員に評価者として参加を依頼し,それぞれが別の部署へ赴き,チェックリストを用いて手指衛生の実施状況などを評価する。他部署の観察を通し,「自部署の様子を客観的に振り返ることができ,良い経験になった」という声も聞かれ,手指衛生への意識はさらに浸透した感触を持っています。
■限られた人員でいかにモニタリングし,遵守率向上をめざすか
本田 手指衛生の改善を促していくためには,啓発活動に加え,スタッフが業務の中できちんと手指衛生を実践しているかを継続的にモニタリングしていく必要があります。帝京大病院ではどんな方法で行っていますか。
松永 当院は,擦式アルコール製剤の使用量を継続して調査しています。各部署の使用量の集計データを,手指衛生がどのぐらい行われているかを測る,いわば遵守率の“surrogate marker”としてとらえているわけです。
本田 量を評価軸にすると比較的簡便な方法で済み,労働力の負担が少なく,かつ継続的に行いやすい利点はありますよね。感染管理を専任で担当している医療者が少ない日本においては,主流な方法でもあると思います。
松永 当院も簡便な方法である点を活かし,各病棟のリンクナースなどに集計を算出してもらっています。もちろん,ただ委ねるのではなく,患者のADLを考慮した目標値などを各病棟で設定し,その目標値と実際の使用量の差を見比べ,手指衛生の状況を把握してもらうようにしています。
本田 現在のモニタリング方法で課題に感じられている点はありますか。
松永 ともすれば使用量の計測自体が目的化してしまい,対策の立案にまで達するのが難しい点でしょうか。本来,「いつ,どのように行っているか」が重要にもかかわらず,量“だけ”を追い求めるようになってしまう危険性があるのです。使用量の増加は,必ずしも手指衛生の適切な実施を保障するわけではないので,直接観察し,実際に行われている手洗いを踏まえたフィードバ...
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