医学界新聞

対談・座談会

2014.06.30

【鼎談】

DSMと精神科臨床
DSM-IIIがもたらしたもの,DSM-5がめざすもの

高橋 三郎氏(埼玉江南病院長)
大野 裕氏(国立精神・神経医療研究センター 認知行動療法センター長)
染矢 俊幸氏(新潟大学大学院医歯学総合研究科 教授・精神医学)=司会


 米国精神医学会(APA)による「精神疾患の診断・統計マニュアル(DSM)」が19年ぶりに全面改訂され,2013年5月,DSM-5として公開された。もともとは精神疾患の統計調査のため「疾病及び関連保健問題の国際統計分類(ICD)」の改訂に対応する形で出版されてきた DSMだが,ICD-9(76年)に続いて出版されたDSM-III(80年)にて明記された診断カテゴリー分類と操作的診断基準が,急速に世界の精神科臨床に浸透。82年には日本語版も訳出され,本邦の精神医学領域に大きなインパクトをもたらし,今や診断のスタンダードとして用いられるようになった。今回は,“革命”と称されたDSM-IIIから,“パラダイム・シフト”を試みたDSM-5に至る歩みについて,訳出に携わってきた三氏に語っていただいた。


診断基準の統一が希求されていた時代

染矢 DSM-IIIが作成された1970年代は,精神科診断学においてまさに革命的な動きが起きた時代と言えます。

 それまでの精神科診断というと,E. クレペリンやE. ブロイラー,A. マイヤーやS. フロイトらが病因・症候・経過などに基づいて提唱した病名をもとに,医師個人個人がそれぞれの嗜好に応じて当てはめているような状態でした。ICD-7,DSM-IIも公表されていたものの,あくまで簡素な分類で広く普及していたわけではなく,70年には英国の精神科医R. ステンゲルが「診断上の問題の再評価」を行い,ICDによる診断の一致率の低さが明らかとなっています。

高橋 一方,「Iowa 500 study」1)という追跡研究の結果が同じころに発表されています。これは当時のアイオワ大精神科教授,G.ウィノカを中心に行われたもので,人の移動が少ない農村地帯というアイオワの特色を利用し,525 人の精神疾患患者の受診後の経過を35年にわたって調べたものです。統合失調症,躁病,うつ病の三疾患について分類と診断基準を統一した上で,疾患ごとの家族歴や自殺率,転帰,治療反応などの統計をとりました。結果は後に多くの論文として世に出て,今日の精神科診断学を形成するバックボーンの一つになっています。

染矢 結果そのものはもちろん,診断の枠組みを定めて,皆で症例を共有してデータを積み重ねていくといろいろなことがわかる,ということのインパクトは,非常に大きかったですね。

高橋 ええ。そうした背景事情もあって,「統一的な診断基準を作らなければ」という気運がいよいよ高まってきたわけです。72年にはワシントン大のJ. P. フェイナーらによるいわゆる“Feighner Criteria”,74年にはコロンビア大でResearch Diagnostic Criteriaといった診断基準が作られるようになり,海外の医学雑誌への論文投稿にも,そうした診断基準の明記が求められるようになってきました。

染矢 その二つの基準をもとに作られたのが,DSM-IIIというわけですね。

高橋 そうです。76-77年,私がカナダのトロント大にいたときにちょうど,APAがDSM-IIIの臨床試行を呼び掛けていました。

 当時,私は生物学的精神医学の研究に従事しており,研究のベースとなる症例の収集や分類には明確な診断基準が不可欠でした。さらに精神病理のような“仮説”に基づく診断に疑問を感じていたこともあって「これからはDSM-IIIの時代だ!」と思ったのです。日本に帰国後,最終原稿を入手し,『臨床精神医学』誌に紹介したことが,DSM-IIIの日本語訳出のきっかけとなりました。

「黒船が来たようなもの」

染矢 日本語版ができた当時,臨床現場からはどんな反応があったのですか。

高橋 診断基準を統一する,ということに対してはやはり賛否両論がありました。「精神科に黒船が来たようなものだ」と言われたほどです。

大野 「否」の声のほうが,多かったかもしれませんね。「原因や背景がはっきりしていない上に,症状が非常に多様である精神疾患をそんなにきれいにまとめられるわけがない」と言われていました。

 でも,精神科医になりたてだった私にとっては,DSM-IIIは希望を感じさせるものだったように思います。DSMというのはもともと,医学領域における精神医学の地位を確立させるために作られた面もあるので,身体疾患と同様の基準ができたということが刺激的でしたし,いかにも“医学的”な感じがしたものです。

染矢 若手の精神科医にとっては格好の教材だったのではないでしょうか。

大野 それまでの診断のテキストというと叙述的な記載が中心でしたし,先輩から教わろうにも人によって言うことがバラバラで,初学者は戸惑うばかりでした。DSM-IIIが各疾患の診断における「核」を定めたことで,ポイントが押さえられ,格段に勉強もしやすくなった。若い医師への教育に果たした意義は大きかったと思います。

染矢 DSM-IIIによって,コミュニケーションの共通言語ができましたし,私たちが知ることができる精神疾患の裾野が一気に広がりました。DSM-IIIを読んでから診察に臨むと「ああ,これがあの疾患なんだ」とふに落ちることもしばしばありましたし,教育的な貢献度は高かったですよね。

高橋 それまでの精神科というと,“精神分裂病の妄想論ならこの人”,“うつ病の身体症状ならこの人”というように,いわば完全分業制。自分の専門しか勉強しなかったのです。そこから,全ての精神疾患についてある程度診断治療ができる,ジェネラルな精神科医が育つ素地を作ったのは確かですね。

 私がもう一つ評価したいのは,診断過程が簡潔になり,鑑別診断までスピーディに到達できるようになったことです。それまでの診断会議や教授回診では,答えがはっきり出ず「経過をみましょう」で終わることもしばしばでしたが,患者を診て,考えて,その場で診断できる。この流れがDSM-IIIによりある程度実現した点は大きいと思います。

大野 それは同感です。目の前で苦しんでいる人がいるならば,経過観察だけではなく診断を付けて具体的に何らかの手助けをしたいと思いますし,そうすることで,患者への指導もしやすくなります。

染矢 教育,臨床に加え,研究への貢献も見逃せないものがあります。特にゲノム解析には万単位の症例データの収集が必要とされ,国レベル,もっと言えば世界レベルで共通の診断基準ができることで,初めて研究が進むものです。DSM-IIIが浸透したことで,ゲノム医科学は格段の進歩を見ました。

高橋 そうですね。統合失調症における脳の形態研究や,アルツハイマー病の遺伝子研究などで多くの知見が集積され,今やリスク予測なども可能になりつつあります。それらの研究の進展は,DSMの存在を欠いてはなしえなかったでしょう。

“バイブル”化への懸念も

染矢 精神科領域に変革をもたらしたDSM-IIIは,先行していたICDにも影響を及ぼすほどになりました。例えば92年に発行されたICD-10の「精神および行動の障害」のカテゴリは,DSM-III-R,DSM-IVとほぼ同じ枠組みとなり,格段に信頼性の高いものに変わっています。

 その一方,DSMがメジャーになるにつれ,臨床現場における弊害のようなものが指摘されるようになってきたことも確かです。

大野 DSMに示した疾患の「型」が全てであるように受け取られ,ほかの部分がそぎ落とされてしまった。患者個人に寄り添い,患者の置かれた状況を考慮しながら最適解を見つけていく,というプロセスがおろそかにされるようになったとは,よく言われることです。

高橋 それらはDSMそのものより,読み手の態度によるところが大きいと思うのですが,実際のところ「患者が来たらDSMを見て診断を付けて薬を出して5分で終了」のような診療をしているクリニックもあると聞きますね。

大野 米国でもその傾向が顕著です。というのも,米国で向精神薬を扱う医師の大半は一般医であり,それこそ5分診て,DSMに照らし合わせてパッと薬を出すようなことが常態化しており,問題視されています。

染矢 「DSMの基準に当てはめて病名を付けて診断は終わり,あとは抗うつ薬」という臨床の現実があるのは確かです。DSM-IVが公表された94年ごろからは診断学研究も下火になり「DSMに書かれてあることが全てだ」と“バイブル”のようにとらえている若い医師も少なからずいます。

 しかしそもそも,基準を用いて分類をする,病名を付けるということは,臨床診断のプロセスのごく一部です。また,精神疾患の診断分類や基準というのはあくまで心理行動的な症状とその経過に基づいており,いわば先人たちの観察や治療経験の総体から成っているもの。もちろん実証的な根拠も積み重ねられつつありますが,身体科の診断に比べると,いまなお仮説的な設定にすぎないとも言えます。そうした,ある意味当たり前の考え方が共有されていないことこそが問題であり,そういう側面を踏まえた上で患者個々人の本質をとらえる努力をしなければならないと,あらためて教えていく必要があるのかもし...

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