On Caregiving(アーサー・クラインマン,江口重幸)
取材記事
2014.05.19
【アーサー・クラインマン教授講演録】
On Caregiving
ケアに影響をおよぼす文化的要素
Arthur Kleinman氏(ハーバード大教授・the Esther and Sidney Rabb Professor)
医療人類学・文化精神医学のパイオニアとしてその名が知られている精神科医・人類学者であるアーサー・クラインマン教授(ハーバード大アジアセンター所長)による講演会が3月16日と18日に,それぞれ京都と東京で開催された(註1)。東京で行われた講演のテーマは,「ケアをすることについて(On Caregiving):ケアに影響をおよぼす文化的要素」という臨床に直結した内容であり,そのパワフルな講演は,多くの聴衆を魅了するものであった。当日の講演録をまとめる形で紹介する[編集=江口重幸(東京武蔵野病院副院長)]。
ケアをめぐる3つのパラドクス
講演の冒頭でクラインマン教授は,今日の医学・医療においてケアの占める位置を,3つのパラドクス(逆説)から示した。
今日の医療において,ケアはどのような位置にあるのでしょうか。3つのパラドクスから説明したいと思います。1つ目は,医療におけるパラドクスです。従来,ケアをすることは医師の実践の中心をなすものとして定義されてきました。しかし次第に,臨床の中心からケアが乖離しはじめてきた。そのため臨床でも教育カリキュラムにおいても,ケアに十分な時間と資金が投入されていないという逆説が生じています。
2つ目は医学教育です。根拠の示すところでは,医学生は学生時代,ケアの実践的,情緒的,精神的(モーラル)な側面に関心を持ち,それを扱うことに秀でています。しかし卒業時には,そのほとんどが失われてしまう。つまり医学教育には,医学生からケアへの関心と能力を奪う何かが存在するのではないかという逆説が存在するのです。医学部の教育からケアを排除し,実際にケアの多くを担う看護師や介護職,患者の家族にケアを任せたらどうかという皮肉を込めた提案を,医学教育者や臨床部門の責任者にすると,医療の象徴的な位置からケアをはずすことに賛同する者は誰一人いない,にもかかわらずです。
3つ目は医療改革と医療技術においての逆説です。これらの進歩は,医療におけるケアという人間的な行為を,改善ではなく悪化させています。電子カルテを例に見ましょう。さまざまな面できわめて有用なものですが,電子カルテには病いの語りやヘルスケアの経験,ケアの課題についての情報を記載する箇所がほとんどありません。制度面に目を向けると,ケアはますます断片化され緊縮されている。また,薬理学の進歩に伴う誇大宣伝もその一つです。医師は,個人やその経験の微細な部分を理解するよりも,「奇跡の薬」に依存する傾向に導かれているのです。
ケアをするとは何か?
現在のケアの位置を示しましたが,では,「ケアをすること(On Caregiving)」とは一体何なのでしょう? 辞書には「子どもや老人や病弱者等のニーズへの手当て」(名詞)といった意味が記されています。一方,民族誌学的(エスノグラフィカル)に定義すると,「個人的なだけではなく集合的なケア(保護,実際的な援助,連帯意識等)をする人間的実践で,身体的,情緒的,対人関係的,精神的(モーラル)な支援を含むもの」ということになります。ケアをすることは必然的に,ケアをされる過程と相互に結びついていることになります。
このようなケアをすることにおいて,家族や親しい友人,ならびに患者自身が担う中核的な課題として次の5点が挙げられます。(1)実際的な支援を行い,受けること,(2)その状態を周囲に認められること(acknowledgement),(3)肯定されること(affirmation),(4)情緒的な援助,(5)ケアをする側,受ける側の精神的(モーラル)な連帯と責任性です。この5点にさらに,(6)財政,法律,宗教,医学,心理などに関係する助言者との相談や協調,それに(7)現前性(プレゼンス)を加えることができます。現前性とは,たとえ実際にできることがなく,希望そのものが失われた場合でも,存在としてその場にいることを指します。
こうして課題をたどることで,われわれの人間性や他者との関係を明らかにする実存的な行為としてのケアが見えてくる。こうした側面こそが本当に重要なことだとわかってきます。それは,人間の条件(状態)を明確にする危機や不確かさという文脈への基本的な応答です。実際それは「負担(burden)」ではなく「生き方(way of being)」であり,精神的(モーラル)な経験や倫理的熱望の基礎的な側面なのです。今日の皮相・皮肉に流れるグローバルな文化的潮流の中にあってケアをすることは,しばしば真に倫理的な関与に値する対象であるということがわかるのです。
ケアの実践場面を見ると,それは医療やそれ以外の援助専門職とほとんど関係のないレベルで行われているのが現実です。家族や,より広い社会的ネットワークが実際のケアの大部分を担っている。また,地位(ステータス)の関連について言えば,ケアと地位との間には逆相関があることが見えてきます。つまり,看護師やソーシャルワーカー等「医師以外の援助職」が専門的なケアの大部分を供給していることがうかがえるのです。「家族」は健康システムにおける地位の職階層(ヒエラルキー)では一番低い所に位置付けられますが,ケアの実践面では高度の専門知識と技術を有していることになります。さらに,ケアをすることは,文化横断的にしばしば「女性」の働きと強く結びついています。
臨床の対話に有用な,ケアへの文化的アプローチ
さて次に,文化との関連についてです。ケアに対して文化はどのように重要なかかわりを持つのでしょうか? 民族とエスニシティによって健康をめぐる格差が存在するということには,確かな根拠があります。少数民族集団とエスニック集団の構成員は,システムとしてより劣悪な健康状態に置かれ,彼らから医療サービスへの大きな不満が表明されている例もあります。そのため,「文化」は医療を受ける経験に影響を与えるものであり,効果的なケアを行う際の決定的な構成要素となるのです。
ヘルスケアの提供者は,過去20年の間に「文化」という要素をますます重視するようになってきました。しかしそれは,動きのない,不変の,均質なものとして文化をとらえる,いわゆる「索引カード」型のモデルに従うものでした。この単純化された文化モデルは適切ではありません。なぜなら,文化はモノではないからです。文化とは,そこに参与する者にとって,日常的な活動が情緒的な調子(トーン)や精神的(モーラル)な意味を帯びる過程であると理解するほうがより有用だからです。
では,文化的な過程とは何でしょうか。それは,異なった状況で何がもっとも問題となっ...
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