今伝えたい,リハビリテーション実践の真髄(蜂須賀研二)
インタビュー
2014.04.14
【interview】
今伝えたい,リハビリテーション実践の真髄
「リハビリテーション技術全書」と著者・服部一郎氏の理念
蜂須賀 研二氏(九州労災病院門司メディカルセンター院長/産業医科大学名誉教授)に聞く
本邦のリハビリテーション(以下,リハビリ)医学領域の草分け的存在であり,「日本のハワード・ラスク(註1)」とも称される故・服部一郎氏(MEMO)。氏の残した多くの功績の一つに『リハビリテーション技術全書』(医学書院刊,1974年初版,84年第2版)がある。それまでにはなかった“実践”を主眼に置いた内容で,医師とセラピストが臨床で果たすべき役割を明快に示し,長く親しまれてきた同書がこのたび,『服部リハビリテーション技術全書』として30年ぶりに改訂された。本紙では,「時代が移り変わり,リハビリの理論や技術が大きく進歩した今だからこそ,同書に込められた普遍的な理念を伝えたい」という編者の蜂須賀研二氏に,話を聞いた。
専門領域が確立する時代の普遍的な教科書
――『リハビリテーション技術全書』の初版は1974年,今から40年前に出版されています。このころ,日本のリハビリ領域はどのような状況だったのでしょうか。
蜂須賀 制度的には,診療報酬改定において初めて「身体障害運動療法・作業療法」の項目が作られ,施設基準と診療報酬点数が認められたのが,この年になります。ただ臨床で言えば,早期からのリハビリはまだ一般的でなく,例えば脳卒中の患者さんは急性期の1-2か月は安静にして,それから保養地などでリハビリを始めていこう,というやり方が普通だった時代です。
――領域としても,学問的にも,専門分野としての確立が始まろうとしていた時期,ということですね。
蜂須賀 そうですね。独立したリハビリの講座が大学にでき始めたころでしたから,専門家も少なく,内科や整形外科から転科した医師がほとんど。専門職の数も,理学療法士(PT)が約1500人,作業療法士(OT)が約500人,という状況でした。ですから,リハビリに関するテキストもまだ乏しくて,あったとしても理論や病態に主眼が置かれた内容のもの。特にPTやOTにとって,実践に役立つテキストはまだなかったと言っても,過言ではないでしょう。
――そうした状況で『リハビリテーション技術全書』が与えたインパクトは大きそうです。
蜂須賀 ええ。医師とセラピスト両方に向けた,おそらく最初の総合的な教科書であり,しかも実用的な内容がメインになっているという点で画期的でした。例えば脳卒中の歩行障害ではどんな訓練をすればよいか,訓練室にはどんな道具を置けばよいか,疾患別に具体的な指針が示されているのです。
その編集方針は,共著者の和才嘉昭先生によって描かれた図を見ると,いっそう明確になると思います(図)。シンボリックに人と道具を描いてあって非常にわかりやすいので,PT,OT養成校の試験問題はもちろん,国家試験にも活用されてきました。今見ても役立つものも多く,第3版でも可能な限りこれらの図を活かした改訂を行っています。こういう点から見ても,まさに普遍的な実践の書であると言えると思います。
図 足関節拘縮に対する訓練方法 |
『服部リハビリテーション技術全書』第3版第4部第5章,P234図4-85より一部転載。第3版では可能な限り,前版の図表を書き起こして活かしている。一方,総論では「地域リハビリテーション」の項目を追加。各論の疾患編では「がん」「廃用症候群」「高齢者と認知症」などが加わった。内容レベルでは,訓練や物理療法,福祉用具などを最新のものに更新している。 |
社会復帰の観点を備えたリハビリの先駆者として
――1000ページ近くに及ぶ大著を,ほとんどお一人で著されたのが服部一郎先生です。
蜂須賀 完成までに約10年を費やされています。服部先生のご子息の服部文忠先生(現・長尾病院長)に伺うと,一郎先生は毎日の診察の後,夕方から夜までずっと,家にこもって執筆活動に専念されていたそうですよ。
日本における“リハビリの祖”と言うと,天児民和先生(註2)が知られていますが,どちらかといえば天児先生は,大局的視点から制度や体制整備に尽力された方です。一方,服部先生は一度も臨床を離れることなく,日々の診察を通して,一つひとつリハビリの体系を築かれた方と言ってよいのではないかと思います。
―――お二人とも九州にゆかりが深いですね。
蜂須賀 そうですね。「日本のリハビリの陽は西から昇った」とも言われますが,もともと炭鉱や工業地帯がたくさんあった九州では,労働災害による外傷患者,特に脊髄損傷者が多く発生しており,彼らへの治療や回復訓練へのニーズが非常に大きかったのです。そのニーズが,九州から多くのリハビリの先駆者を生みだすとともに,専門施設を充実させる基盤ともなったのだと思います。
――九州労災病院も,日本で初めての労災病院として開設されたものですね。
蜂須賀 ええ。1949年,服部先生はその新設時に内科部長として赴任され,理学療法棟を作り,平行棒や滑車といった訓練器具を一から手製し,理論と技術を蓄積していかれた。“リハビリテーション”という言葉自体がまだ,日本になかったような時代のことです。
1959年には,同院に大規模なリハビリ施設を開設し,温泉地など遠隔地の専門施設でのリハビリが一般的だった当時,一般病院で,患者さんの居住地に近接したかたちで実践する「都市型リハビリ」の端緒を作られています。
――社会的・職業的リハビリの重要性に,非常に早くから気付いておられた。
蜂須賀 上田敏先生(東大名誉教授)が1962年,九州労災病院を訪問した際,日本家屋を想定した畳敷きのADL訓練室があることに驚いた,と述懐されています1)。「施設で患者に無為に日を送らせてはならない」と,職場への復帰,自宅に帰す,など“その後の生活”を想定した訓練を行われていたわけで,当時としては,かなり画期的だったのではないでしょうか。
――まさに先駆者であったのですね。
蜂須賀 そうですね。今振り返ってみても,米国のリハビリの技術や考え方を,約20年先取りして実践していたことになります。
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