医学界新聞

2014.02.24

Medical Library 書評・新刊案内


《シリーズ ケアをひらく》
摘便とお花見
看護の語りの現象学

村上 靖彦 著

《評 者》西村 ユミ(首都大学東京大学院教授・成人看護学)

自分の経験が拡張される「驚き」の読書体験

 "4人の看護師の語り"が現象学を用いて分析された本書を読み進めると,かつて私自身が行った,糖尿病を患う患者の食事指導,在宅療養へ移行する患者のケア等々が鮮明によみがえってきた。

 「自分の経験が拡張される」ように感じ,それに驚く。これは,本書の著者である村上靖彦さんの言葉でもある。その驚きに触発されて,著者は,「ケアの彼方のケア」としての看護行為論を編んだ。そのように生まれた本だからこそ,私の看護経験も触発されるのだ。そのからくりを少しだけ見てみよう。

「摘便」の意味が反転する
 本書では,「一人ひとりの語り」の錯綜(さくそう)する背景を解きほぐすことで,行為の構造を発見することがめざされている。例えば,なぜ看護師になろうとしたのか,という問いに,妹の病気とそれにまつわる子どものころの経験から語り始めるFさん。

 この語りの分析で,読者である私がまず出会ったのは,省略されずに引用されたFさんの長い語りである。ここでは,語りの流れ自体が分析され,困難な現実としての妹の病気,Fさんの生活,そして母親の存在,これらが組み合わされ,折り重ねられて,語りの構造が浮かび上がる。

 一方が〈地〉となることで他方が〈図〉として,新たな意味を帯びて浮かび上がる。例えば,子どものころのFさんに,言語化されることもほかの人と共有されることもない不快感として経験された母親による妹の「摘便」は,訪問看護師としての経験を語る中で回帰し,「療養者である当事者と話し合いながら」計画して行う看護ケアとしての「摘便」となった。こうした意味の反転を発見していく鮮やかな分析に,幾度もハッとさせられた。

事例ごとに違う分析の視点
 本書において,分析の視点は一様ではない。透析室から訪問看護へと職場を変えたDさんの経験は,1回目と2回目の語りの大きなコントラストが分析の手掛かりとされた。語りの流れよりもむしろ,テーマが分析されることもある。あるいは,看護師と著者のやり取りの食い違いから看護の視点が浮かび上がってきたり,「なんか」「やっぱり」「だんだん」などの「シグナル」(語りのディティール)が分析を導いたりもする。哲学の課題や文学に誘い込まれる章もあり,著者が哲学者(現象学者)であったことを思い出す。

 なるほど,本書において村上さんは,徹底的に語りに忠実であろうとしたのだ。冒頭に述べたように,私が本書を読んで,自分の実践を想起しつつそれをとらえ直す作業を始めてしまったのは,著者の分析が常に語り手である看護師のパースペクティブからなされており,知らぬ間に,語り手と対話を始めていたためだ。章によって分析の視点やその方法が違っているのは,本書において「それぞれの人の経験がそれぞれ固有の構造をもつこと」,そしてその構造が,それぞれの語り方に強いられる方法によって分析され見いだされたためである。

本書に巻き込まれ,驚いてみては?
 「事象そのもののほうから」という...

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