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医学界新聞

インタビュー

2013.11.04

【シリーズ】

この先生に会いたい!!

人との出会いで広がる未来。思い切って新しい世界に飛び込もう!

渋谷 健司氏
(東京大学医学系研究科 国際保健政策学教室 教授)
に聞く

<聞き手>内原 正樹氏
(昭和大学医学部 3年生)


 WHO勤務を経て,グローバル・ヘルスの最前線に立つ渋谷健司氏は,これまでのキャリアは「行き当たりばったり」だったという。では,岐路をどのように選択し,決断してきたのか。世界を舞台とした幅広い取り組みの内容,医師に求められる資質とは何かなど,医学生の内原正樹さんが,インタビューした。


内原 僕は医学部3年生で,まだ具体的なキャリアは描けていませんが,公衆衛生学は関心のある分野です。先生が取り組まれているグローバル・ヘルスとは,どういうものなのかお聞かせください。

渋谷 グローバル・ヘルスとは,医療に国境がなくなったグローバリゼーションの一つの形態で,従来のように先進国が発展途上国を援助するのではなく,両者に共通する地球規模の課題を,さまざまなセクターが一緒に解決していく分野です。そのために,現在は新たな保健医療システムの構築,新しい財源の創出,政府が民間セクターと連携するようなスキームの創出などを提案しています。

内原 具体的にはどのようなことをされていますか。

渋谷 今は研究に加え,政府のみならず民間企業や財団,あるいは自分たちでビジネスモデルを作るような,日本のNPO法人の新しい戦略的な活用についてです。大企業が,CSR(Corporate Social Responsibility)として取り組むだけではなく,コアビジネス戦略の一環としてビジネスをきちんと成立させながら社会貢献もできる,そうした仕組みの導入を考えています。

 例として,日本政府とビル&メリンダ・ゲイツ財団(以下,ゲイツ財団)が共同で出資して取り組んでいるパキスタンでのポリオ撲滅の活動が挙げられます。なぜ,ゲイツ財団が日本と手を組みたいのか。それは,日本が持つ「信頼」を活用したいからだというのです。今回日本は,利子をつけたローンで返してもらう有償の仕組みを,初めてワクチンで適用しました。ただし,パキスタン政府が最初に決めた目標のワクチン普及率に到達すれば,利子はゲイツ財団が負担するという条件をつけた。日本政府はお金を返してもらえるし,ゲイツ財団は日本とコラボすることで現地の信頼が得られる。パキスタンはポリオワクチンの普及率を上げられ,まさに3者が,win/win/winになるような仕組みを作ったんです。

 ポリオの常在国は,現在パキスタン,ナイジェリア,アフガニスタンの3か国だけです。日本がポリオ撲滅を支援し,達成したとなれば,国際的にもインパクトがある。日本政府が民間団体と組んで,日本になかったスキームを作ったことも実績になります。

 日本はいいものを持っているし,皆さんが思っている以上に国際社会から信頼されている。僕がグローバル・ヘルスに取り組んでいる理由は,日本のノウハウを活用し,世界に評価される国にしたいという思いがあるからです。

インドで目の当たりにした現実

内原 やはり学生のときからグローバル・ヘルスに関心があったのですか。

渋谷 今は,グローバル・ヘルスほど面白い分野はないと思っていますが,実は学生時代,公衆衛生学にはまったく興味がありませんでした。そもそも授業も実習も,ほとんど出ていませんでしたからね。

内原 何か他に打ち込んでいたものがあったのでしょうか。

渋谷 僕はボート部に入っていて,これは一生懸命取り組みました。1年の3分の2ぐらいは戸田漕艇場にある汚い合宿所に泊まり込み,朝4時半に起きて7時までボートを漕ぎ,それからご飯を食べて大学へ行くという生活を皆送っていました。僕は講義には出ないで寝てましたけど(笑)。

内原 何をきっかけに,海外での仕事に関心を持つようになったのですか。

渋谷 漠然とですが,学生のころから世界で通用する医師になりたいという思いは持っていました。だけど,学生時代は全然勉強していなかったので,「世間知らずの自分がこのまま医師になるのはまずいな」という気持ちが薄々あった。そこで,いろいろ見てみたいと思い,半年ほど世界放浪の旅に出ました。インドのカルカッタ(コルカタ)に行ったとき,たまたま会ったフランス人男性の旅行者が,ボランティア施設の「マザー・テレサの家」に案内してくれました。ボランティアや援助には関心がなかったのですが,かれこれ2か月ほど滞在したと思います。

内原 え,2か月間もですか。

渋谷 そのころの僕はたぶん道を見失っていたのでしょうね。医師になることにもちょっと自信がなかったし,かといって何か他のことに関心があるわけでもなかった。ただ,インドの地に立って,病気や貧困,社会的不平等や経済格差といったものを目の当たりにして,自分が無関心でいたことこそ,医師として取り組むべき課題なのではないかと気付いた。それがグローバル・ヘルスを学ぶ原点だと思います。帰国したらしっかり研修して,まずは一人前の医師になろうと思いました。

人との出会いに導かれた進路

内原 大学卒業後の進路についてお話しください。

渋谷 あらためて振り返ると,今までのキャリアは行き当たりばったりでした。一つ言えることは,僕の人生は,出会った人たちによって次々と道ができていったということです。

 研修は,帝京大市原病院(現・帝京大ちば総合医療センター)を選びました。僕は,皆が東大の医局に入り,医局人事で回るというシステムは,いつか限界がくると思っていました。だから医局に入らず現場で実力をつけたいと思い,千葉の田舎にあるこの病院に決めたんです。自由で実力本位,“ベンチャー的”でグローバルな匂いがしましたね。そこで米国マサチューセッツ総合病院(MGH)麻酔科での研修から戻ったばかりの森田茂穂教授(故人)に出会ったことがその後の進路選択に大きな影響を与えました。「研修したらどこかへ行っちゃうかもしれないけどいいですか」と話したら,「おまえは何をやってもいいし,どこへ行ってもいい」と。「この人なら鍛えてくれるな」,そう直感しました。

内原 研修後はどうされたのですか?

渋谷 最初は,森田先生の影響もあってMGHに行こうと思っていましたが,臨床以外をやりたいという気持ちも強く,森田先生の勧めで結局ハーバード大の公衆衛生大学院へ留学しました。本当に僕は公衆衛生を学ぶなんて嫌で嫌で仕方なかったのに……。ところが,行ってみたら日本で学んだ公衆衛生とは全然違うんです。基礎研究から臨床のスキル,政策まであらゆる医療を包括的に扱っている。教授も数百人いるし,研究部門もさまざま。授業のディスカッションも刺激的で楽しかった。学部時代はサボってばかりで,いわゆるリベラルアーツ的な教養がゼロでしたから,原典を中心に一生懸命勉強しましたね。これが今とても助かっています。そして,ここで指導教官となるクリス・マレー先生に出会ったことが,また大きな転機となりました。

内原 どのような先生でしたか?

渋谷 彼はロード・スカラーでオックスフォード大の博士号を取り,その後ハーバード・メディカルスクールを出たばかりの新進気鋭の研究者でした。僕の4歳年上と若く,二人とも数学と議論が大好きなこともあり,意気投合し,共に「世界の疾病負担(Global Burden of Disease Study)」という研究を始めました。

 マレー先生は,朝から晩まで仕事をし,これでもかと徹底的にベストを尽くす人でした。分析も何度もやり直し,論文も推敲に推敲を重ねて,最後にピリオドがちゃんとついているかどうか,微細なところまで確認しろと教えられ,徹底してしつこく物事に取り組む姿勢というのを学びました。

何をするかより,“誰”とするか

渋谷 修士課程修了後,日本へ帰って臨床現場に出るつもりでした。しかし彼に,「このまま残って博士課程へ行くといい」と勧められ,進学することにしました。博士課程修了後は帰国して帝京大に勤務していましたが,今度は彼がWHOの局長になり,夜中に突然「一緒に仕事をしよう」という誘いの電話を受け,WHOで働くことになったのです。WHOには7年間勤務し,世界の保健統計分析や新たな政策立案などのチーフを務めました。

内原 それがなぜ,日本に大学教員として戻ることになったのでしょう。

渋谷 そのころ米国内の大学から誘われていて,当時から交流のあったゲイツ財団のトップの人に相談に行きました。そうしたら「君は日本に戻ったほうがいい」と促された。「帰国して,日本でゼロからグローバル・ヘルスを構築するのは大変な道だけど,そのほうが君は社会に貢献できるから」と。

内原 あえていばらの道を選んでこられたのですね。納得感はありましたか。

渋谷 もちろん。自分で選んだ道ならば後悔はしません。「自分のバリューを発揮でき,コンピテンシーが上がりそうだな」と感じたら,思い切って外に飛び出してみることです。いわゆる大学名や有名医局ブランドなんか関係ない。人との出会いってすごく大切だから,最初の3年でいいので,本当に鍛えてくれる人のところで学んでみるといい。何をするかも大事だけれども,誰とするかのほうがはるかに大切です。そして興味を持ったことは徹底的にやる。するとまた新たな道ができるはずです。“Gut feeling”で「ああ,これは面白そう」と思ったら,チャレンジしてみることです。

内原 僕自身,これから多くの選択肢の前に立つと思うので,先生のメッセージはとても励みになります。

 ところで,帰国してからは大学でどのような取り組みをされているのですか。

渋谷 教室の知名度を短期間で上げるために,研究と社会貢献を徹底的に行うことにしました。インパクト・ファクターを増やすために国際共同研究などを行い,論文を通じて社会に提言していく,そして,実際にアクションを取ること。それから今は人材育成にも力を入れています。

内原 2011年に出された『ランセット』日本特集号はインパクトがあったのではないでしょうか。

渋谷 そうですね。編集長のリチャード・ホートンは,WHO時代からの友人で,グローバル・ヘルスにも高い関心を持ち,正義感が強く社会的意識の高い人です。

 なぜ,『ランセット』で日本特集を企画することになったかというと実は,日本の医療システムは他国にとって注目の的なのです。優れた健康水準を低コストで公平に実現させてきた日本は,現在,人口動態の変化や政治・経済状況等による課題に直面している。では,どう対峙し,乗り越えていくのか,世界の関心が集まっているのです。そうした現状と課題を踏ま...

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