医学界新聞

インタビュー

2013.10.07

【シリーズ】

この先生に会いたい!!

2つの世界からの視点が,新たな可能性を育む

高橋政代氏
((独)理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター 網膜再生医療研究開発プロジェクト プロジェクトリーダー)
に聞く

<聞き手>瀬尾拡史氏
(株式会社サイアメント 代表取締役社長/医師)


 今年8月1日,人工多能性幹細胞(iPS細胞)を用いる臨床研究が,世界に先駆けて開始されました。このプロジェクトの中心を担うのが,理化学研究所発生・再生科学総合研究センター網膜再生医療研究開発プロジェクトの高橋政代氏です。「臨床研究実現に至るまでどのように歩んできたのか?」「プロジェクトを率いるリーダーとして大事にすべきこととは?」「臨床研究が始まった今,あらためて考えるべきことは?」――。大きなプロジェクトを進める高橋氏に,サイエンスCGと医療の世界をつなごうと挑む,瀬尾拡史氏が迫りました。


瀬尾 いよいよ,世界初となるiPS細胞を人に応用する臨床研究註)が始まりましたね。でも,今日は研究以外のお話も聞きたいなと思っています。

高橋 ぜひそうしてください。実は,私自身,自分のことを「研究者」とはあまり思っていなくて。

瀬尾 え,そうなのですか。ご自身では軸足をどこに置かれていると?

高橋 臨床医がメイン。臨床と研究,どちらに自信があるかといえば,やはり最先端の隅々まで把握できている臨床のほうなんです。例えば,幹細胞の基礎研究も自分で着手している範囲しかわかりませんから,「研究者」と言われるのにはやや違和感があります。

瀬尾 現在の研究においては,主に「こういうことを知りたい」といった研究のアイデアを出している役割ですか。

高橋 そうですね。私は実験結果からの解釈はできても,遺伝子の実験を自分でしたことはないので,具体的にどのような方法による実験がベストか,という判断はできません。そのあたりは同僚の専門家に頼っていて,私の案を実践的な方法へとブラッシュアップしてもらっているのです。

瀬尾 なるほど。では,研究と専門家や,専門家と技術をつなぐという,コーディネーター役を担っているわけですね。

 現在も眼科医として患者さんの診療を続けていらっしゃるということですが,それは臨床を軸に置きたいという思いからなのでしょうか。

高橋 もちろんそれもありますが,研究の方向性を再確認するためにも,臨床現場に出ることが必要だと思っています。研究がめざす最終的なゴールは,やはり自分の目の前にいる患者さんたちの治療に活かせるものでなくてはなりません。どの方向に研究を進めていくべきかの答えが,臨床の場にあるのです。

研究は“自分には関係ない”と思っていた

瀬尾 学生のころから研究への関心は持たれていたのですか。

高橋 いえ,研究なんて自分には関係ないと思っていました。テニスに夢中で,授業にも真面目に出ていない学生だったので(笑)。当時の京大医学部のテニス部は強豪で,練習もハードだったんです。病院実習だけは必ず出ていましたが,あとは朝から晩までテニスコートにいるような毎日を送っていました。ご高名な先生方が講義をされていたはずですから,もったいない学生生活を過ごしてしまいましたね。

瀬尾 とても意外です。では,数ある診療科のなかで眼科を選択されたのはなぜだったのでしょう。

高橋 学問的に興味深かったという理由はもちろんですが,現実的な理由もあって,仕事と家庭を両立しやすそうな診療科だと思ったのです。そうした科が複数あった中でも,自分の手で手術を行う眼科医は特に魅力的に映りました。

瀬尾 テニス漬けの学生時代を送ったということですから,眼科医になってからはかなり努力をされたのでは?

高橋 そうなんです。でも,実際に患者さんを目の当たりにして「治療したい!」って思ったら頑張ることができた。当時の病棟医長の「君たちの頭であれば,3か月間,必死に勉強すれば,臨床現場で必要な知識から世界で行われている最先端の研究まで理解できる」という言葉に励まされ,ダーッと勉強したんです。

瀬尾 そうしたなかで,研究への関心が徐々に湧いてきたのでしょうか。

高橋 当時の京大眼科は伝統的に研究を重視する方が多く,私の周囲も臨床より研究好きの医師が多かったので,その影響は受けたかもしれません。ただ,その当時も自分は研究に向いているとは思っていなかったですね。

 それでも研究に取り組んでいたのは,眼科教授の「一人前の医者になるには,大学院での研究4年,留学2年,臨床4年の,計10年が必要だ」という教えに従ったという面もあります。現在のような初期臨床研修制度がなかったころだったからこそ,眼科一筋に臨床も研究も取り組めたと言えるのかもしれません。

新しいものは,異なる分野の重なるところに芽吹く

瀬尾 京大大学院での研究を経た後,留学先で現在の再生医療研究の原型となる着想を得たそうですね。

高橋 ええ。米国ソーク研究所への留学が転機と言えます。

 95年に夫(京大iPS細胞研究所教授・高橋淳氏)と,ソーク研究所の脳の神経幹細胞研究で著名なRusty Gage博士の研究室に留学したんですね。当時,「神経は再生しない」と信じられていた時代にあって,博士が取り組んでいた研究は神経幹細胞による再生医療という新しい分野。そこで,さまざまな細胞に変化する神経幹細胞を見て,「これは網膜の再生医療につながる!」と思ったんです。

瀬尾 そのことには脳研究者の方々もお気づきではなかったのですか。

高橋 脳の再生医療をめざす研究者たちでしたので,そもそも網膜への関心がなかったのでしょう。「網膜に神経幹細胞を植える」と言ったら,Gage博士にも大笑いされたぐらいでしたから。おそらくあの時代,「神経幹細胞が網膜再生の治療に応用できる。しかも脳よりも先に実現できる」と考えていたのは,世界中の眼科医でも私だけだったはずです。

 だからこそ,「私がやるしかない」って……。

瀬尾 使命感が芽生えた,と。

高橋 そう。その後,研究を進めることにしたわけですけれど,すぐに神経幹細胞の意義が周囲に認められたわけではありませんでした。

 帰国後,神経幹細胞を網膜に移植したことを論文1)にまとめて専門誌に投稿したら,当時研究が進んでいた胎児細胞移植が存在することを理由に,「神経幹細胞移植は不要」というコメントをつけられてリジェクト。「それはおかしい」と,教授を通してエディターに再審査をお願いし,幾度にもわたる質疑応答を経て,ようやく掲載が認められたということもあったのです。

瀬尾 そうした網膜再生医療の黎明期にご執筆された数々の論文は,今では多くの論文で引用されているようですね2)。当時,研究者の間でも意義を見いだすことが難しかった発見を,高橋先生ができた要因はどこにあったのでしょう。

高橋 眼科医の私が脳研究という世界に飛び込み,2つの世界の境界領域に触れることができたからではないでしょうか。

 新しいものは,異なる分野が重なり合うところに生まれやすいものです。ある分野で養った目で別の分野をのぞいたことで,おそらくその分野の専門家とはまったく異なる視点で世界を見ることができた。だからこそ,そこに存在する新しいものを見いだすことができたのだと思っています。

瀬尾 その後,一貫して網膜の再生医療研究という新しい分野へ取り組みを続けてこられ,ついにiPS細胞の臨床研究まで結びつきました。研究を継続する中ではタフさが求められると思うのですが,これまでくじけそうになったことはありませんでしたか。

高橋 実は一度くじけそうになったこともあったんです。ただ,患者会等を通して再生医療の研究を進めていることや,未来の治療法についてお話ししていたことを思い返したら,「患者さんとの約束は破れない!」と思って。そこからは迷いなくここまで進むことができましたね。

研究だけをしていればよいわけではない

瀬尾 高橋先生は

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