医学界新聞

寄稿

2013.06.03

【寄稿】

医療事故のケースファイルから得られる教訓
「明日はわが身」というワクチン効果

長野 展久 東京海上日動メディカルサービス・医療本部長


To err is human.

 病気の診断や治療を通じて安全で安心な医療の担い手となる,それが私たち医師に期待される使命です。日本人の三大死因であるがんや心疾患,脳血管疾患をはじめとして,病気の軽重や難治度にかかわらず,思いやりのある優しい気持ちで診療に臨み,患者さんが病(やまい)を克服することができればベストでしょう。

 その一方で,どんなに医療技術が進歩しても,私たちの前には「不確実な医療」という現実が立ちはだかっています。最新の医学データを駆使して最適な医療を提供することはできても,その結果までは保証し切れません。もし期待外れな医療と向き合ったとき,患者さんはどのような気持ちになるのでしょうか。悲しみや怒り,抑うつやあきらめなど,さまざまな感情が錯綜して,場合によっては責任の所在を「白黒はっきりさせる」行動へと踏み切ります。

 これまで私は損害保険会社のアドバイザーとして,数多くの医療事故を見聞きしてきました。1990年代までは本当に患者さんが気の毒に思えるような医療事故も散見されましたが,患者取り違え事件(横浜市大)や消毒薬誤注射事件(都立広尾病院)などが相次いだ1999年以降,どの施設でも医療安全対策が優先課題となり,ヒヤリ・ハットの報告書が次々と上がるようになりました。そして電子カルテの普及や医療機器の開発により,薬剤の処方間違いや与薬ミス,経口薬や消毒薬の誤注射といった事例は激減し,「うっかり型」あるいは「能力欠落型」の医療事故は少なくなったように思います。

 しかし,こうして病院全体で医療事故を防ぐ「システム」が充実してきた一方,"To err is human"という医療安全の定型句が示すように「ヒト」の間違いをゼロにすることはできません。ましてや医療ミスとまではいかなくても,ちょっとした行き違いや説明不足,頑張ったつもりでも結果的には対応が遅れたといった,まさに不運としかいいようのない「不可抗力型」の医療事故は,日常診療でも頻繁に発生しています。その多くは真摯な対応で円満に解決するのですが,患者さんやそのご家族が納得できないと,やがて億単位の賠償金請求へ……とエスカレートする可能性を秘めています。

死に直結する病気から鑑別診断

 どうしてあのとき,あの病気を想定しなかったのだろうか? ――「後悔先に立たず」ということわざにもあるとおり,診断や治療の意思決定の段階で,つい,思考回路の優先順位付けが甘くなり,結果として痛い目を見ることがあります。

 例えば急な「胸痛」で来院した中高年の患者さんなら,すぐさま思い浮かぶのはACS(acute coronary syndrome:急性冠症候群)でしょう。直ちに心電図,胸部X線写真,トロポニンをはじめとする血液検査をオーダーして,ACSを疑う所見があれば循環器科にバトンタッチ,緊急カテーテル検査へ,と進んでいきます。

 ところが初診でこれといった異常所見がない場合はどうでしょうか。ACSは除外されているし,空きベッドも少なければ,そしてそれほどひどい胸痛でもなければあえて入院は考えず「とりあえずは心配ないから,また痛くなったら受診してください」と説明して帰宅させることもあるでしょう。大抵はこれで問題はないのですが,帰宅後に容態急変して一気に病状が悪化し,これまでもたびたび紛争化しているのが「大動脈解離」です。

 あとから冷静になって考えれば,急な胸痛でまず疑うのはACS,大動脈解離,肺血栓塞栓症の3疾患であり,鑑別診断として医学書にも明記されていて,対応が遅れるとまさに命取りです。適切な診断に至るまで多少のタイムラグがあっても,後遺障害さえ残らなければ「結果オーライ」ですが,期待はずれな現実と向き合った場合は「誰の責任か」という話へと発展しがちです。その前提として,病気の重症度とは無関係に,早く対応していれば「治ったはず」,もしくは「もう少し長生きできた」とされてしまうのです。

 こうしたむなしいやりとりを経験すると,次に「胸痛」の患者さんが来院すればACSと同じくらい慎重に「大動脈解離」を除外するようになり,同じ轍は二度と踏まなくなるでしょう。もう一歩踏み込んで,急な胸痛の患者さんには直ちにCT検査をして,未然に見逃しを防ぐ「システム」を整備している病院もあると聞いています。

外的要因によるバイアス

 医師というプロフェッショナルである以上,どのような状況でもベストな洞察力をもって診断や治療に当たるべきです。とはいうものの,私たちも感情に左右される人間ですので,外的要因の影響を完全に除外することは難しいと思います。

 例えば,日勤帯の手術や検査が長引いてクタクタになり,そのまま夜間の当直業務に移行したとしましょう。そこへ一見したところ重篤感のない中年女性が,「深夜」に歩いて来院し受付を済ませました。話を聞くと相当な酒豪で,ずいぶん前から倦怠感があり,今日も宴会の後で気持ちが悪くなり,めまいやふらつき,食欲がない,家でもつらいから入院して調べてくれないか,とアルコール臭を漂わせながら訴えてきました。しかも非常に混雑した夜間外来であるにもかかわらず,10年前の追突事故の後遺症を執拗に訴え,だるい,眠れない,不安だ,やる気が出ないなど,延々と不定愁訴が続きます。

 このようなときでも優しく思いやりのある気持ちで,患者さんの言うことに耳を傾けるのが理想ですが,深夜の救急外来です。思わず「コンビニ受診,アルコール依存,プシコ,心因反応」という言葉が頭をよぎり,さらには「クレーマー,モンスター」と感じても無理はありません。その結果,「迷惑患者」というレッテルのもとに陰性感情が鬱積してしまい,つい,「お酒を飲んでいないときなら診察します,心療内科に行ってください」と話を遮ることもあるでしょう。それでも入院を希望する患者さんには,「こんな状態で入院していたらベッドがいくらあっても足りませんよ」と突き放してしまいたくなる気持ちもよくわかります。

 こうした陰性感情により診断や治療にバイアスがかかって,必要な検査や入院を断ったがために,脳血管障害などの診断遅延につながって紛争化した事例も少なからずあります。たとえ酔っ払いの患者さんでも,応招義務に基づいて診察を開始したならば,その背後に隠れた病態を把握しなければなりません。

医療事故の舞台裏を知ること

 医療事故を経験した医師の多くは,まさか自分が医療事故に巻き込まれるとは思いもしなかった,という正直な感想をもっています。ひとたび紛争へ発展すると,患者さんやそのご家族から罵詈雑言を浴びることもしばしばで,病院のなかでも孤立し,やがて抑うつ状態となって診療すらできなくなる,という深刻なケースもありました。

 ではどうすれば医療事故を未然に防ぐことができるのか? その手掛かりとして,過去の医療事故を「ワクチン」と考えてはいかがでしょうか。われわれの先輩・同僚たちがこれまでに遭遇した医療事故を「疑似体験」し,どのような場面で事故が発生し,どういうやりとりを経て解決へと至ったのか,その舞台裏までのぞいてみるのです。

 過去の医療事故は決して他人事ではなく,「明日はわが身」の"自分ごと"です。大動脈解離を見逃した症例を「知る」ことにより,胸痛患者の診断力が向上しますし,酩酊患者の神経疾患を診断できなかった症例を「聞く」ことが,診察時のバイアスを排除する有効な手段となるでしょう。私自身も普段の外来診察で,これまで見聞きした医療事故をいろいろな場面で思い出し,患者さんが納得できる医療となるように「説明」,「カルテ記載」することを心掛けています。

 このように過去の医療事故を「ワクチン」として接種することが,将来遭遇するかもしれない医療事故への高い免疫力となります。その結果,間違いをゼロとは言わずとも,可能な限り減らすことに結び付き,患者・医師双方にとって望ましい医療につながる。私はそう考えています。


長野展久氏
1985年東京医歯大医学部卒。同大病院 ,総合病院土浦協同病院,取手協同病院(当時)を経て,93年より東京海上日動メディカルサービスおよび海上ビル診療所。内科診療の傍ら,病院・診療所・企業のリスクマネジメントを担当する。2001年からは東京医歯大大学院非常勤講師(法医学)も務める。昨年『医療事故の舞台裏――25のケースから学ぶ日常診療の心得』(医学書院)を上梓。

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