医学界新聞

インタビュー

2013.06.03

【interview】

超高齢化時代のリハビリテーション
量的拡大から,質的向上へ

伊藤 利之氏(横浜市総合リハビリテーションセンター顧問)に聞く


 超高齢社会を迎え,ますますニーズが高まるリハビリテーション(以下,リハ)。需要の増大に伴い,回復期リハ病棟や老人保健施設,訪問系サービスなどをはじめ,さまざまな場でリハにかかわる医療者が増加している。

 本紙では,『今日のリハビリテーション指針』(医学書院,6月発行予定)の編集を務めた伊藤氏に,これまでのリハの歩みとともに,現在の需要増大によって生じている問題点や,リハ医学の今後の課題について話を聞いた。


かつて“後療法”“後始末屋”と呼ばれて

――2013年は,リハ医学会の創立50周年に当たる年ですね。

伊藤 ええ。この50年間で,リハの位置付けは大きく変わったと感じます。

 私が大学を卒業しリハ医学を志した1970年ごろは,医学界においてリハの存在意義はあまり理解されていない状況でした。当時,他科の医師のなかには,自分たちの治療が終わった後の,“後療法”“後始末屋”と思っている方が多かったのではないでしょうか。

 もちろん「リハは大事な分野である」とは皆,言っていたんです。本来リハがもつ思想が「全人間的復権」なわけですから,医師であれば重要と言わざるを得ないでしょう。ただ,それでも十分な理解が得られなかったのには,医学モデルでは扱い切れない障害を対象とする分野であったことや,かかわりのなかで対象者がもつ力を引き出すリハの技法に対し,「本当に医師がやるべきことか」と訝しく思われていた節があったのかもしれません。これに対し,当時のわれわれには,治療技術の科学的根拠を示す十分な力もなかったですし,経験からその有効性を主張できるほど歴史も深くはありませんでした。

――では,一般社会においては,なおのこと認知度は低かったのではないでしょうか。

伊藤 当然,世間では「リハビリテーション」という用語すら知られていなかったと思います。私の入局祝いで飲食店に「リハビリテーション科」名義で予約したところ,当日お店の看板には「リパピリテーション科」と書かれたこともあったくらいでしたからね(笑)。

時代とともに変わってきた対象者

――臨床現場で見られてきた変化について,簡単に振り返っていただけますか。

伊藤 まず70年代は,二次障害をいかに改善させるかがリハ医の主な役割だったように思います。当時は,急性期・回復期の管理,機能訓練も不十分だったために,脊髄損傷や切断例の合併症,長期にわたる安静臥床による廃用症候群などの二次障害をもつ方が,現在では考えられないくらいたくさんいました。

――どうして急性期・回復期の管理は不十分な状態にあったのでしょう。

伊藤 70年代の日本には,早期からリハを実施できる環境が十分に整っていなかったのが一つの理由です。当時,リハを実施する病院というと,広いスペースの取れる地方の温泉地にしかなかった。都市部から離れた地域ということもあって,入院する方は急性期の患者どころか,安静臥床を2-3か月以上過ごした方ばかりでした。都市部にもリハを行う施設は極少数あったのですが,早期からリハを実施する病院はかなり限られていたと思います。このような医療環境が,安静臥床による関節の拘縮,筋力低下などの廃用症候群,褥瘡や異所性骨化などの合併症を起こす患者さんを生んでいたのです。

 しかし,80年代以降,高齢化対策の意識が高まり,リハの医療環境は急速に充実しました。まずリハに対する行

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