医学界新聞

寄稿

2012.11.26

視点

“第三次坂の上の雲”としての医療イノベーション

野元正弘(愛媛大学大学院医学系研究科教授・病態治療内科学)


 正岡子規と秋山好古・真之兄弟を主人公とした『坂の上の雲』は,松山を舞台に明治の日本を描いた司馬遼太郎の小説である。NHKでドラマ化されたこともあり大きな話題となった。この時期は坂の上にある雲をめざして日本人が駆け抜けた,凄惨であるが,妙に明るい時代でもある。

 『坂の上の雲』の明治時代は繊維工業の時代であり,木綿の衣服を作り世界に輸出した。この後,日本の産業は40年周期で推移する(図1)。昭和にはラジオ,テレビ,電気製品,オートバイなどの製造技術を発達させ,さらに自動車が産業の柱となった。平成に至り,新興国の台頭と円高により,多くの工場が海外へ転出しつつある。日本が新興国から先進国,さらに成熟国へ発展する過程で,産業の形態も変化してきたと言えよう。そしてこれからの日本では,ヨーロッパをモデルとした技術集約産業や,医薬・医療機器産業が大きな柱となることが期待される(図2)。

図1 40年周期で推移する日本の産業

図2 柱となる産業形態の移り変わり

 日本の医学研究は,主要基礎研究論文数では米国,ドイツ,英国に次いで4位を保っているが,主要臨床研究論文数は25位であり,中国,ブラジルにも追い抜かれている1)。ソニー,パナソニック,トヨタ自動車などの企業努力により,工学分野において日本は世界をリードするようになった。同様に,医学分野でも世界をリードして新しい治療薬や医療機器を生み出すには,医師の気概と一般社会の応援および理解が必須である。

 日本における医学研究が新たな治療薬と医療機器を産出し,世界に貢献できる医療を創り出すことを期待するとともに,自らも努力を続け,“第3次坂の上の雲”を到来させることをめざしてまい進していきたい。

1)医療産業政策研究所.政策研ニュースNo.35,2012.


野元正弘
略歴/1977年群馬大医学部卒。84年英ロンドン大King's Collage Institute of Psychiatryを経て,86年国立水俣病研究センター内科室長,88年鹿児島大講師, 90年同大助教授。2001年より現職。

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