医学界新聞

寄稿

2012.10.15

【寄稿】

ジェネラリストによるロンドン五輪奮闘記

小林 裕幸(筑波大学附属病院水戸地域医療教育センター 総合診療科准教授/ロンドン五輪自転車競技チームドクター)


 日本史上最多のメダル数獲得を果たしたロンドンオリンピック。毎日のメダルラッシュで日本中が盛り上がりをみせた。自転車競技のチームドクターとして2週間サポートした筆者の経験を,舞台の裏側から報告する。

日本自転車競技チームをサポートして感じたこと

 自転車男子個人ロードレースは,ツール・ド・フランスで活躍した新城幸也選手,北京オリンピックに出場した別府史之選手が出場。別府選手は,大会直前に右下腹部痛を訴え,当初は急性虫垂炎かと心配したものの,病歴と腹部所見によりアミノ酸の取り過ぎによる下痢症と判明。「整腸剤で大丈夫」と選手を安心させ,レースでは最後まで先頭グループに残る活躍で,見事22位の結果を残した。帯同ドクターとしては,検査に頼らず,病歴と身体所見による鑑別が重要であることをつくづく認識した。

 さらに別府選手は,個人ロードタイムトライアルで37人中24位であったものの,北京ではトップ10との差が6分あったのが今回は1分30秒となり,長距離種目での世界との競技力の差が縮まっていることを確認した。海外での強化の成果であることと,L・アームストロングの疑惑などで問題になったドーピングの厳密化が,クリーンな日本にとってプラスに働いていると考えている。

 男子チームスプリントでは,日本の競輪選手である渡邉一成選手,新田祐大選手,中川誠一郎選手が出場。8位入賞したものの,アテネオリンピックの銀メダル,北京オリンピックの銅メダルに続く3大会連続メダルはかなわなかった。オリンピック直前(4月)の世界選手権ではのびのびとした走りで4位の結果を残したものの,今回は緊張で固くなったようで,メンタルサポートの重要性を再認識した(体操の内村航平選手でさえ,まさかの落下をしたことも,オリンピックという潜在意識下のプレッシャーであろう)。水戸協同病院総合診療科の同僚である精神科専門医の金井貴夫医師によると,金メダルを計6個取り,女王陛下より「伯爵」の称号を与えられた自転車競技選手クリス・ホイは,試合直前の呼吸数が他国の選手は1分間に20回以上だったのに対し,1分間に6回だったそうだ。英国がメンタルトレーニングを重視していることの現れであろうと考えている。

 ドクターの仕事としては,選手の毎日の体調管理が中心で,安静時心拍,体重,睡眠時間,睡眠の質,自覚症状,顔色,パフォーマンス,トレーナーからの報告などを参考に判断する。このほか,役員の数が少ないため医療以外の仕事もこなし,荷物の移動,チームの報告など事務手続き,飲料水・食料・氷の用意,スケジュール管理などを行い,選手が最高のパフォーマンスを発揮できる環境づくりを心がけた。

地元英国の圧倒的な強さの秘密

 英国では,特に自転車競技は国技ということもあって国民にも大変人気があり,ロイヤルファミリーや,ポール・マッカートニーも応援に来ていた。自転車競技だけで金メダル8個を獲得し,本番で圧倒的な強さを見せた。

 その秘密を,英国チームのドクターであり,チームスカイ自転車ロードチームのドクターを兼任するリチャード・フリーマン氏に聞くことができた。彼は,筆者と同じ総合医で,サッカープレミアリーグ・ボルトンのチームドクターの経験もある。「ツール・ド・フランスでチームスカイに行っていたサポートを,今回の英国チームにも同様に適用した」と教えてくれた。また,「強さの秘密は,トレーニング,リカバリー,栄養,サプリメント,器材開発,メンタルサポートなど,当たり前のことを強い組織で分担して確実に行っただけだよ」と述べた。つまり,スポーツ医科学を重視し,チームで組織的に強化,サポートする体制が成就したと言ってよい。

 英国チームはオリンピックに合わせ,新規の自転車フレーム,レーザーレーサーのようなレーシングスーツを用い,4月の世界選手権とは全く違う次元の結果をすべての選手が見せていた。また最近,英国,オーストラリアでは,練習後のリカバリーが重視され,個々人に合わせて管理された運動後の栄養,サプリメント,水分補給などが行われている。さらに,バッテリー付きのウォームアップパンツを本番で使用し,下肢を0.5℃暖め,筋出力を高めるといった対策を取っていたが,これは,むしろ,対抗国に対する心理作戦の意味もあったようだ。

ジェネラリストとしてのスポーツドクター

 現在,日本では,Jリーグ,野球,他の競技団体におけるチームドクターの約9割は,整形外科医が担っている。しかし,チームに合宿や試合で帯同すると,競技にもよるが,整形外科の問題は2-3割で,その他はプライマリ・ケア領域の問題となり,まさにジェネラリストの素養が必要となる。専門医が行う専門以外の診療範囲は,個々の医師の素養によるところが大きく,アスリートに必要な医療を提供することが時に困難なこともある。事実,ロンドンオリンピック期間中の自転車競技でサポートした疾患範囲は,整形外科(仙腸関節炎,腰痛症)は23%であり,他は内科系(気管支炎,腸炎,喉頭炎,口内炎など)50%,精神科(睡眠障害,メンタルサポート)15%,眼科(結膜炎)4%,皮膚科4%(湿疹),産婦人科4%(月経困難症)であった。

 筑波大学附属病院水戸地域医療教育センターでは,スポーツ整形の専門医とタイアップしながら,内科系ジェネラリストが整形外科以外のアスリート診療を行っており,メディカルチェックや,発熱,貧血,気管支喘息,花粉症,不整脈などの内科的疾患のほか,ウィメンズケア,ドーピングコントロール,栄養・コンディショニング,メンタルケアなどを担当している。現在は,自転車ナショナルチームのサポートのほか,サッカーJ2の水戸ホーリーホック,女子バスケットWリーグの日立ハイテクなどの選手を診療している。

プライマリ・ケアスポーツ医学に興味のある方へ

 学生や医師の中には,スポーツが好きで,何らかの形でスポーツにかかわりたいと興味を持つ方がたくさんいる。ただ,現状で日本には,米国,オーストラリアのような臨床研修を伴ったスポーツドクターの資格制度はまだ存在しない。

 例えば米国では,家庭医療専門医取得後に,スポーツ医学のフェローシップコース(1年)がある。研修では,プロをはじめ大学・高校のチームのサポートを担当し,平日は,スポーツクリニックやプライマリ・ケア外来,学校での診療をしながら,週末は試合をサポートする。日本では,初期臨床研修後の専門医制度の確立がこれから始まろうとしている段階であり,その先のスポーツ医の専門性を学会が認証する制度を確立するには,まだまだ時間がかかると思われる。当院に見学に来られる方には,「初期臨床研修後にすぐにスポーツ医学だけを学ぶのは時期尚早であり,スポーツドクターとして質の高い医療を提供するために,まずはジェネラリストの勉強(プライマリ・ケアやER)をすることが,トップアスリートをケアする上で必要」と説明している。

 以上,五輪に帯同した経験と私見を述べた。今後,トータルにチームの選手をケアする総合医型のスポーツドクターは,老若男女を問わず地域で必要であり,日本でも普及することを期待したい。

写真左上:現地コメディカルの訓練の様子。患者の頸椎を保護しながらバックボードに載せる。
写真左下:日本チームのピスト用自転車。ブレーキがなく,自動車並みの値段。
写真右上:ケイリンのスタートの様子。走路は松の板張りで一周250メートル,最大斜度は42度。


小林裕幸氏(写真中央)
1990年防衛医大卒。93年より米国カリフォルニア大に留学し,家庭医療専門医取得(Resident teaching award受賞)。自衛隊衛生学校,防衛医大総合臨床部を経て2009年より現職。徳田安春教授と共に,守備範囲の広い「イチロー型総合医」の研修体制を立ち上げる。順大スポーツ健康科学部客員准教授。筑波大スポーツ医学専攻教員。自転車競技連盟チームドクター(シドニー,アテネ,北京,ロンドンオリンピックに帯同)。サッカーJリーグ水戸ホーリホックチームドクター。写真は,別府史之選手(左),新城幸也選手(右)とロンドンオリンピックにて。

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