外科医のノンテクニカルスキル(円谷彰)
寄稿
2012.08.06
【寄稿】
外科医のノンテクニカルスキル
患者の安全のために望まれる行動と能力
円谷 彰(神奈川県立がんセンター 消化器外科部長)
日本には,「遠慮」や「察し」,また方向・強度・時間などの因子を無視した「頑張れ」や「あまえ」などのコミュニケーションにおける文化がある。これらは,日本の社会や産業を支えてきた良い側面も多く持つが,ハイリスク産業においてはリスク管理を阻害する因子ともなり得る。
例えば航空産業では,人・機器・情報などのリソースを有効利用し安全を確保するためにCrew Resource Management (CRM)が開発され,Human Factor(人的要因)などに関するスタッフ教育を通じて航空機事故の減少に寄与してきた。一方,医療における外科手術も非常にハイリスクな分野であるが,CRM的手法は一般化されていない。
人的要因によるエラーを最小限に抑えるために
ノンテクニカルスキル(Non-Technical Skills; NOTS)は,認知的,社会的,または個人的な資質に起因するスキルである。安全かつ効率的にタスクを遂行するためには欠かせないスキルであり,専門的な手技(テクニカルスキル)では補われない(図)。NOTSは特殊な技術を必要とするものではないが,"当たり前のことを当たり前にやる"という理解では不十分で,タスクを阻害し得る人的要因の"科学"や"お作法"を学び,理解することが必要となる。
図 テクニカルスキルとノンテクニカルスキルの関係 |
治療の際に患者の安全に関与する人的要因は,(1)文化と法制度,(2)組織とマネジメント,(3)チーム,(4)個人,(5)環境と機器,(6)患者と多岐にわたる。このうち,組織マネジメントやチーム,個人の技術やスキルなどの多くはNOTSを身につけることで,エラーの要因となりにくくさせることができる。治療におけるチームの定義としては,(1)専門性,(2)階層,(3)集中的なコミュニケーション,(4)変化に対応するための適応性のある戦略開発などが挙げられ,このうち(3)(4)がNOTSの向上によってエラーの原因となりにくくなると考えられる。
手術エラーの43%がコミュニケーションの不足,総胆管損傷の97%が状況認識の失敗に起因することを明らかにした諸家の報告では,NOTSの重要性が示唆されている1,2)。また,世界保健機関(WHO)の研究では,チェックリスト導入前後で外科的治療における合併症発生率が36%,死亡率も47%低下したエビデンスが報告された3)。このチェックリストの効果は,NOTSの実践とスキルアップの影響を大きく受けていると思われる。
外科医のテクニカルスキルとNOTSは相関する
外科医の技能は,テクニカルスキルのみで決定されるのだろうか。海外の研究報告では,優良な外科医の要素として,性格や器用さだけでなく,認知・行動能力などNOTSに関連する項目もかなり重視されている4)。
日本の外科手術は国際的にも非常に高いレベルにあり,例えば胃癌の根治的リンパ節郭清(D2)は世界的にも専門施設を中心に普及し,European Society for Medical OncologyやNational Comprehensive Cancer Networkのガイドラインに収載されるに至った。胃癌手術の"匠"と呼ばれる外科医の手術を外からみると,NOTSに長じていることがわかる。例えば,起こり得る状況を先読みし全体像を把握する認識力や,仲間に配慮してチームワークを構築するスキルなどがみられる。
これを裏付けるように,NOTSの要素と技術的スキルの関連をみた研究では,両者は全く独立した能力ではなく,単変量ではすべて互いに関連があることが明らかになった。また,多変量解析では,意思決定能力とテクニカルスキルとの間に有意な相関が示されている。
以上より外科医に求められるcompetencyとして,エビデンスに基づいた高度な手術を行うことのみではなく,NOTSを向上させることにより安全かつ効率よくチーム全体のアウトカムを示してゆくことが望まれる。
NOTSを身につけるための行動評価システム
手術におけるNOTSは日常的なスキルではないため,具体的に分析して評価するにはその行動指標,客観的な基準や評価システムが必要になる。ハーバード大学病院のSteven Yule教授らが安全な外科手術とその教育を支援する目的で開発したNon-Technical Skills for Surgeons (NOTSS)では,(1)状況認識,(2)意思決定,(3)コミュニケーションとチームワーク,(4)リーダーシップの4つのカテゴリーについて,観察可能なスキルが項目化されている(表)。NOTSSは手術前および術中の外科医の行動を階層的に観察し,これを術後に振り返ることによって,訓練の必要性を明らかにし,手術におけるNOTSのスキルアップをめざすシステムツールだ。先述の外科の"匠"にみられたスキルも,NOTSSの要素に相当する。われわれは2008年から研究会を通じてYule教授らとNOTSSを検討してきたが,同システムが国境と文化を超えて有効であることが判明してきており,外科医が手術室におけるNOTSを身につけるためには,NOTSSが最も有効なシステムの一つであると考える。
表 NOTSS:スキル分類法(文献5より改変して引用) |
*
人間は"Pattern Seeking Primates"とも称され,物事を単純に記憶するのではなくパターン化することで論理的思考や進化を可能にしてきた。しかしこのパターン化には,認知心理学でconfirmation bias(確証バイアス)と呼ばれる思い込みやバイアスが不可避である。より良い医療を実現するためには,近年急激な広まりをみせたEBMだけではなく,患者中心の医療文化を根付かせる基礎となるNOTSの理解が欠かせない。すなわち,臨床的な技術とNOTS両者のバランスのとれた訓練が必要となる。
NOTSS研究会では,e-learningを含めたNOTSS研修を多忙な外科医に提供するためのコンテンツを作製した。またNOTSSの観察研究も進行中である。今後は学会レベルでのNOTSS教育システムの整備のみならず,学生教育にも取り組みたい。
◆文献
1)Gawande AA, et al. Analysis of errors reported by surgeons at three teaching hospitals. Surgery. 2003; 133 (6): 614-21.
2)Way LW, et al. Causes and prevention of laparoscopic bile duct injuries: analysis of 252 cases from a human factors and cognitive psychology perspective. Ann Surg. 2003; 237 (4): 460-9.
3)de Vries EN, et al. Effect of a comprehensive surgical safety system on patient outcomes. N Engl J Med. 2010; 363(20): 1928-37.
4)Cuschieri A, et al. What do master surgeons think of surgical competence and revalidation? Am J Surg. 2001; 182 (2): 110-6.
5)Yule S, et al. Development of a rating system for surgeons' non-technical skills. Med Educ. 2006; 40 (11): 1098-104.
円谷彰氏 1983年北大医学部卒。横浜市大第一外科入局。癌研病院,米国メモリアルスローンケタリングがんセンターなどでの研修を経て,2006年より現職。胃癌を中心に診療・研究をすすめ,日本胃癌学会ではガイドライン作成や研究推進委員を務める。08年からはS. Yule教授と協同でNOTSS導入に取り組み,11年からは東医大医療安全管理学の客員教授として共同研究を開始。 |
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