医学界新聞

対談・座談会

2012.03.26

座談会
ICTで実現する,新たな“日本の医療”

小倉 真治氏(岐阜大学大学院教授 救急・災害医学分野)=司会
田中 博氏(東京医科歯科大学大学院教授 生命情報科学教育部)
神野 正博氏(董仙会恵寿総合病院理事長)


 社会を大きく変えたICT(情報通信技術)。ユビキタスなネットワークが実現しつつあるなかで,その技術を医療に応用する取り組みが活発になっている。内閣府IT戦略本部は,2010年に医療分野の新たな情報通信技術戦略として「どこでもMY病院」構想(MEMO(1))とシームレスな地域連携医療の実現を表明。自身の医療・健康情報を全国どこでも電子的に管理・活用できる日が近づいている。

 本座談会では,医療のICT化を実践している3人が日本の医療の形を変えつつあるICTの在り方を議論。東日本大震災での経験も踏まえ,真に役立つ日本の医療ICTについて展望した。


小倉 本日は,ICTがかなえる日本の医療の将来像について考えていきたいと思います。まず,日本の医療ICTはどのように発展してきたのでしょうか。

医療ICTの歴史を振り返る

田中 日本の医療はかつて,個々の病院が治療の責任を最後まで持つ「病院完結型」で行われてきました。しかし,医療費の増大や医師不足,病院の経営難などで医療を病院で完結させることが難しくなった今日,日本の医療は「地域連携型」にシフトしつつあります。1980年代に院内の医事情報や検査・処方オーダの電子化から始まった医療ICTは,そのような変化のなかで,病院医療の電子化という当初の目的から,地域連携型医療を支えるために必要不可欠なインフラとして注目を浴びてきています。

 医療ICTの歴史で大きな節目になったのは,厚労省が2001年に公表した,「保健医療分野の情報化にむけてのグランドデザイン」です。この方針に従い02-03年に約250の病院に電子カルテが整備され,これが本格的な電子カルテ普及の契機となりました。一方,地域連携における医療ICTの活用は,01年に経産省の助成のもと全国26地域で行われた,「先進的情報技術活用型医療機関等ネットワーク化推進事業」がきっかけとなっています。このとき誕生した,千葉の「わかしお医療ネットワーク」や香川の「かがわ遠隔医療ネットワーク」などは第一世代の地域医療情報連携と呼ばれ,現在も継続して地域医療連携をリードしています。

小倉 当初は国による政策的な誘導があったのですね。

田中 ええ。ただ,医師不足が表面化した04-05年ごろ,慢性疾患患者の増加もあり,急性期病院も地域の診療所や回復期の施設と連携しないと医療を維持できないという危機感から,地域連携型医療への移行が現場レベルでも求められてきました。

 地域連携型医療は,診療情報の医療施設間ネットワークによる共有など,医療ICTのインフラがなければ実現しません。ですから,医療環境の変化も医療のICT化への後押しとなりました。この時代以降に構築されたのが,函館市を中心とした「道南MedIka」や長崎の「あじさいネットワーク」など第二世代の地域医療情報連携です。

 そして現在では,医療だけでなく介護や生活支援とも連携する「地域包括ケアシステム」の構築も進められています。日常生活圏の健康医療情報の収集や活用にまで,医療ICTの利用範囲が広がってきています。

小倉 地域包括ケアシステムの構築は,現在国会で審議されている「社会保障・税一体改革」でも重視されている点ですね。

 神野先生の施設では早くからICT化を試み,地域連携を実践されています。能登医療圏も医師不足などのあおりを受けたと思うのですが,何が医療ICT推進のモチベーションになってきたのですか。

神野 当院では,1993年のオーダリングシステムの導入を皮切りに,医療・介護・福祉・保健の情報を一元管理する「けいじゅヘルスケアシステム」の構築などICT化を進めてきました。その最大のモチベーションは,実は少子高齢化です。地方では高齢化に加え,人口の減少が急速に進んでいます。そのような社会で高齢者を支えるためには,医療の世界の地域連携だけではなく,医療・介護・福祉・保健をシームレスにつなげた体制を構築する必要がありました。こうした危機感から,当院の取り組みは始まっています。

小倉 そのような危機感は,まさに現在の医療ICTの基礎となっていますね。

地域全体をつなぐ情報という“横串”

小倉 今日,特に救急領域では医療の高度化が進み,ドクターヘリなどの搬送手段の充実で単独の二次医療圏を越えて質の高い医療が可能になってきています。つまり医療の質向上が医療圏を拡大する目的となり,二次医療圏にとどまらず全国で利用可能な医療連携システムが求められてきています。

 私が主査を務める内閣府IT戦略本部「医療情報化に関するタスクフォース」では,そういった社会の流れを受け,医療・介護の情報は誰のものかを明確にするところから連携の在り方を検討しました。

田中 医療・介護の情報は患者や要介護者本人のもの,という考えが「どこでもMY病院」構想につながったのですね。

小倉 ええ。タスクフォースでは,散逸を防ぐため情報は電子化すること。さらに,その情報を利用できる医療機関がないと利用者の利益につながりにくいことから,二次医療圏を越えて切れ目のない情報連携を医療機関同士ができるよう「シームレスな地域連携医療」という理念が打ち出されました。

 現在,経産省の医療情報化促進事業として実証事業が開始されていますが,能登地域はそのフィールドの1つですね。

神野 はい。能登地域では,高齢者にターゲットを当て,医療機関だけでなく薬局や介護施設との連携をめざした「どこでもMY病院」構想の実証実験を行っています。

 具体的には,情報は患者自身が管理する方式,PHR(MEMO(2))を採用しています。記録は原則クラウド上で管理し,そこに患者から依頼された医療機関,薬局,介護保険施設,あるいは患者本人が情報を入力します。お薬手帳の情報を拡大したようなシステムで,処方薬とその服薬確認や血圧・血糖の記録,食事内容の記録などを行います。情報の信頼性を判断するため入力者の名前も記入する点がポイントです。

田中 これまでは,医療機関や介護施設がそれぞれ別のシステムで情報を記録していたため,お互いのケアは見えない状況だったと思います。能登地域のような,一つのシステムにいろいろな方が書き込むという“横串”を通したシステムは,これからの地域包括ケアシステムの基本となりますね。

小倉 そもそも医療自体でも,そういった“横串”の必要性は以前から訴えられていました。産科での妊婦受け入れ不可といった事例に対し,「対応可能」という救急医もいたのですが,彼らに声を掛ける仕組みはなかったのです。

 そこでわれわれは,地域の救急医療体制全体にかかわる情報を一元管理するGEMITS(救急医療体制支援システム,)を立ち上げました。救急外来ではこれまで,例えば抗凝固薬の服薬の有無という一つの情報がないだけで医療介入が遅れることもあったため,このシステムで患者情報を医療機関が迅速に入手し,最短時間で最適な医療チームに患者を搬送する「救急医療の全体最適化」をめざしています。

 GEMITSの全体像

神野 患者情報の管理はどのように行っているのですか。

小倉 住所・氏名などの基本情報と通院歴やアレルギーなど救急に必要な医療情報を載せた「MEDICATM」というID番号を持ったICカードで,患者自身が管理しています。

 救急から始まったMEDICATMですが,これを見た介護施設側からの提案で,このシステムの利用範囲は介護分野まで広がってきています。

神野 正直なところ,介護との連携に興味を持つ急性期の医師はまだまだ少ないので,地域連携の推進にはまず何かしらの“横串”となる仕組みが必要です。医療や介護の現場を担う方々が意識しなくても,後方ですべての情報がつながることができる仕組みであれば,広く受け入れられると思います。

小倉 医療と介護ではニーズが違いますが,中心となる患者や要介護者を主体とした情報であれば,お互い使いやすくなりますよね。

共通ID番号の議論の進捗状況は?

神野 MEDICATMのように急性期と介護で共通のID番号を用いることは,地域包括ケアの実践で重要です。「どこでもMY病院」構想のID番号の付け方は,どこまで決まっているのですか。

小倉 タスクフォースで現在決まっているのは,ID番号の初めに地域番号を付けることだけです。個人的には,全国で統一したいと思っています。

田中 社会保障と税の共通番号として現在国会で議論されている「マイナンバー法」の個人番号に医療情報を乗せる可能性はないのですか。

小倉 理念的には「医療情報を含める」という答申が出されているのですが,いろいろな意見があるようです。タスクフォースではまず,医療に用いるID番号は利用者が任意に保有する方向で議論をしているので,将来マイナンバーと医療用IDを“ヒモ付け”できるような仕組みを整えておけばよいと考えています。

神野 共通ID導入のメリットとデメリットを国民にどれだけ示せるかが,今後のカギになると感じています。プライバシーの低下や情報漏洩のリスクというデメリットを国民が感じるのはもっともなので,メリットがそれを上回れば導入するという結論でよいのではないでしょうか。

小倉 目に見える明確なメリットがない限り,国民の大多数の賛同を得ることは難しいでしょう。

田中 現時点でのマイナンバー法の議論では,医療費と介護費を合算して控除の対象になるくらいしか国民にはメリットがない状況なので,今後に期待したいですね。

共有する情報を絞る勇気も大切

小倉 各地でICTの実証事業は進んでいますが,標準化が遅れているという課題もあります。

田中 日本の医療ICTは,各地域で別々のシステムから始まったという歴史的な事情もあり,標準化は確かに遅れていますが,その道筋は明確になってきています。例えば診療情報では,厚労省が主導するSS-MIXを導入し,異なるベンダーが供給するシステム間でも情報交換が可能となりました。

小倉 共通のプラットフォームが採用されても,実際に入力する情報のレベルが標準化されなければ,意味がないですよね。

田中 確かに,SS-MIXが規定しているのは基本事項ばかりで,情報の連携範囲や実際に共有する診療項目などのタームは含まれていません。構文だけの標準化では実質的な共有にはならないため,やはり疾患ごとに連携する情報の範囲を医療者自身が定める必要があります。

小倉 しかし,例えば脳卒中では,標準的なパスにはどの情報が必要かという議論は始まっていても,地域によって収集する情報に差があるのが現状です。地域ごとに異なる事情があるなかで,共有範囲はどのように定めればよいのでしょうか。

田中 どの疾患でも必要最低限の情報のみを共有し,それ以上の情報は地域ごとの特性に合わせた“オプション”として加えていくのがよいと感じています。

小倉 大規模病院にいると,「こんな情報もあったら便利」ということでついつい多くの高度な情報を要求しがちですが,それが日本の医療の電子化を阻害してきた気もしますね。

神野 ほしい情報を医療者が議論すると際限なく出てしまうので,勇気を奮って絞ることが大切です。

電子化のハードルを下げる“コールセンター”

小倉 一方で,医療用語は住民や介護者にとって理解が難しいため,医療者側だけで決定した標準の形式が,地域のICT化を妨げている面もありますよね。

神野 私の施設では,情報の入力にコールセンターを利用することで能登半島全域の脳卒中患者の大部分を登録することができま

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