医学界新聞

インタビュー

2011.09.26

interview

ベナー博士を語る
「パトリシア・ベナー博士来日講演会」開催に寄せて

南裕子氏(高知県立大学学長)に聞く


 2011年11月,「パトリシア・ベナー博士来日講演会」(主催:医学書院)が開催される。本紙では開催に先駆け,講演会で司会を務め,公私ともにベナー博士との交流がある南裕子氏にインタビュー。ベナー博士の魅力,素顔,そして講演会の見どころを聞いた。

※講演会の詳細は,セミナー案内ページをご参照ください。


―― パトリシア・ベナー博士との出会いについて教えてください。

 初めてお会いしたのは,私がカリフォルニア大サンフランシスコ校(UCSF)での博士課程を修了し,聖路加看護大学に勤めていたころですね。そこで定期的に開催していた「聖路加看護大学公開講座」に講師として来ていただきました。

 と言うのも,公開講座で『システム理論』をテーマにした際,UCSFのパトリシア・R・アンダーウッド博士を講師にお招きし,「さらにもうお一人,UCSFから講師をお招きしたい」と彼女に相談したところ,ご紹介いただいたのが,私とすれ違いにUCSFにいらしていたベナー博士だったのです。

 このときの講演(初出『看護研究』18巻1号,1985年/『看護研究アーカイブス第1巻』に再録)で彼女が提示した理論の斬新さには感銘を受けました。

“もやもや”感を解消する理論

 感動したお話の一つが,彼女の初期の研究テーマでもあった,看護師が技能を習得していく過程で5段階のレベルを経ることを示した理論です()。日本の看護の現場では経験を重視する伝統がありながらも,「経験が看護師にとってどのような意味を持つのか」という点については理論的な理解が進んでおらず,私自身も疑問に思っていたところでした。べナー博士の5段階モデルの理論は,看護師の成長のプロセスを示すことで,まさに経験の重要性が明確にされており,「なるほど!」と思いましたね。

第1段階:初心者レベル(Novice)
第2段階:新人レベル(Advanced Beginner)
第3段階:一人前レベル(Competent)
第4段階:中堅レベル(Proficient)
第5段階:達人レベル(Expert)
 5段階の技能習得レベル

 もう一つ感動したのが「ケア力」の解説です。そのころは医師が行う治療(キュア)こそが癒されていく力(ヒーリング)につながると考えられていたところがありましたが,「ヒーリングは,看護師のケアによっても起こる」と彼女は理論立てて説明しました。この考え方は興味深いと同時に嬉しかった。これら二つの話は,私たちが“もやもや”と抱え込んでいた疑問に応えてくれたものだったと思います。

 この公開講座以降,UCSFの同窓生ということもあって,一緒に研究をする仕事仲間というより,一緒にお喋りしたりする1人の友人として交流をしています。

ベナー博士の素顔

―― お仕事を離れたベナー博士はどのような方ですか。

 とても気遣いに満ちた方です。博士号を3年で取得,かつコンピュータを駆使した論文を提出した学生がUCSFでは私が初めてだったこともあって,彼女には私が“真面目で遊ばない学生”と伝わっていたようでした。だからでしょうか,べナー博士のところへ私がお邪魔するようになると「ヒロコに大事なのはもっと遊ぶことよ。私がヒロコのレクリエーション・コーディネーターになる」と言って,「劇場ではこんな演目をやっている」「美術館ではこんな展示がある」と遊びのプランを提示してくる。それに対して「勉強目的に来ているのでレクリエーションはできない」なんて反応をしようものなら,「ダメよ,そんなことじゃ!」って彼女に叱られるんですよ。

 こうやって気を配ってくれるのは彼女本来の性格なのかもしれませんが,「遊ぶこと」の大切さは彼女から教わったと思っています。看護はアートに近いところがあって,美術,映画,音楽などのアートと触れ合う中で磨かれていくものです。そのことを実感できましたね。

―― べナー博士は気さくなお人柄のようですね。

 ええ,そうですよ。私も彼女もお喋り好きなので,2人でいると何時間でも喋ってしまいます。

 でもそんな面だけでなく,彼女には研究者として進取に富んだ一面もある。彼女は現場の状況から理論化を図る実証主義者ですが,これまでも自分の関心をどんどんと研究に取り込んでいます。好奇心がとても旺盛なのでしょうね。お付き合いは長いですが,それでも彼女の講演を聴く度に,「ああ,そうだよな」と目から鱗が落ちる思いをすることがあります。

―― 2011年11月に「パトリシア・ベナー博士来日講演会」が開催されます。司会者として,ベナー博士にはどのようなお話を期待されていますか。

 教育課程を修了後,一人前の看護師になるためには「socialization(社会化)」していく必要があると言われています。しかし,そのために必要となるプロセスや,教育方法は必ずしも明確ではありません。

 この点に関する新しい見解をべナー博士から伺うことで,臨床看護師は自分がたどってきた道のりの振り返りを,看護教員は自分たちが行っている指導に対する意味付けを行うことができるのではないかと思います。その中で,驚きや何か新たな発見もあるかもしれませんね。

今こそ看護の原点に立ち返る

―― 南先生は,これまでの災害看護の体制作りへの功績が評価され,第43回フローレンス・ナイチンゲール記章をこのほど受章されました。東日本大震災を通して,多くの方が災害看護の重要性を再認識したのではないかと思います。予期せぬ事態に見舞われたとき,看護師はどう在るべきとお考えですか。

 「どう在るべきか」というよりは,「状況に合わせどう在ることができるか」を知り,「どうしていきたいかを考える」ことが,災害看護には求められます。

 阪神・淡路大震災以降,組織的・個人的なボランティア体制の整備,災害支援ナースの育成など,看護界全体で災害対策の底上げを図ってきました。東日本大震災でも看護師たちが一定の役割を果たしていると思います。

 しかし,今回の震災は地震としての被害に加え,津波や原発事故などの問題も同時に起こりました。放射能に関する情報は錯綜していて,今もわからないことだらけですよね。復興の見通しが立たず,人々の抱える苦悩はとても複雑なものになっていることでしょう。ですから,「こうすべき」という唯一の方法はなく,まずは生活にただ寄り添っていくこと,それが大切なのだと思います。

―― 看護の“原点”とも言えるかもしれません。

 そうですね。「暮らしに寄り添う」「気持ちに寄り添う」といった看護こそが,人が本来持っている生きる力を強めていくのです。そして寄り添う中で,手探りで構わないので,できることを広げていかなければなりません。

―― 「どうしていきたいかを考える」ということですね。

 ええ。この震災をきっかけに,今後は各地で意識改革が生まれ,新しい試みがされていくのではないかと思います。これまでであれば縦割りで進めることを余儀なくされた災害対策ですが,保健・医療・福祉分野の垣根を越えた新しいかたちでケア体制が構築されていくことを期待しています。

人の苦悩にかかわる看護師に癒やしを

―― 震災後,講演会の開催延期も検討された中,ベナー博士は「こういうときだからこそ,日本に行って皆さんの力になりたい」とおっしゃっていました。

 彼女の深い洞察の根本には,「suffering」があると思うのです。看護は人の苦悩にかかわるものですが,そこへかかわっていく看護師側の苦悩もわかるが故に彼女の理論は発達してきたのではないでしょうか。

 今回の震災では,被災地にいらっしゃった方,外部から被災地へ支援に行かれた方,支援に行きたかったけれど行けなかった方,あるいは自分にできることは何もないと諦めながらも,それを悔いている方など,大変多くの方が苦しい思いを抱いていることでしょう。べナー博士からのお話は,そういった方々の癒やしにもつながっていくものになるはずです。

(了)


南裕子氏
1965年高知女子大衛生看護学科卒。72年ヘブライ大公衆衛生学修士課程修了。73年高知女子大助教授,82年カリフォルニア大サンフランシスコ校看護学部博士課程修了,同年聖路加看護大教授。93年より兵庫県立看護大学長,99-2005年日本看護協会会長,04年兵庫県立大副学長,08年近大姫路大学長を経て,11年より現職。05年国際看護師協会(ICN)会長,同年より日本学術会議会員,06年同会議看護学分科会委員長。このほど第43回フローレンス・ナイチンゲール記章を受章した。フローレンス・ナイチンゲール記章のメダルを胸に(写真)。