米国のHIV診療と教育システム(神野定男)
寄稿
2011.08.22
【寄稿】
米国のHIV診療と教育システム
ライアンホワイトクリニックでの実践を通して
神野定男(Clinica Sierra Vista/米国感染症専門医)
私は現在,米国カリフォルニア州にある「ライアンホワイトクニック」(Ryan White HIV Primary Care and Infectious Diseases Specialty Clinic)と呼ばれる無保険・低所得のHIV感染者を対象にしたクリニックで,感染症専門医として働いている。本稿では,米国でのHIV診療におけるライアンホワイトクリニックの役割およびHIV専門医の生涯教育システムについて紹介したい。
ライアンホワイトクリニックとは
ライアン・ホワイトとは,血液製剤からHIVに感染した患者の名前である。ホワイトは血友病患者であり,血液製剤からHIVウイルスに感染し,14歳の時点でAIDSを発症,18歳でAIDSによって亡くなるまで多くのメディアに登場し, HIV/AIDS に関する啓蒙活動の分野で多大な貢献をした。彼の死の4か月後,1990年に米国政府によって正式にRyan White Comprehensive AIDS Resources Emergency Actが施行された。このプログラム(the Ryan White HIV/AIDS program)の恩恵を受け,低所得・無保険者にも高額のHIV検査や治療薬が無料で提供できるようになったのである。
ライアンホワイトクリニックとは,このプログラムに加入しており,米国政府から公式に資金援助を受けているクリニックのことを意味する。このプログラムに属しているクリニックは,大学病院から非営利団体が主体となったクリニックまでさまざまである。2010年時のプログラムの資金は約22億ドルに上り,1990年からの累計で約53万人のHIV患者がこのプログラムを通じて医療を受けている1)。
システムとして組み込まれるQI, EBM
ライアンホワイトプログラムは米国での低所得・無保険のHIV感染者にとって欠かせないものであるが,資金を獲得してクリニックを継続するためには,ある一定の基準を満たしている必要がある。
われわれのクリニックでは毎月,Quality Improvement(QI) meetingという会議を行い,HIV診療に関連したさまざまなチェック項目を数字で表すようにしている。例えば,CD4カウントが200/mm3以下のHIV患者の何パーセントが実際に肺炎の予防薬を内服しているのか,何パーセントの患者が子宮頸部細胞診を受けているかといったデータがまとめられる。これらのデータの算出は,データ専門のコンピューターテクニシャンがHIV患者全員のカルテをチェックすることで得られる。
会議では,先月より数値が改善したのか,もし改善していなければ何が問題なのかといったことを,医師,看護師,薬剤師,ケースマネジャー,クリニック運営者の間で議論する。データを分析することで,実際にHIV診療におけるEvidenced-Based Medicine(EBM)が実践されているか,数値で評価することができる。データの管理・評価は必須事項であり,これらを適切に行っていない場合は資金が打ち切られる可能性がある。
このように,ライアンホワイトプログラムではシステムの中にEBM, QIを強制的に組み込み,大病院から比較的規模の小さなクリニックまで均質な医療が提供されるようなシステムを作っている。
ライアンホワイトの限界とHIV専門医による対応策
しかしながら,ライアンホワイトプログラムによってHIV診療に必要なすべての検査・治療薬を提供できるかというと,必ずしもそうではない。高額なHIV検査や治療薬を無料で提供できるという利点はあるものの,その他の薬剤がカバーされていないことも多い。州によって異なるのだが,カリフォルニア州では高血圧・喘息の薬は全くカバーされていない。このため,治療に必要なこれらの薬剤が低所得者にとっては高価で,支払いができないこともある。また,消化器内科など専門医にかかりたくても無保険者にとってはコンサルト料が高かったり,内視鏡検査など高額な費用を支払うことができないことも場合によってはある。
このように,検査・治療薬が制限されるとHIV外来でEBMを実践することが時に難しくなるため,これらの問題にいかに対処していくかがポイントとなる。
容易に他の専門医にコンサルトできない背景から,肝炎や精神疾患といったHIV患者に関連した分野においても,ある程度の診断・治療はできる能力がHIV専門医に必要とされる。HIVや感染症だけではなく,高血圧・糖尿病といった一般的な内科知識が求められており,プライマリ・ケア医としての側面も重視される。さらには,コストを考慮した診療が求められることから,病歴・身体所見からある程度的を絞り,基本的な検査結果から総合的に判断して診断・治療を行う。また,投与したい薬剤がプログラムによって全くカバーされていない場合は,ジェネリックの薬剤を安価で購買できる薬局(Walmart等)を使ったり,製薬会社からのサンプルを使ったりと,柔軟に対応する能力が必要になってくる2)。
HIV専門医と生涯学習
米国では,専門医制度と生涯教育が密接に結び付けられている。感染症専門医試験に合格し感染症専門医になった後も,10年に1度の専門医更新試験を受ける必要がある。これとは別に,American Academy of HIV Medicineが認定している試験はよりHIVに特化した試験で,2年に1度更新することでHIVに関する最新の知識のアップデートがなされる。また,ライアンホワイトプログラムが主催する医師向けのHIVセミナーにも参加が義務付けられている。HIV専門医として診療を継続して行うためには,最新の知識を身につけて実践することが求められているのだ。
一方,日々の診療において一人ひとりの患者に即したEBMを行うためには,HIV診療のガイドラインといった大まかな情報源だけではなく,HIVに関する膨大な数の臨床試験から必要なデータを抽出し,それらのデータがおのおのの患者にとって有益なものであるかどうかを評価する能力が求められる。このような能力の育成を行うために,レジデント,フェローのころから抄読会や臨床研究を行ったり,より研究志向が強ければ臨床研究あるいは疫学の修士を取得するという方法も存在する。
専門医になった後も,国際学会・地方会に出席したり,近年ではEBMに即したHIV診療に役立つウェブサイトを用いて自己学習したりと,個人の状況・目的に応じてさまざまな生涯教育の機会が存在する3)。
患者の高齢化,医療費高騰という新たな問題
米国で1人のHIV患者にかかる年間の医療費は約3万4000ドル,生涯の医療費は100万ドルに上る4)。一方,米国では2006年度に約5万6000人の新規HIV患者が発生したと推測されており,この数は当初予想されていた値を超えていると言われている5)。また,2008年のライアンホワイトクリニックにおけるHIV患者の46%が45歳以上であり,これらの患者が高齢化していく中で,HIVケアはさらに複雑になり医療費は高額になることが懸念されている。
今後,ライアンホワイト資金の不足が見込まれる中,米国がHIV患者の高齢化,医療費高騰問題にどう対応していくかが注目されている。
註1)http://hab.hrsa.gov/data/biennialprogressrpts.html
註2)Walmartは米国最大の小売会社。薬局部門では,たとえ保険がなくても処方された薬剤を1か月分4ドルで購入できるプランが存在する(一部の薬剤のみ)。
註3)HIV診療に有用なウェブサイトは下記など。
http://www.clinicaloptions.com/HIV.aspx
註4)Sayana S,et al. Clinical impact and cost of laboratory monitoring need review even in resource-rich setting. J Acquir Immune Defic Syndr. 2011 ; 56(3) : e97-8.
註5)Hall HI,et al.Estimation of HIV incidence in the United States. JAMA. 2008 ; 300(5) : 520-9.
神野定男氏(写真右) |
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