医学界新聞

対談・座談会

2011.03.07

座談会

ココロ折られてまたアシタ
ER医に捧ぐ愛の賛歌

山中克郎氏(藤田保健衛生大学 総合救急内科教授)
林寛之氏(福井県立病院 救命救急センター科長)
岩田充永氏(名古屋掖済会病院 副救命救急センター長/救急科医長)[司会]


 重症度や疾病・外傷を問わず,すべての救急患者の初期診療を行うER医をめざす医師が増えつつあります。しかし,後方医との摩擦,ジェネラリストであることのアイデンティティ・クライシスなどで,心が折れそうな若手医師も多いのではないでしょうか。そんなときこそ,先達の声に耳を傾け,明日への活力としましょう。本座談会では,ER医の本分からダメージ・コントロール術,幅広い領域の勉強法まで,心優しき先輩ER医が語り尽くします。"コンビニ外来"より愛を込めて!


「幸運の女神の前髪」をつかんだ末に

岩田 山中先生はもともと血液内科医ですよね。どういう経緯で救急に携わるようになったのですか。

山中 自分が救急に携わるなんて,昔は夢にも思わなかったです。国立病院の血液内科でHIVを中心に診療していた卒後15年目のとき,血液内科部長からかかってきた電話が転機でした。夜7時ごろ,「山中君,まだ病院にいたの? ちょっと来てくれないか」と呼び出されて部屋に行ってみると,「実は困ったことになってねぇ」と。当時は新医師臨床研修制度が始まる直前で,総合診療を強化するため,指導医を米国に1年間留学させることになったそうです。ただ,その部長が各内科にお願いしても断られ続けた。院長に報告したところ,「それなら自分の診療科から1人出してほしい」と言われ,直属の部下である私にその話が来たわけです。

岩田 すごい巡り合わせですね。

山中 留学先も決まっていなくて「自分で探すように」とのことでしたが,何か面白いことが始まる予感があったのですね。当時の私は「幸運の女神に出会ったら前髪をつかめ。後ろははげているから」というレオナルド・ダ・ヴィンチの言葉が好きでした。通り過ぎた女神の後ろ髪をつかまえようとしても,髪がないのでつかむことはできない。チャンスを逃すまいと返事の期限を尋ねてみると,「明朝までです」「えっ!」と(笑)。

 あと12時間!

山中 翌朝までに書類を用意して,厚労省にファックスを送る必要があったらしいのです。急いで帰宅して家族会議でした。そんなことがあって,UCSF(カリフォルニア大サンフランシスコ校)で一般内科研修を行いました。

岩田 それから帰国されて,その後なぜ救急へ?

山中 帰国してみると,日本は専門医との間に壁があって,ジェネラリストとして活躍の場を広げるのが難しかったのですね。それで悩んでいたときに,「ひょっとしたら救急室なら総合診療ができるかも」と思いついたわけです。

岩田 確かに,病棟や外来は専門医の壁があって難しくても,救急ならジェネラリストのニーズがあって,なおかつ専門医もあまり手を出したがらない。ユニークな視点ですね。

山中 それに加えて研修医教育にも興味があったので,「研修医がいちばん困っている救急で教育に携わりたい」という気持ちもありました。

岩田 林先生は,外科から救急ですね。

 治療学に関心があって,最初は外科に進みました。初期研修後,自治医大出身なので後期研修はへき地病院でひとり外科医,しかも副院長兼ヒラです(笑)。その病院は救急患者も受けていたのですが,負け戦が多かったのですね。自分の能力が足りないのか,救急のスタンダードを知らないのか,それもわからなかった。とても悔しくて,福井県立病院での初期研修医時代に指導を受けた寺澤秀一先生(現・福井大病院副院長)に相談したところ,救急医療のスタンダードを学ぶように助言されました。それで,カナダに臨床留学することに決めたのです。

 救急を学ぶことで,診断学の面白さもわかってきました。診断学と治療学,その2つの関心が重なって外科から方針転換したわけです。ただ,総合診療から救急にフィールドを広げた山中先生とは逆に,ER医でありながら,診療所経験にも助けられて総合診療や家庭医療が大好きです。「老若男女,慢性から急性まで診たい」という下心いっぱいで今まで生きてきました(笑)。

岩田 僕は研修医のころ,週1回の救急外来当番が楽しくて,割り当てを増やしてもらっていました。そのころに寺澤先生の本を読んでER医の存在を知り,憧れが芽生えたのがきっかけです。そのあと山中先生や林先生のご活躍を知って,先輩方にいろいろ教わりながら,時には診療に同行させてもらうこともありました。例えば,野球選手になりたいからイチローに教わるとか,指揮者になりたいから小澤征爾に教わるのは無理ですよね。でも,ER医になりたいと思ったときに超一流のER医から学ぶことができたのは,すごく幸せでした。

患者のために頭を下げる姿は"格好いい"のだ

岩田 ただ,当院でER型救急を始めた当初は,各科の専門医にも研修医にも冷たい視線を浴びせられました。陰で悪口を言う人がいて,腹が立つこともずいぶんとあった。そのたびに,林先生に泣き言のメールを送りました。すると,「そういうのを笑ってやり過ごせるようになったら一人前だね」みたいな返事をよくもらったのを覚えています。

 当時のER医は,今よりずっと地位が低かったですよね。「他科に頭を下げて患者を受けてもらうような,自己完結できない医師になってどうする! 人生を棒に振るようなことをしていいのか」と延々と説教された人もいたそうです(笑)。

岩田 そのころに船橋市立医療センターにおられた箕輪良行先生(現・聖マリアンナ医大教授)からいただいたアドバイスは,「最初の2年間は絶対に喧嘩しないこと」でした。性急な変化を期待して攻撃的になると,人間関係が壊れてその後の診療にも影響が出ます。それだけは避けるように心がけてきました。

 当院の救急部も"No fight"がモットーです。他科の医師,看護師,救急隊,研修医と喧嘩をしない。怒鳴ってもいけない。これは,後方医に理不尽なことを言われたときも同様です。「林先生はなんでそんなに謝るんですか?」とスタッフに聞かれることもあります。でも,「患者さんのためになるなら頭を下げておこう」と考えれば,あまり気になりません。そこで変なプライドを持たないことが大事です。喧嘩をすれば,その"とばっちり"は患者さんに行っちゃうんですよ。

山中 「ERって頭ばかり下げて格好悪いと思ってない? あれは患者のために頭を下げているんだ。"自分を制して頭を下げる姿は格好いい"のだ」という,あの台詞(「週刊医学界新聞」2862号)には感動しました。

 そういう姿勢を認めてくれるのは,意外にも医学生や研修医ですよね。彼らが僕の心の支えだったりします(笑)。

岩田 寺澤先生には,「主演男優賞ではなく,助演男優賞を狙いなさい」と助言されたこともあります。「救急診療の主役は患者さんと各科専門医で,ER医は患者さんがベストの治療を受けられるように働く脇役である。ただ,主演より助演が映画を盛り上げることはざらにある」という趣旨です。一方で,ER型救急が徐々に注目されるようになったことで,スーパードクターとして主演することを夢見てER医をめざすような人も増えつつありませんか。

山中 ああ,そうですね。

岩田 そういう人にとって,後方医やコメディカルに頭を下げるような態度は頼りなく映ったり,将来が不安になったりするかもしれません。でも,患者さんがベストの治療を受けるためには,幅広い疾患に対応できるだけでなく,周囲に頭を下げることも大事です。そのことにもっと誇りを持ってほしいと思います。

 それに,勉強すればするほど知らないことが多いとわかるんですよね。いつまで経っても一人前になれない気がしますよ。

怒らない,苦境を笑いとばす

 しかしそうは言いつつ,昔は僕も,怒りがわいて後方医と喧嘩したり,研修医を怒鳴ったりすることがありました。でも,山中先生は昔から本当に温厚ですよね。どうしてそんなに"いい人"なんですか。

山中 僕は学生時代,全くやる気がなくて,勉強もできませんでした。ポリクリの後,教授に自分だけ呼び出されて,「君の成績はひどい。国家試験は大丈夫か?」と心配されたぐらいです。6年生のときに病院見学した際は,案内してくれた1年先輩の研修医に,「やる気がないなら医局で寝てろ」と放置されたこともあります(笑)。

 そんな医学生でしたが,当時の医学部長にもらった「贈る言葉」だけは今でも大事にしています。卒業式で先生は「君たちは,このことさえ守れば必ずいい医者になれる」と話し始めました。その言葉が突然耳に入ってきて,「えっ,何だろう?」 と集中したのです。すると,「医者になるとつらいことがたくさんあるだろう。怒りたいときもあるかもしれない。でも絶対に怒ってはいけない。このことさえ守れば,君たちはいい医者になれる」と。それを聞いて,「医者を続ける間は絶対にこれだけは守るぞ」と,固く心に誓いました。

 すごい! いまだに続けているとは意志が強いですね。

岩田 例えば,夜中の救急外来で酔っ払いに絡まれたときはどう対処されていますか。

山中 これは池田正行先生(長崎大教授)の受け売りですが,「空海伝説」ですね。空海が乞食坊主の姿に身をやつして人々の慈悲の心を検証したように,臨床の神様が自分を試すために酔っ払いになってやって来たのだと考えます。酔っ払いと笑い話をして,その場の雰囲気を和ませたりするのも好きです。

 大事ですね。笑い飛ばすと,意外に気持ちが楽になります。それに理不尽なことを言われても,「時間が経つと話のネタになる」と考えれば,話を聞くことに集中できます。

岩田 「一字一句を聞き逃すまいぞ!」と(笑)。

 僕は最近さかんに,「つらいときは笑え」と研修医にアドバイスしています。例えば,救急車が続けて7-8台来てしまって大変なとき,さらにもう1台受ける。「もう回らないよね。ハハハハ……」と笑ってると,「あっ,林先生が壊れた!」とか研修医があきれます(笑)。でもそうやって苦境を楽しんだほうが,気持ちに余裕が生まれるし,自分の精神修行にもなります。それに,後で冷静に振り返ると,本当に大変な事態は年に数回しかなくて,大半は軽症者が多くてマネジメントできるんですよね。

 つらいときにつらい顔をしているよりも,笑顔のほうがいい。まさに「笑う門には福来る」で,笑顔がいい職場や仲間をつくります。だから,研修医も指導医も,つらいときにこそ笑顔を忘れないでほしいと思います。

心折られたときの処方箋

岩田 林先生はメールの署名欄に「時間外診療所(コンビニ外来)……開いててよかった!」と書いてますよね。コンビニ受診を問題視する声もあるなか,その心は何でしょう?

 あれは開き直りです。明らかに緊急性がなくて,「この時間帯なら空いている」という理由でコンビニ感覚の受診をする確信犯は確かに存在します。でも,本当に悪質な人は数としてはそれほど多くないですよね。逆に一見軽症に見える人の中にも重症者は必ず紛れていて,そのときに「またコンビニ受診か」とキレて見逃してはいけない。プロフェッショナルとして,そこは切り替えなければなりません。

 夜中に罵声を浴びせられることだってあります。でも,それは「意見」であって「事実」じゃないから,両者は区別して考える。これは患者対応だけでなく,後方医とのやり取りでも使えますね。同様の意味で,僕がカナダで研修していたころ好きだった言葉は"Who cares?(構うものか)"です。あれこれ言われても,その人が将来の面倒を見てくれるわけではないのだから,好きなことを言わせればいい。事実は,自分自身でつくっていく。臨床留学もつらいことが多かったのですが,そう考えるようになって楽になりました。

岩田 僕は,心が折られるようなことがあると,必ずノートに書くようにしています。

 "恨みつらみノート"ですね(笑)。

岩田 書くと,モヤモヤしていた気持ちが具体化されて,それだけで不安やイライラが半分に減ります。

山中 相手の行動はコントロールが難しくても,自分の行動ならコントロールできますしね。

岩田 それにメンターに質問するときの材料にもなります。僕と同じような苦労をしている若手もいるでしょうが,心の整理のためにノートに書くのはお勧めしたいです。

 メンターはやはり大事ですね。

岩田 自分自身はメンターがいてよかったですけど,身近に相談できる人がいなかったらつらいかなと思います。

山中 もし身近にいなければ,著書を読むだけでもモチベーションが高まりますし,講演などの機会に声をかければ,意外と気さくに応じてくれるのではないでしょうか。

 ERは心優しき人の集まりですよね。救急の中でもマイノリティなせいか(笑),みんな仲がいいです。

岩田 EM Allianceのような若手ER医のネットワークに加わって,同じ悩みを共有するのもいいかもしれませんね。

救急に理解のある専門医を仲間に

 救急は世の中のるつぼみたいなところで,社会的問題を抱えた患者さんが多いですよね。そこは最もプロフェッショナリズムが要求される場で,初期研修医には一生懸命そのことを教えているつもりです。でも,彼らが臓器別専門医になって病院に戻ってきたときに,救急患者さんに冷たかったり,当直で呼び出すと「そっちで勝手に引き受けておいてなんで診なきゃいけないんだ」という態度をとることがある。そういう姿をみると,指導医としては心が折れそうになりますね。

山中 きっと後期研修先での指導医の影響が大きいのでしょうね。逆に,困っている患者さんを皆で助けた経験を持つ研修医がそのマインドを失わずに成長し,後方医として活躍してくれると嬉しくなりますよね。

岩田 同感です。当院では外傷初期診療のPTLS(Primary care Trauma Life Support)講習会を毎年開催していて,今年で14回目なので卒後10年目ぐらいまでの外科系医師はほぼ全員受けています。そこで,PTD(Preventable Trauma Death;避けうる外傷死)率を調べてみたところ,劇的に下がっていました。

山中 すごいですね。

岩田 救急を中心にそうやって教育を広げていけば成果が出るとわかったのは嬉しかったです。

 みんながER医になる必要はないわけです。「救急患者を病院全体で引き受ける」という認識があって,患者の視点を失わない臓器別専門医を育てることも,ER医の大事な役割ですよね。当院も,そういう仲間が増えてきた実感があります。

岩田 そういった環境が整うまで,我慢する時間も必要ですね。

 日本のER型救急はシステムとしてまだ発展途上ですから,開設して5年目ぐらいがいちばんつらいし,アイデンティティ・クライシスも起こるだろうと経験上思います。10年を乗り切らないと楽にはならない。これは,若手にぜひ覚えておいてほしいことです。

アウトプットを意識した勉強

岩田 教育に関してさらに言えば,ER型救急は診療領域が幅広く,知識をアップデートしていくのが大変です。研修医にはどのような勉強法を勧めていますか。

 後期研修医に対しては「10年後にいい医者になることをめざして,そのためのメソッドを今のうちに覚えてほしい」と常々話しています。これには,(1)インプットの強化,(2)アウトプットの強化,それから先ほど話した(3)プロフェッショナリズム,という3つの柱があります。

 インプットはon the jobとoff the job,つまり実践で得る知識と,論文の読み方の両方ですね。アウトプットは,プレゼンテーション能力です。Doctorの語源はラテン語で"教える人"ですから,患者さんや初期研修医,看護師など,相手のニーズに合わせて,難しいことを易しく楽しく教えることができないといけない。そのために,勉強会などで発表の機会をたくさん与えています。

岩田 インプットについては,分厚い教科書を通読するのは大変ですし,日常診療で出合う症例から勉強の幅を広げたほうが効果的ですよね。僕は研修医に,「1日の終わりに10分でいいから,患者さんの顔を思い浮かべながら教科書を読みなさい」と助言しています。 それから,アウトプットに関しては,その重要性に気付いていない人が意外に多いです。「勉強」というとインプットばかり思い浮かべてしまう。

山中 教育理論では,人に教えたほうが記憶は定着するのですよね。

 アウトプットに関してはほかにも,月に1回,レストランでジャーナルクラブを開いています。担当する後期研修医が開催2か月前にテーマを決めて,ひたすら論文を集めます。僕も論文を集めて,1か月後にお互いにレビューし,情報収集やプレゼンの手法を助言します。次の1か月で後期研修医は最適な論文を4つだけ選んで,1年目と2年目の研修医各2人ずつにプレゼン指導を行います。

山中 発表自体は初期研修医が行い,後期研修医はスーパバイズなのですね。

 そうです。それでレストランをセッティングして,ゲーム形式でワイワイやるのですが,質問が出たときに発表者の初期研修医が答えられないと,後期研修医がどんどん手助けする。後輩を教えながら準備するから,後期研修医はますます賢くなるわけです。

岩田 人に教えたり,原稿を執筆したりすると,各領域のレビューをやり直すことになるし,アウトプットは最高の勉強機会ですね。

山中 僕は,専門医取得・更新の自主学習用として米国内科学会が発行しているMKSAP(Medical Knowledge Self Assessment Program)を愛用しています。内科各分野に対してテキストと問題集がセットになっていて,この問題集を解いたり,オーディオ版を通勤時に聞いて勉強しています。MKSAPで学んだことや,学会やセミナーに参加して自分が知らなかったことは必ずメモして,それを自分の著書に赤で書きこみ,改訂の際に反映させるようにしています。

岩田 確かに,自分が書いたものに新しい知見を加えるのがいちばん勉強になりますね。ここにいる3人はみな本を出していますが,自分の勉強のためにやっているようなところがありますね(笑)。

「3年目のその気」を促す

山中 僕は,教育について気になっていることがあるんです。近年はどの病院も研修プログラムが整備されたせいか,「なぜ勉強会をやってくれないんですか」と不満を口にする研修医がたまにいますよね。

 います,います。

山中 確かに,教育体制の充実は必要ですが,口を開けていれば何でも与えてもらえる,いわば"spoon feeding"のような受身の姿勢でいいのかなとも思うわけです。

 1年目は開いた口に詰め込むような教育でもいいし,1年経って優秀にならなかったら指導医の責任だと僕自身は考えています。2年目になると実力差が出てくるので,できる研修医に対しては,自分で情報を取るためのヒントを与える。それで3年目以降は,自分で情報を入手し,1日1本は必ず文献を読む。なおかつ,得た知識を他人にかみ砕いて教える訓練をする。そうやって段階を意識して教えています。

岩田 では,3年目になっても受身の研修医に対しては?

 「誰も教えてくれる人がいない環境に将来身を置いたときに,そのままではまずいよ」と話します。そうすると1年目でも,spoon feedingは嫌だという優秀な研修医が出てきます。ケースバイケースで,テーラーメードな教育をしないと駄目だろうと思います。

山中 例えば,大工職人の世界は手とり足とり教えないですよね。弟子が見よう見まねで木をカンナで削り,うまくいかなくて悩んでいるときに,親方に腰の使い方を助言されてハッと気付くわけです。医療においても,ある程度の段階に達した研修医に対しては,要点だけを教えて伸ばすような教育が求められているのかもしれませんね。

 いい医者は「よく教えてくれる」,もっといい医者は「デモンストレーションしてくれる」,さらに最高の医者は「その気にさせてくれる」そうです。その気にさせて,教えなくても勉強するようになって,やがて自分より優秀になってくれれば,指導医としてこんなに喜ばしいことはありません。

山中 僕は米国留学中にティアニー先生のもとで1年間勉強していたのですが,まさにそんな感じでした。2人で病院の廊下を歩いていると,研修医が「LT !(Lawrence M. Tierney Jr.氏の愛称)」と呼びかけて,ティアニー先生も「おお,君か!」って抱き合って喜ぶんですよね。研修医と別れた後で,「彼は3年目の医者なんだよ。1-2年目は僕がいっぱい教えてやったんだけど,いまは彼が僕に教えてくれるんだ」と嬉しそうに話すのです。それを聞いたときに,「教育者はこうあるべきなんだ」と感動しました。

 僕がいま勉強の仕方を研修医に教えるのも,自分が10年かかって苦労して学んだことを,なるべく早くマスターしてほしい。そして,「青は藍より出でて,藍より青し」で,自分を超えてその恩を後進に返してほしいわけです。ただ,研修医にはいつも話してるんですよ。「将来偉くなっても,威張って"ハヤシ君!"と呼びかけるのはやめてね」って(笑)。

岩田 それはそれで,心が折れそうですね(笑)。

(了)


絶対に怒ってはいけない、このことさえ守ればいい医者になれる──。卒業式の贈る言葉を聞いて、"医者を続ける間はこれだけは守るぞ"と固く心に誓った。

山中克郎氏
1985年名大医学部卒。米国シアトルでの免疫学基礎研究,国立名古屋病院血液内科/HIV診療,UCSF(カリフォルニア大サンフランシスコ校)一般内科研修,名古屋医療センター総合内科診療を経て,2010年10月から現職。内科系救急疾患を研修医や医学生と共に救急室で診療し,身体所見の取り方や鑑別診断の立て方を教育することが大好き。でも流血の外傷が来るとつい後ずさりしてしまう,自称"草食系救急内科医"。編著書に『UCSFに学ぶ できる内科医への近道』(南山堂,第3版)など。


つらいときにつらい顔をしているよりも、笑顔のほうがいい。"笑う門には福来る"で、笑顔がいい職場や仲間をつくる。だから、つらいときにこそ笑顔を忘れないでほしい。

林寛之氏
1986年自治医大卒。北米型ER導入の草分けである福井県立病院で初期研修。へき地医療に携わった後,カナダ・トロント総合病院救急部,美浜町東部診療所家庭医などを経て97年より現職。2011年4月より福井大医学部総合診療部教授に就任予定。"出る杭は引っこ抜く"を合言葉に,愛と希望と笑いに満ちた,臨床能力が高く心優しい医師を養成したい。ひと言「青は藍より出でて藍より青し! 若者よ,私を踏み台に羽ばたけ!」(イテッ……)。著書に『ステップビヨンドレジデント』シリーズ(羊土社,1-6巻)など。


ER型救急を始めた当初、腹が立つこともずいぶんあった。でも性急な変化を期待して攻撃的になると、人間関係が壊れて診療にも影響が出る。それだけは避けるように心がけた。

岩田充永氏
1998年名市大医学部卒。名市大病院,名大病院,協立総合病院で研修後,2002年名古屋掖済会病院,08年より現職。学生時代はオーケストラ(チェロと指揮)に熱中し,実はプロ指揮者に習いに行ったことも。ER型救急で1年目からベテランまで,さまざまな職種が一緒に「患者さんの最善」をめざして治療を進めていく様子は,交響曲を奏でるオーケストラと似ていて気に入っている。著書に『〈JJNスペシャル〉高齢者救急――急変予防&対応ガイドマップ』(医学書院),『救急外来でのキケンな一言』(羊土社)など。

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