脳神経外科手術の術後整容を考える(太組一朗)
寄稿
2010.11.29
【寄稿】
脳神経外科手術の術後整容を考える
太組一朗(日本医科大学脳神経外科講師・武蔵小杉病院)
ある脳神経外科外来で
「先生,くも膜下出血で運ばれた主人の命を助けてくださって本当にありがとうございました。おかげさまでリハビリテーションも順調に終わり,間もなく職場復帰するところです。これからも主人のことをよろしくお願いします」
約8か月前に救急搬送された患者さんが,奥様と一緒にリハビリ病院退院の報告に来てくださった。なんとか重篤な神経脱落症状は免れたものの,随分やせたとみえて頬が若干弛んでいる。髪の毛はおおかた伸びきってきれいに整髪されてはいるが手術痕周辺は若干脱毛し,額の形も最近ちょっと変わってしまったというから,依然として闘病中であることが一目でわかる。「頑張りましたね」と患者さんに声をかけ,しかし(ああ,よかった)との思いを胸に,また忙しく次の外来患者さんの診察にあたる。
整容的トラブルシューティング
今回この記事に出演してくださる妙齢の美人患者さんは,もっと若いころは美容師さんとして活躍されていたというので,職業柄美に対する感性は人一倍敏感であるものと思う。彼女は3年前にくも膜下出血になり,地域基幹病院(沖縄赤十字病院)に救急搬送され開頭手術を受けた。出血は多量,グレードも悪く重篤で,執刀医は前頭側頭開頭に加え頬骨弓を外してのクリッピング手術に臨まれた。結果,急性期を無事に乗り切って神経脱落症状も合併症もなく現在まで経過している(図)。一流の腕前である。執刀医は,患者さんが元気に退院されたときひとつの職責を全うしたことを実感され,まさに「脳神経外科医になってよかった」という思いを享受したお一人でもあろう。ところが彼は,日々の診察で問題意識を感じ,勇気を持って私にご相談くださった。「タクミ先生,なんとかこの患者さんの整容手術を引き受けてくれないだろうか」
図 術前写真(左)と術後写真(右) |
ひとつ申し上げておくと,われわれがここで行わんとしている整容脳神経外科手術はいわゆる美容整形とは少し違う。一般的に美容整形は元あったものを「より美しく」するものであるが,整容脳外科手術では不幸にして脳神経外科疾患により術後容貌変形を起こした患者さんを「元通り」の美男・美女に戻して差し上げることが目的だからである。容貌の変形が脳神経外科疾患に端を発していることから,脳神経外科医療の一環として重要である,と私は考えている。
ご主人も交えて患者さんと面談したところ,訥々とした訴えに,毎度のことながらわれわれは本当に驚いた。「あまり人には言えませんでしたが,左側のおでこが凹んでいるのがどうしても気になるんです。髪の毛で隠しちゃったりもするのですが,上を向いて歩けない,というか,意気揚々と人前に出られません」と,さびしく笑う姿がとっても切ない。問題意識を感じていた執刀医ご自身が,切実な叫びに直面して最も驚かれていたようでもあった。
さて,術後の写真(図)を検証してみましょう。結果オーライ,患者さんに喜んでいただけたかな,これで十分だろう? などと考えてはいけない。あくまでもfunctionally aestheticかどうかの判定は,患者さん側がするものだからである。
日本発の整容脳神経外科医療
脳神経外科医が患者さんの術後の見た目を問題視するのはなにも最近に限ったことではない。Harvey Cushingが脳腫瘍手術における死亡率8.4%という驚異的な手術成績を収めた20世紀初頭にだって同じように,患者さんを大切にして真摯な気持ちで向き合っていたに違いない。しかし,脳神経外科医療の黎明期は外科医療による救命を,そして次には外科医療における機能温存をとステップワイズな進化をたどってきたのも疑いようのない事実である。全国津々浦々どこであってもレベルの高い脳神経外科医療を提供できるまでに至ったのは,いかに診断技術や医療機器材料が格段に進歩したとは言え,先達の絶え間ない努力があっての結果にほかならない。
では術後の見た目(=整容)という着眼点ではどうか。どのような手術によれば術後の容貌がよいかという議論は今までにもたくさんあったという。しかし私の駆け出しのころがそうであったように,「できる限り見た目は悪くないように」などと考えるうちに"できる限り"をいつしか"可能な範囲で"と勝手に線引きしてしまい,見た目の議論はそこそこに脳血管障害・脳腫瘍などのメジャー領域に関心が向かってしまうのが脳神経外科医のさがではなかろうか。少なくとも,国際学会で整容脳神経外科領域が集中的な話題になることは滅多にない。
一方,形成外科医にとっては脳神経外科術後の醜状変形の整容は"他人のしたこと"の後始末の趣がある。少しでもうまくいかず「あなたの責任」と言われようものならたまったものではない。硬膜損傷がチラつくと手が止まるのだよ,と教えてくださった形成外科医もいた。かくして"整容脳神経外科難民"の患者が生まれてしまうには十分すぎる下地が出来上がったのだ。
師の強い勧めもあり,私があるとき意を決して形成外科に弟子入りし,現在まで整容脳神経外科的トラブルシューティング手術に取り組み続けているのも,脳神経外科医としてのキャリアを歩み始めて間もないころ,"できる限り"という名目で勝手な線引きをしたのを神様に見咎められたから,と言えるのかもしれない。
さて,日本整容脳神経外科研究会は2008年に結成された,世界に誇るJapan Art――匠の技の研究会である。脳神経外科医が総合的整容力を高めることが研究会の目的であるが,その道のプロでもある形成外科医にも教育的立場で参画をお願いしている。
脳神経外科医療は救急医療としての側面を兼ね備えているため,緊急避難的手術後の整容問題はトラブルシューティング手術に頼らざるを得ない。その半面,術後整容の技術的問題の多くは,初回手術の際,開頭手術のロジックを正しく理解した上で丁寧な手技を心がけることで解決に向かうとも思う。したがって今一度われわれは,整容脳神経外科をテーマに,何が正しい外科手術ロジックなのかを再考しなくてはならない段階に差し掛かっている。頭蓋内-頭蓋外バイパス手術のように,頭皮への血流(つまり整容脳外科的なkey factor)を犠牲にすることで初めて救われる命もあるので,技術的問題に限定しても到底一元的には論じられない。
まだ若い研究会でもあり,より具体的なテーマに沿って解決を図るというよりは,問題点をまず平場に出すという作業に終始している段階と思う。だが,演題ごとに形成外科の専門家から詳細なアドバイスを受け,昨年度の研究会では精神科医にリエゾン精神医学の観点から講演をお願いするなど,脳神経外科医の整容的実力を伸ばそうという努力は確実に継続している。
*
わが国の脳神経外科医のあるべき姿は,社会と共に歩むことであるとされている。それならば,われわれ若い世代は今まで以上に患者さんの目線に立ち,基本診療科としての責務を果たして社会貢献に励まなくてはならない。しかし,わが身を振り返ると一人の脳神経外科医としては自分の手の届く範囲での医療しかできないことに気付いてしまう。もとより師の教えにより身の丈にあった仕事を心がけているのだが,ちょっとだけもどかしい昨今である。
太組一朗氏 1992年日医大卒。医学博士。2000年米国メイヨークリニックおよびシーダースサイナイメディカルセンターリサーチフェロー,03年日医大千葉北総病院脳神経外科を経て08年より現職。脳神経外科専門医・てんかん専門医・脳卒中専門医。日本整容脳神経外科研究会幹事(事務局担当),日本頭蓋顎顔面外科学会評議員。脳血管障害・てんかん外科・機能的脳神経外科手術を担当する一方,日医大脳神経外科で「頭のきずあと外来(整容脳神経外科外来)」を06年から開設。整容脳神経外科を「機能的専門分野」の一つととらえ,幅広く活動している。共訳書に『神経解剖集中講義』(医学書院)がある。 |
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