医学界新聞

インタビュー

2010.09.27

【interview】

2010年サッカーW杯南アフリカ大会
もうひとりのサッカー日本代表

清水邦明氏(元・サッカー日本代表チームドクター)に聞く


 世界中を熱狂の渦に巻き込んだ2010年サッカーワールドカップ(W杯)南アフリカ大会。日本代表のベスト16進出の快挙は記憶に新しいところだが,その躍進を陰で支えたのがチームドクターらメディカルスタッフの存在だ。長年にわたりサッカー日本代表チームドクターを務めた清水邦明氏が,今回のW杯とこれまでの歩みを語った。


――南アフリカW杯を終えて,今はどういうお気持ちでしょうか。

清水 本当に幸せです。現地ではインターネットなどを通じて日本での反響はおおよそ伝わってきたのですが,初戦のカメルーン戦に勝利した後からどんどん盛り上がっていったのがわかって,とてもうれしかったですね。最終的には1次リーグを突破しベスト16進出ということで,チームとしてそれなりに満足できる結果を残せたと思います。それにチームの雰囲気もよくて,合宿も含めると約1か月の間,とても楽しい時間を過ごすことができました。

――監督も選手も,異口同音に結束力の強さを口にしていましたね。

清水 最初から一致団結していたというよりは,日を追うごとにどんどんチームがまとまっていった感じです。ドクターとしてそばでみていて,チームとしての成長が伝わってきました。

40人分の血液検査とワクチン接種,FIFAへのレポート提出

南アW杯のパラグアイ戦当日,メディカルスタッフ全員で(左が清水邦明氏)。今回帯同しなかった医師も南アフリカまで応援に駆け付けた。「選手だけでなく,スタッフのチームワークも最高だったと思います」。
――南アフリカW杯におけるチームドクターの役割について伺いたいと思います。まず,大会前の準備段階ではどのような仕事があるのでしょうか。

清水 今回のW杯に限って言えば,現地の環境を踏まえた感染症対策や予防接種が重要な仕事でした。

 南半球は冬なので,まずはインフルエンザ対策を考えなければいけません。調べてみると,季節性インフルエンザワクチンの推奨株が南半球と北半球では多少異なるため,海外からの個人輸入のかたちでワクチンを入手する必要がありました。ほかにも,現地で流行していたポリオや麻疹,一般的な感染予防策としてA型/B型肝炎,破傷風についても,血液検査で抗体価を調べ,必要な選手には予防接種を行いました。これらについては定期・任意接種や海外遠征など,どこかの段階で接種済みの選手がほとんどですが,中にはポロポロとアミをくぐり抜けてしまった選手がいるのですね。

 今年2月には南アフリカで開催されたワークショップに参加して,流行している感染症や推奨されている対策が,事前にインターネットなどで調べたものと一致しているかどうかの確認も行いました。

――前回のドイツ大会よりも準備は大変だったでしょうね。

清水 そうですね。情報収集ひとつとっても,先進国で開催するのとは違う難しさがありました。

――今回は標高1500m級の会場で試合があり,高地対策も注目されました。

清水 高地対策に関しては,運動生理学が専門の杉田正明先生(三重大)の指導のもと準備を進めてきました。今年2月ごろから,代表メンバーが集まった際には血液検査を行い,貧血傾向があって高地適応力が弱いと思われる選手には所属チームを通して鉄剤を処方してもらったり,代表チームでサプリメントを用意したりしました。

――そういった準備は,W杯代表として大会前に選ばれた選手だけでなく,代表候補としてリストアップされた選手全員に対して行うわけですよね。

清水 そうですね。実際に日本代表に選ばれたのは23人ですが,われわれスタッフが血液検査やワクチン接種などに関与した選手は40人以上になります。

 その点に関して言えば,さらに大変だったのが,W杯前にFIFA(国際サッカー連盟)に提出するメディカルチェックのレポートです。2003年の国際大会(FIFAコンフェデレーションズカップ)で,カメルーン代表選手が試合中に突然倒れ,心臓突然死で急逝した事件がありました。それ以降,「同じ悲劇を絶対に繰り返してはいけない」ということで,FIFAが徹底した検査を求めるようになったのです。心エコーや心電図などの検査において,相応の設備と専門医のいる施設でなければ難しいリクエストがあって,その段取りを整えるのにかなり苦労しました。

――代表合宿の機会などを利用するわけですか?

清水 いや,それは時間的に難しかったのです。1人の検査に1時間くらいかかってしまい,それだと合宿になりません。最終的には国立スポーツ科学センター(JISS)が一括で受け入れてくれることになったのですが,それまでは各チームの近くの大学病院にお願いしたり,選手1人ずつ個別に対応していました。準備で最も大変だったことと言えば,このときでしょうかね。

大会直前のけがに「初戦は五分五分,次は大丈夫」

2008年1月の親善試合。ハーフタイムに選手へ声かけ。試合中に詳細な診断を下すことは困難であり,部位と選手の痛みの程度からプレー

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