池上敬一氏に聞く
インタビュー
2010.09.06
【interview】
医学教育に人材育成のサイエンスを導入し
“よい医師”を養成する
池上敬一氏(獨協医科大学越谷病院教授・救急医療科)に聞く
――シミュレーション教育のコンセプトは,どのようなものでしょうか。
池上 基本的なコンセプトは,「仕事のリハーサルを行う」ということです。診療に当たる前の学習の集大成としてパフォーマンスを最終確認し,医師としての質の保証をします。
またシミュレーション教育には,短期間で人材育成が可能という利点があります。社会が要請する医師が備えるべきコンピテンシー,すなわちプロフェッショナルとしてのコンピテンシーを持っている“よい医師”を早く養成できるわけです。
これまでの医学教育では,医師が備えるべきコンピテンシーを定義していませんでした。たまたま優れた指導医にめぐり合うことで,“よい医師”も養成されていましたが,シミュレーション教育を行うことで運任せではなく標準的に養成できます。
――研修医が備えるべきコンピテンシーとは,どのようなものですか。
池上 初期臨床研修の目的は明確です。救急・総合診療ができること,初診時にその患者さんの入退院や長期の医療のプランができること,GIM(総合内科)としての病棟管理ができること,医療チームのリーダーができること,患者の危機管理ができること,サイエンスを通じ社会に貢献できること,などが目的となりますが,これがそのまま研修医のコンピテンシーとなります。
“ノンテクニカル・スキル”の習得が求められる
――現在,わが国ではシミュレーション教育はどのように行われているのでしょうか。
池上 現在,多くの施設では“テクニカル・スキル”,つまり手技の習得を中心にシミュレーションが行われていると思います。しかし,実は欧米ではこれはパーシャル・タスク・トレーニングと呼ばれ,シミュレーションとは区別されています。シミュレーションはテクニカル・スキルだけでなく“ノンテクニカル・スキル”,すなわちチームワークなどの「暗黙知」を学習する手段なので,テクニカル・スキルを学ぶだけでは,野球に例えればキャッチボールはしても練習試合をしていない状況と同じです。
――なぜ,テクニカル・スキルの習得にとどまっているのでしょうか。
池上 まず,リハーサルとしてのシミュレーション教育を円滑に実施できる指導医がほとんどいないことがあります。また,学習者である学生も知識に重点を置いた受験タイプの学習しかしておらず,リハーサルを効果的に行うためのスキルも不十分なのが現状です。
現在,ノンテクニカル・スキルを医学生のうちから教育することは世界的な潮流となっています。わが国でも卒前教育をもっと充実させようという議論が高まっていますが,「臨床実習を充実させましょう」と言うと「じゃあ,講義をしよう」と答える指導医も多くいるので,やはり指導医のメンタル・チェンジが必要です。
――では,ノンテクニカル・スキルはどうトレーニングすればよいのですか。
池上 方法はいろいろありますが,まずは代理体験を通しての意識付けとディスカッションで,ノンテクニカル・スキルのコンセプトをつかむことが重要です。例えば,あうんの呼吸で共同作業を行う2人の映像を見せて,うまくいった理由を考えるわけです。また,報告・連絡・相談の不十分,チームの連携不足などで生じる“ノンテクニカル・エラー”についても映像を見せ,できなかった点を議論し合うことで意識付けをします。知識提供型ではないので,こういった概念を講義で教育するのは無理ですね。
――評価はどのように行うのですか。
池上 ノンテクニカル・スキルは,自分自身の体験と結び付けて身に付けていきます。スキルが身に付いたかの評価は,求められるスキルに応じた“シナリオ”での代理体験,あるいはシミュレーションで行います。
――シナリオシミュレーションなどを通じて模擬体験を行うことで,医師としてのスキル向上につなげていくわけですね。
池上 ただ,シミュレーション教育でできることは医療行為のリハーサルまでです。リハーサルを十分に積んだ後は,実際に患者さんに行う医療を通じて学習することになります(現場での学び)。“よい医師”を養成するにはシミュレーション教育(研修での学び)だけでなく,現場での学びをうまく連携させた「ワークプレイス・ラーニング」が重要になります。
図 教育・研修の4段階評価モデル |
制度疲弊を起こした医学教育
――現在の医学教育カリキュラムには,あまりない考え方です。
池上 そうですね。現在のカリキュラムはコンピテンシーの到達を目標としたものではないので,どこかで作り直す必要があると私は考えています。
学習心理学,インストラクショナル・デザインは「スキル獲得」「知識獲得」から「パフォーマンス」を向上するサイエンスへと進化を遂げてきましたが,わが国の医学教育は「医学教育者のためのワークショップ」(通称:富士研ワークショップ)が始まった1970年代の概念で止まっていました。
1999年に米国の医学研究所(Institute of Medicine)医療の質委員会から“To Err Is Human: Building a Safer Health System(邦題:人は誰でも間違える――より安全な医療システムを目指して)”が発表され,従来の医学教育・臨床研修では医療の基本である患者安全さえ確保できないことが明らかになりました。これは現代の高度化・複雑化した医療に対して,従来型教育が制度疲労を起こしていると見なすことができ,その意味で医学教育・臨床研修を再構築する必要があります。
――では,教育の再構築にはどのような取り組みが必要なのでしょうか。
池上 現在,私たちの大学では“患者安全”を最大のテーマとして,臨床研修病院や基幹病院に教育プログラムを導入する活動を行っています。また,医学生に新しいタイプの学習方法を体験させ,学生同士で教え合う「学生FD(Faculty development)」という試みも開始しました。将来的にはこれを医学生だけでなく,看護学生など医療系の学生すべてで行っていきたいと考えています。現在のキャリアパスでは,卒後5-6年で指導医として研修医を受け持つようになるため,私は学生FDをその練習と位置付けています。
多くの医学生は今の医学教育に満足していないため,効果的な教育法を真剣に考えているようです。早期からそうした教育を体験させることで,将来のファシリテーターの育成にもつながります。
現場を変革できる医療者の養成をめざして
――先生は教育学の専門家ともコラボレーションし,さまざまな教育理論や医療の現場教育で必要なフレームワークをどんどん発信されています。
池上 医学は疾患を解明し治療するサイエンスなので,人材育成は本来異分野です。人材育成には医学以外のサイエンスを導入する必要がずっとあったのですが,医学界ではこれまでそのことが自覚されてきませんでした。また,教育自体をサイエンスとしてとらえる発想もほとんどなかった部分です。そこで,私はJSISHを通じて,これまでの医学教育からの脱皮をめざした取り組みを発信しています。詳細は,本年11月に第1号の発行を予定している学会誌『日本医療者教育雑誌』に掲載することになっているのでご参照ください。
――人材育成のサイエンスにのっとった医学教育が,コンピテンシーを持った医師の養成につながるのですね。
池上 確かにそうなのですが,現在の医学部の教員や指導医はすでに自分自身の医学教育の方法論が固まってしまっているため,それを変えるのは非常に難しいことです。そこで,私は学生に大きな期待を寄せています。「世代交代は卒前から」をキーワードに,現場を変革できる医療者の育成を行っていきたいと考えています。
――ありがとうございました。
(了)
池上敬一氏 1981年宮崎医大卒。大阪府立千里救命救急センター,阪大病院特殊救急部,国立東静病院,済生会神奈川県病院,杏林大医学部救急医学教室などを経て,99年獨協医大越谷病院救急医療科助教授,2001年より現職。この間,93-95年に米国ベス・イスラエル病院に留学する。現在,日本医療教授システム学会代表理事,NPO法人「救急医療の質向上協議会」代表理事を務める。 |
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