基礎医学で米国留学,3年目の振り返り(杉村竜一)
寄稿
2010.08.02
【投稿】
基礎医学で米国留学,3年目の振り返り
杉村竜一(ストワーズ医学研究所大学院博士課程3年)
私は,医学部を卒業直後,基礎医学研究者としての人生を選ぶため,米国の大学院に留学しました。本紙の読者には,臨床だけでなく基礎研究にも携わろうと考える方や,大学でまさに基礎研究の真っただ中である方,あるいは基礎医学教育を担当されている方など,さまざまな方がおられると思います。
本稿では,基礎医学研究者になることをめざしてきた私が,大学入学から現在までの間に経験したことを記します。基礎研究の必要性や基礎医学教育の課題について,読者の方々のご参考になれば幸いです。
基礎医学志望者が少ない理由
基礎医学を専攻する学生は減少していますが,私自身もそれを感じています。私が在学していた当時,大阪大学には基礎医学教育の一環として,計1年間研究室に在籍する制度がありました。学部入学後すぐに基礎医学を志した私は,この制度を利用しながら,2年次から,臨床実習の始まる5年次まで研究室に通うことができました。この制度は,基礎医学に関心を持つ学生にとっては,重要なものでした。しかし現状としてこの制度の需要は少なく,今では研究室に在籍できる期間も短縮されていると聞きます。
基礎医学の将来を担う学生が出にくくなっている背景には,質の高い臨床医の育成を求める社会からの期待の影響があるのかもしれません。私は卒業まで学生代表として医学教育のカリキュラム編成に携わるという貴重な経験を得ました。そこでは,基礎医学と臨床教育の比重をいかに臨床に重くシフトするかが検討されていました。
こうしたカリキュラム編成の影響か,私の同期で卒後に基礎医学に進んだ者はたった2名で,ここ数年では例を聞きません。私が学部に在籍していたころも,数名の学生が基礎医学に興味を持っていましたが,卒業までに断念するケースがほとんどでした。理由として,周囲に支援する環境や前例を得にくいためモチベーションを維持しにくいこと,基礎医学に進んだ場合の具体的な人生設計がイメージできないことなどが挙げられます。医学・医療の進展にとって基礎医学が非常に重要であるにもかかわらず,現在の医学教育は基礎医学の担い手を育成できていないというのが現状だと言わざるを得ないようです。
質の高い科学の訓練を求めて米国へ大学院留学
臨床経験を数年積んでから基礎研究に専念される方は多く,私もそういった方を多く見てきました。彼らは非常に真摯に科学に取り組みますが,やはりどこかで臨床に舵をとり直すことが求められます。社会の臨床医への需要や自分の生活の現状を考えると仕方がないことでしょう。こうした先輩方をみて,私はいったん臨床医としての進路を歩み始めると,基礎研究に生涯従事することは困難になると考えました。そして,初期臨床研修の義務化に伴い非常に悩みましたが,初期研修を受けずに大学院に進学し,基礎研究の道に進むことに決めました。
さて,研究一本で生活していくことは非常にリスクが高く,十分な科学の訓練が必須です。国際言語としての英語力も重要ですし,医学部とは異なった環境で研究者として訓練を積むことが将来の自分に大きな影響を与えると考えました。医学部では病気の理解と治療を中心に研究が進められますが,より根本的な視点から生命を理解しようとすることで見えてくるものがあります。現に私が在籍するストワーズ医学研究所では20ほど研究室がありますが,どの研究室も生命現象の根本にかかわる普遍的な研究を重視し,そこから得られる知見を病気の理解や治療につなげようとしています。
一方,訓練に打ち込むためには,基礎研究者の生活に対する社会支援の存在も必要です。米国の大学院生は授業料免除に加えて十分な額の生活費の支給を受けることができ,無給で授業料を払い続ける日本とは大きく違います。例えば,私は年間2万3千ドル支給されています。
これは,米国の社会において基礎研究の必要性がしっかりと理解され,研究者を支える文化があるためと考えられます。現に,私が所属する研究所もある大富豪の莫大な寄付によって設立されたものです。基礎研究はすぐに成果が出るものではなく,臨床現場での応用まで数十年先を見越した展望が必要です。すぐに役立つものを求める日本の社会では基礎研究の必要性を判断しにくいのかもしれません。わが国でも,基礎研究者が充実した訓練を受けられる環境と文化が整うことを願います。そうしたことを考慮して,私は米国の大学院への留学を選びました。
ところで,大学院留学の存在自体,医学部ではあまり知られていないかもしれません。National Science Boardによると,2009年春時点の米国の日本人大学院留学生は理系分野で2110名で,そのうち医学生物学は260名です。私は米国の研究室に滞在した知人より大学院留学の可能性を知り,米国の理系大学院留学生から成る日本人のネットワークコミュニティを通じて情報を収集しました。理系大学院留学の準備の詳細については,近年いくつかの良書が出版されているので1),そちらを参照してください。結論として,高い関門ではあるものの不可能ではありません。ぜひチャレンジしてください。
評価が低い学生は国外退去厳しくも充実した大学院生活
私が米国の大学院に留学して2年が経ちました。その間の科学の訓練は予想よりも濃密なものです。通常,1年ほどの授業から成るコースワークがあり,生命科学の基礎を徹底的に学びます。私の在籍するPh.D.プログラムではコースワークがなく,すぐに研究室に配属されますが,半年ごとの審査委員会で知識もテストされます。ここで知識不足の分野が見つかると,対応したコースを割り与えられます。私はこれまで無事に通過してきましたが,医学部在学中に大学院レベルのテキストを10冊以上独習してきたからこそであり,決して易しいものではありません。
また,大学院課程の途中で関門試験なるものがあります。これに通過できないと退学になり,留学生は国外退去させられます。私は昨年これを通過しました。さらに半年ごとの審査委員会では数人の教授を相手に議論することが求められ,ここでの結果が芳しくないとやはり退学させられるケースもあります。
私の所属する研究室では,週ごとのミーティングで教授が毎回学生にいくつかのクイズを出し,学生の知識を問います。また,学生が研究室の議論をリードすることを求められる場面もあります。これに備え,数人の有志の学生で毎週勉強会を開き,論文を読んでロジックやデータの整合性を議論しています。世界中から集まった優秀な学生を相手に議論するのは大事な訓練になります。また,研究所全体のセミナーで毎年1回発表することも求められます。自分のプロジェクトを見つめ直すいい機会になります。
「医学知識を持つ基礎研究者」という利点
こうして医学部以外の環境で研究をして気付いたことがあります。医学部では,臓器や免疫系などの系の連関がどのように個体を制御するかに重点を置きます。大きな目盛りのものさしを使ってものをみていることになります。一方基礎研究では,分子レベルの視点で生命現象を解明しようとします。いわば,小さな目盛りのものさしを使っています。これまで分子レベルで完結する非常に普遍的で重要な発見が多くなされてきましたが,これからは分子レベルから出発して個体レベルの現象を解明することが期待されています。医学を学んだ上で基礎研究を行うと,両方のものさしの目盛りを使い分けながら,分子レベルから個体レベルまで俯瞰することができます。個体レベルの現象を解明する際,医学教育で得た臓器や系のセンスはわれわれのユニークな視点であって,他のバックグラウンドを持った研究者にはない利点となります。
最後に英語について,少し述べます。日本では「沈黙して話さない」ことが美徳とされていますが,米国ではそうした態度は「何もわかっていない」ととらえられます。当然,無理やりにでも英語を話す必要があります。この無理やりにでも話そうとする態度が大切で,相手も何とか理解しようとしてくれます。ここであきらめると,「何もわからないやつだ」という烙印を押されてしまいます。外国人は英語がペラペラに話せるというのは日本人特有の幻想のようで,彼らは英語力の差はあれ,それぞれが必死で英語を話しているというのが,現実です。
最後に私から皆さんへメッセージを書かせていただきます。
医学生の皆さんへ:基礎医学は困難の多い道です。安易に基礎医学の道を勧めることはできません。もし本当にやりたいと思って,研究室に数年通ってそれでもまだやりたいなら,ぜひ大学院留学にチャレンジしてください。
研究室に所属する先生方へ:研究が本当に好きだから研究室に来て実験されていると思います。臨床から来た先生は非常にエネルギッシュで,私もよく先生方から元気をもらっていました。
*基礎医学研究を志す上でお世話になった大阪大学大学院医学系研究科の仲野徹教授と宮崎純一教授に厚く御礼申し上げます。
参考文献:
1)カガクシャ・ネット著.山本智徳監修.理系大学院留学――アメリカで実現する研究者への道.2010.アルク社.
杉村竜一氏 2008年阪大卒。高校3年生のころ,OBによる特別セミナーで幹細胞の魅力を知る。医学部入学後,基礎医学研究を志し,医学部での勉学の傍ら,膵臓や皮膚の幹細胞の基礎研究に携わる。学生代表として同学の医学教育カリキュラムの編成にも参加。大学卒業と同時に米国ストワーズ医学研究所へ大学院留学。Ph.D.プログラムに在籍し造血幹細胞の基礎医学研究に従事。将来は細胞の多様性を中心に多臓器の連関を解明したい。ご感想・ご質問などは,下記までお願いします。rsu@stowers.org |
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