医学界新聞

対談・座談会

2010.07.05

【座談会】

“がんのプロフェッショナル”
腫瘍内科医を育てる

堀之内秀仁氏(国立がん研究センター中央病院呼吸器腫瘍科/呼吸器内科)=進行
伊藤由理子氏(山形大学医学部 臨床腫瘍学講座助教)
奥坂拓志氏(国立がん研究センター中央病院教育責任者内科系座長/肝胆膵腫瘍科副科長)
倉田宝保氏(近畿大学医学部内科学教室 腫瘍内科部門准教授)


 日本人の死因第1位を保ち続けるがん。がんを臓器横断的に診られる専門家である腫瘍内科医の育成は,国家的なニーズといえます。日本においては,国立がん研究センターが長きにわたりがん教育を担ってきましたが,「がんプロフェッショナル養成プラン」により,大学も本格的に教育に乗り出しつつあります。そこで本紙では,がん教育のさらなる活性化のため,がん研究センターと大学,双方の視点から,現状を探る座談会を企画。明確化された課題について議論するなかで,これからのがん教育の方向性が見えてきました。


堀之内 国立がん研究センターのレジデント制度は,40年余にわたって続いています。その歩みは,内科におけるがん治療の黎明期から,がんのプロフェッショナルである腫瘍内科医が誕生するまでの歴史でもあり,日本における若手医師へのがん教育を語る上では欠かせない制度です。さらにその制度から,奥坂先生,倉田先生といった現在のがん医療を引っ張るリーダーといえる方々が数多く輩出されています。

 そこでまず,がん研究センターのレジデンシーについて伺いたいと思います。奥坂先生,倉田先生は同時期にレジデントとして在籍しておられましたが,その当時はどのような研修が行われていたのでしょうか。

倉田 私たちがレジデントだった1995-98年ごろは,1年目には病理など関連部門のローテートが必須でした。2,3年目は基本的には自由に診療科を選択できましたが,私が所属した呼吸器内科では,2年間みっちり呼吸器腫瘍のみを学ぶよう言われていました(笑)。昼間は患者を診て,夜は研究をして,寝食を惜しんで勉強した2年間でした。

堀之内 当時は,2年目以降は単科に専念する場合が多かったのでしょうか。

奥坂 私も単科に専念するタイプの研修でした。当時はがんを横断的に診るという概念はまだありませんでしたから,複数科を回る場合でも,呼吸器志望なら画像診断と肺がん病理など,将来の専攻科を中心に,足りないものを補うという観点で選んでいましたね。

堀之内 他のがんについては,どのように知識を得ていたのですか。

倉田 自分の学んでいないがんについては,当時から既にあったメディカル・オンコロジー・カンファレンスなどで学んだり,レジデント同士で情報交換したり,という程度でした。

よりよく学べる研修をめざすがん研究センター

堀之内 現在,当院のレジデント制度は,最初の1年半で3か月程度ずつ必修ローテーションを行い,後半の1年半程度は,いくつかの選択必修の科を除けば希望する診療科を選択できる形式になっています(図1)。奥坂先生は研修後もずっと当院に所属されていますが,レジデント制度はどのような理由で,現在の方式に変わったのでしょうか。

図1 国立がん研究センターのレジデント・がん専門修練医制度
※がん研究センターでの研修等についてのお問い合わせは
 E-mail: kyoiku-resi@ml.res.ncc.go.jp

奥坂 以前は肺がんならこの薬,膵がんならこの薬という考え方でしたが,1990年代に分子標的治療薬を含め新規抗がん剤が開発されたことで,あるがんで成果が上がり,作用機序の面から他のがんにも効果が期待される場合,その薬を多くのがんに応用することが当たり前になってきました。同時に抗がん剤の種類も増えたため,その選択や治療・管理により専門化した医師が必要になりました。

 つまり,がん種を問わず化学療法について精通し,きちんと遂行できるオールラウンダーを求める医学的・社会的ニーズが生まれたということです。そうしたことをスタッフで検討し,2000年ごろには,今の制度に近いローテーション方式が採用されたのです。

堀之内 日本で「腫瘍内科」なる言葉が生まれたのもこのころでしょうか。

倉田 “Medical Oncology”という言葉は西條長宏先生(近畿大)が以前からおっしゃっていたのですが,「腫瘍内科」という訳語は,われわれがレジデントのころにはまだ一般的ではありませんでした。日本臨床腫瘍“研究会”が日本臨床腫瘍“学会”に変わった,2002年ごろに言われはじめたのかもしれません。

堀之内 レジデント側は,ローテーション方式についてどう思っていたのでしょう。

奥坂 卒後3年以上のキャリアがありある程度やりたいことが決まっていて,なるべく1つの科に特化して研修したいという人もいましたので,当初は賛否両論あったと思います。

堀之内 伊藤先生は2006年から当院で研修されたので,ローテーション方式はもう定着していた時期ですね。

伊藤 はい。初めは,正直なところ希望していた消化器中心に学びたいという思いもありましたが,結果的に各科を回って新しいことに接していくのは私にとっては非常に楽しかったです。

奥坂 若い医師がローテートしてくれることによって,他の領域について新しい情報が入ってきますから,スタッフにもよい刺激になっていると思いますね。

堀之内 倉田先生は,大学からそうした当院の変化をご覧になっていて,いかがでしたか。

倉田 現在の研修は,幅広く知識が豊富であることをめざしていますよね。しかし,単科に専念していた時代に比べると「この分野ではレジデントの○○先生がすごい」と,とびぬけて“できる”個人の名前が聞こえてくることは少なくなったようにも思います。

伊藤 確かにレジデント側も,最初の2年ほどはローテーションの意義を実感しているのですが,現在のように3年目にも2科は選ばなければならないことには異論もあり,1科に絞って勉強したいという希望は出ていました。

奥坂 そうした声は,レジデント教育を担当する「内科・内科系Resident Committee」にも届いていて,今後は3年目は純粋にレジデントの希望する診療科(1科なら1科)で研修できるように調整を進めています。

堀之内 専門性をより高めるという点では,3年間の研修後の上積みを想定した,チーフレジデント(がん専門修練医)という制度も以前からあります。チーフレジデントの時期は原則的に1つの診療科に特化し,2年の研修期間の前半は臨床を,後半は研究など本人の希望に沿った研修内容で,さらに高い専門性をめざす仕組みです(図1)。

 研修における課題としては,ほかにどんなことが挙げられるでしょうか。

奥坂 化学療法の実施場所が入院から外来(通院治療)主体に変わるなか,いかに外来教育を行っていくかという点です。

倉田 大学も同じ問題を抱えています。

伊藤 私が研修していたときも,外来研修の希望は強くありました。1か月の外来研修期間はあるものの,各科日替わりで,初診の対応が主体でしたので,外来での患者さんの経過や,どのようにセカンドラインを導入するのか,そうしたことを継続的に勉強する機会がほしかったです。

堀之内 当院でもいまや化学療法の約6-7割が外来で行われています。つまり,レジデントが学ぶべき内容も外来に比重が移りつつあり,病棟研修中心の研修制度では限界が出てきているわけです。がんの領域以外でも問題化していることですが,この点についても改善に向けた検討を始めています。

「がんプロフェッショナル養成プラン」の進展と課題

堀之内 では,大学におけるがん教育はどのように発展してきたのでしょうか。近畿大では,腫瘍内科学講座がかなり早く設置されたと聞いております。

倉田 本学に腫瘍内科ができたのは2002年です。“血液腫瘍内科”という科はそれまでにも存在していましたが,腫瘍内科と標榜したのは日本で初めてだと自負しています。

堀之内 逆に,それまで大学に腫瘍内科が設置されなかったのはなぜなのでしょうか。

倉田 国家試験等のカリキュラムに腫瘍内科学が入っておらず,診療科としてなかなか認められていないことが大きいですね。私立大学は,独自性を追求する観点から比較的フットワーク軽く腫瘍内科の設置にも取り組めたのですが,腫瘍内科がある国公立大学は,まだまだ少ないのが現状です。

堀之内 その後,大学では,2007年に策定された「がん対策推進基本計画」のもと,「がんプロフェッショナル養成プラン」(以下,「がんプロ」)が開始されました。

倉田 はい。本学は「6大学連携オンコロジーチーム養成プラン」(阪市大,近畿大,阪府大,神戸大,兵庫医大,神戸市看護大)に加わっており(図2),プラン全体では,医師と薬剤師,医学物理士,看護師を合わせて91人の大学院生がいます。多様な職種が学んでいますので,チーム医療を積極的に推進できることは大きなメリットだと思います。

図2 6大学連携オンコロジーチーム養成プラン

堀之内 各医局・講座のなかで個別にがんについて学ぶ縦割り式ではなく,横断的にがんを学ぶ教育カリキュラムで人を集められるようになったのは,大きな進歩ですね。

倉田 そうですね。「共通特論」という独自のカリキュラムを作り,毎週土曜日に大学院生を集め,1年にわたって講義を行うなど,さまざまな工夫をした結果だと思っています。

奥坂 われわれにも参考になるお話です。逆に,「がんプロ」における課題とは,どのようなことでしょうか。

倉田 本学が「6大学連携オンコロジーチーム養成プラン」に加わっているように,「がんプロ」は全国の大学がいくつかのグループを作成し教育を実践しています。しかし,実はグループ間での取り組みにかなり温度差があるので,そこは大きな課題です。

 また,「がんプロ」の最終目標は博士号と専門医,両方の取得です。研究を行い博士論文を書かなければなりませんし,専門医取得のために実地医療で患者を診なければなりません。この両者をバランスよく4年間で学び,実践していくことは大学院生および大学の教員にとって大きなハードルです。純然たる研究のみの大学院,あるいは臨床に集中できる病院と比べると,見ようによっては中途半端な制度ととられる可能性も危惧しています。

堀之内 「がんプロ」の5年間のプランで,現在,折り返し地点の3年目ですね。最終目標は,どこにあるのでしょうか。

倉田 全大学に腫瘍内科をつくることです。各大学に講座ができれば,もう「がんプロ」で教育を行う必要はないですから。その目標が達成されるまでは,たとえ国の「がんプロ」の制度が打ち切られたとしても,活動を継続させなければなりません。このような観点から,現在グループ内で将来設計に関する検討を行っております。活動に必要な予算も検討事項の1つであり,できるだけ活動内容を削減せずに継続させるための資金繰りに関しても検討中です。本学の場合,「がんプロ」で学ぶ大学院生は助手という形で採用し,少ないながら給料も支払っていますが,一方で学費も納めてもらっています。わざわざ遠くから学びに来てくれている学生に,高額な学費を負担させずにすむようになれば理想的ですね。

堀之内 当院でもレジデントの処遇は重要な課題でした。この4月から嘉山孝正先生が新理事長となり,いち早くレジデントの給与が適切な水準に引き上げられたのは,画期的な出来事だったと思います。

魅力を“刷り込む”機会を 逃している?

堀之内 ここまで,がん研究センターでの研修と「がんプロ」,それぞれについてお話を伺ってきました。教育環境は徐々に整ってきているように思えたのですが,実際のところがんを学びたいという若い人たちは増えていると実感されますか。

倉田 初期研修後に腫瘍内科を専攻しようという研修医は,まだまだ少ないですね。

伊藤 やはり大学に臨床腫瘍学の講義自体がない場合が多く,所属先として学生や研修医に認識されていないように思います。

堀之内 山形大では,3年前に講座ができたと聞いています。

伊藤 はい。私が3人目の医局員です。現状では,学部学生への講義は“総合腫瘍学”として他科の先生方と共同で進めています。ただ,腫瘍内科単独の持ち時間は2時間のみという状況です。

 また,本学では“Cancer treatment board”と称し,各科が毎週時間帯を決め,腫瘍内科と放射線治療部とを交えて治療方針を話し合う機会を設けています。そこには各科をローテートしている学生さんが必ず見学に来ますので,そこで興味を持ってくれればと思っています。しかし腫瘍内科自体には,学生はポリクリで半日来るだけですし,研修医はまったくローテートしてきません。私が腫瘍内科の面白さを伝えようにも,チャンスがないんですよね。

 学生のうちに“刷りこみ”がないと,研修医になった後,腫瘍内科をめざしたり,「がんプロ」に参加する動機は生まれにくいと思います。

奥坂 まず学部教育において,どのように臨床腫瘍学を浸透させるか考えなければならないですね。

倉田 おっしゃるとおりです。ただ本学のように,腫瘍内科講座が定着していて卒前教育をある程度行っていても,初期研修のローテーションで腫瘍内科が必修ではない場合は,皆やはり王道の消化器や呼吸器,循環器などを選んでしまいますね。学部教育で作った接点を,初期研修にも引き継ぐ努力も同時に必要です。

堀之内 腫瘍内科の魅力を“刷り込める”学生・研修医の期間を,今の状況だと逸してしまっているのですね。これは目からウロコでした。

腫瘍内科医のキャリアデザイン

堀之内 学生や研修医が不安に思うこととしては,腫瘍内科を専攻した後,キャリアをどう積み重ねるのかイメージしにくい点があるかもしれません。

伊藤 腫瘍内科は一時のブームで終わってしまうのではないか,講座を立ち上げても医局員が増えず,各科とのせめぎあいで孤立するのではないかなど,少し不安な気持ちは確かにありました。

倉田 昔に比べると,ずいぶんと状況はよくなったと思います。私が研修後一度大学に戻ったときには,がんセンター(当時)にいたときのような勉強や臨床試験をしたいと思っても,なかなか機会に恵まれなかったですから。

奥坂 ひと昔前は化学療法を専門にしていける人は少なかったのですが,現在では状況は変わっています。今,当院のレジデントを修了した先生方は,地域のがん診療連携拠点病院のスタッフ(30%),大学病院のスタッフ(29%),当院のがん専門修練医(14%),その他大学院,留学そして当院のスタッフになるなど,全員ががん診療に携わっています。地域,それも地方に行けば行くほど,ジェネラルな腫瘍内科医のニーズは高くなっています。

堀之内 現在,拠点病院は370ほどあり,臨床腫瘍学会の専門医は451人で,やっと1施設に1人の専門医の在籍が,数字の上で可能になった段階です。今後,大学での卒前教育,拠点病院以外の施設への浸透などを考えると,3000人以上の専門医が必要であると田村和夫先生(日本臨床腫瘍学会理事長)が試算しておられますから,まだまだ足りていません。

 キャリアデザインという点ではもう1つ,ロールモデルとなる医師の存在も重要かもしれません。日本で「腫瘍内科医といえばこの人」という方はたくさんおられますが,身近に接する機会が多いとは言い難い状況です。

伊藤 確かに若い医師には,ロールモデルの存在は大きいかもしれませんね。

堀之内 複数の診療科を横断する分野であり,わが国で徐々に浸透してきている,という点で腫瘍内科と共通している臨床感染症の分野では,「IDATEN」(日本感染症教育研究会)という研究会が行われています。例えばIDATENのように,ロールモデルとなる医師のもとに組織を超えた形で学生・若手医師が集まって切磋琢磨すれば,将来のキャリアについても何かしらヒントが見えてくるのではないでしょうか。

■がん教育が,もっと花開くために

堀之内 ここまでお話を伺って,若手へのがん教育については,もう一段階ブレイクスルーが必要な状況だとわかってきました。教育のさらなる活性化のため,必要となるのはどのようなことだと思われますか。

奥坂 まずは腫瘍内科の重要性を,若い人たちに認識してもらうための仕組みが要りますね。当院でも,学生や研修医を集めて毎年セミナーを開催するなど努力はしていますが,教育機関である大学のシステムそのものを,全国レベルで変革していくことが求められているように思います。

倉田 私の考えとしては2点あって,1点は「がんプロ」の目標でもありますが,腫瘍内科を各大学に設置して“拠り所”を作ること。もう1点は,腫瘍内科の医師が働く地域の病院を確立することです。どの病院でもがん治療を行っている現状から,ある程度病院の数を絞って腫瘍内科医を重点的に配置していけば,医師もキャリアプランが立てやすくなります。さらに,患者さんもどこに行けば最も適切な治療が受けられるのか,わかりやすくなると思います。

伊藤 目標が達成され,腫瘍内科の講座ができたとして,臓器特異的な科との線引きはどのように行っていくべきでしょうか。この春から大学の腫瘍内科に在籍して,まさに身近な課題として意識しています。

倉田 確かに,従来の縦割りの牙城を崩すことは容易ではありませんね。

 いろいろな施設を回って私が感じたのは,腫瘍内科を定着させるには,やはり病院,あるいは大学の上層部による強いバックアップが必須だということです。診療科同士がライバル視しあうのではなく,組織ぐるみで浸透を図ることが必要です。同時に,腫瘍内科サイドからも積極的にかかわって,「腫瘍内科に任せてみよう」と思ってもらえるチャンスを増やしていくことも大切でしょうね。

奥坂 海外においても通常,腫瘍内科医は,ベースとなるオールラウンドな臨床腫瘍学に関する知識に加え,肺や乳腺などサブスペシャリティを持っています。ですから,「腫瘍内科」全般の知識をベースにして,1つもしくは複数の専門領域も学べるような教育制度を構築していくことが大切だと思います。そうすることによって,他の診療科の医師にとっても依頼がしやすくなります。

倉田 私もその意見に賛成です。「彼は腫瘍内科医だけど,特に肝胆膵に詳しいよ」と言われるようなサブスペシャリティを持てる教育を,システムとして根付かせてほしい。本学でも,腫瘍内科の内部で「彼は頭頸部担当」などと決めています。

奥坂 一方で,研修施設や大学において,症例数や指導医の面で得意ながん種・手薄ながん種があった場合,そこで学ぶ医師の経験も偏ってしまうことがあります。そうした際に,がん種を問わず豊富な症例とスペシャリストがそろっている当院とコラボレートした研修カリキュラムが設定できると,不足している経験を補うことも可能かもしれません。教育機関としての大学などから学べることも多々あると思いますので,コラボレートは双方にとってメリットを生むのではないでしょうか。

堀之内 当院の特徴として,がん医療のリーダーシップを担う人材を育てるという役割もあります。適切ながん医療の普及=“均てん化”もさることながら,リーダーの育成という特異な役割についても常に意識した研修プログラムを提供したいですね。

奥坂 確かに,それは独立行政法人化にあたり当院の目標にもなっています。

堀之内 がんのプロフェッショナル,すなわち,がんの種類にかかわらず幅広い知識を持ち,適切な医療を提供する腫瘍内科医へのニーズが増大していることは間違いなく,それに応える優れた教育・研修プログラムが整備されなければなりません。

 「がんプロ」が継続的に実施され,1つでも多くの腫瘍内科講座設置につながり,多くの学生・研修医に臨床腫瘍学の魅力を伝え,腫瘍内科医が輩出されることを期待したいと思います。一方,がん研究センターでは,豊富な症例数や臨床試験数など,長年積み重ねてきた実績を活かし,日本全体のがん教育を底上げするとともに,今後のがん医療を牽引できる腫瘍内科医の育成も重要な課題になります。

 いまや医学的にも,社会的にも最も関心の高いCommon diseaseとなったがんの患者さんのために,より多くの腫瘍内科医――がんのプロフェッショナルの誕生を期待します。

(了)


堀之内秀仁氏
1997年東大文学部卒,2003年鹿児島大医学部卒。同年聖路加国際病院初期研修医。在職中,内科チーフレジデント,内科チーフシニア(初代)を務める。09年より現職。聖路加国際病院にて教育・研修システムの整備にかかわった経験を生かし,がん研究センターでも奥坂氏とともに内科レジデント制度改革を推進。共編著に『内科レジデントマニュアル 第7版』(医学書院)など。

伊藤由理子氏
2004年山形大医学部卒,同年同大初期研修医。06年山形県立河北病院内科にて後期研修。07年より国立がんセンター中央病院腫瘍内科レジデント研修。10年より現職。

奥坂拓志氏
1990年岐阜大医学部卒。聖隷三方原病院内科を経て,93年国立がんセンター中央病院肝胆膵内科レジデント。96年医員。2000年医長。10年より現職。日本膵臓学会評議員などを務める。共編著に『膵癌診療ポケットガイド』(医学書院)など。国立がん研究センターでは「内科・内科系Resident Committee」に所属し,レジデント教育に携わっている。

倉田宝保氏
1990年広島大医学部卒。同年同大病院初期研修医。93年より国立がんセンター中央病院肺内科レジデント,チーフレジデントを務める。97-2000年,広島大第2内科医員および関連病院での勤務を経て01年近畿大腫瘍内科助手,講師。06年より阪医大化学療法センター講師を務め,09年より現職。専門は肺癌化学療法,新薬開発,薬物動態。

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