医学界新聞

寄稿

2010.05.24

【寄稿】

認知療法・認知行動療法の
日本での現状と診療報酬への収載

大野 裕(慶應義塾大学保健管理センター・教授/厚生労働科学研究「精神療法の実施方法と有効性に関する研究」主任研究者)


さまざまな場面で活用が可能な認知療法・認知行動療法

 本年4月の診療報酬改定で認知療法・認知行動療法が保険点数化された。入院中以外の患者に対して,認知療法・認知行動療法に習熟した医師が一連の計画を作成し,患者に説明を行った上でその計画に沿って30分以上認知療法・認知行動療法を行った場合に1日につき420点を請求できるという内容だ。

 この内容を見ると,習熟した専門医が行う治療技法としては点数が低いし,精神科を標榜していない保健医療機関でも算定できるというのは問題ではないかという意見もある。しかし,いくつかの懸念はあるにしても,具体的には実際の運用のなかで解決していくことが必要であり,まずはこうしたエビデンスに裏付けされた精神療法が診療報酬で認められたことは評価されるべきであろう。

 認知療法・認知行動療法は医療にとどまらず,多くの場面で活用可能であることは言うまでもない。復職支援プログラムはもちろん,社員のうつ病予防対策で活用し始めている企業もある。厚労科研「自殺対策のための戦略研究」では地域で相談活動を行う人々のスキルのひとつとして利用することが提言されており,私も日常生活のなかでのストレス対処を目的とした認知療法活用サイトを監修している。学校においても,スクールカウンセリングや道徳教育で成果を上げている。

精神療法が十分に提供できない2つの理由

 前述のように認知療法・認知行動療法は幅広い領域で有用であるが,同時に医療現場における認知療法・認知行動療法のエビデンスの集積が重要な課題であることは言うまでもない。

 私たちはそうした認識に立ち,2004年度から厚労科研「精神療法の実施方法と有効性に関する研究」を行ってきた。そのなかで,わが国における医療場面での精神療法の現状について調査したが,それによれば,「十分に行われている」と答えた医療機関は約5%で,「若干できている」と回答した医療機関を含めても25%弱でしかなかった。つまり,約4分の3の医療機関は,精神療法が十分に提供できていないと答えている。

 精神療法が十分に提供できていない理由については,まず診療報酬など経済的なバックアップが不十分であること,そして力量のあるスタッフがいないなどマンパワーが不足していること,の2つが主な回答になっている。この結果は,日本の精神科医療で精神療法を十分に提供するためには,経済的なバックアップに加えて,研修体制の整備が必要であることを示すものである。その意味では,今回の診療報酬改定で保険診療の対象となったこと,それを受けて少額の事業費ではあるが研修システムが立ち上げられるようになったことは,わが国の精神科医療にとって大きな力になるはずである。

日常生活で患者自らが答えを見つけだす

 もちろん,診療報酬の対象となるには,認知療法・認知行動療法がわが国でも有用であることを実証する必要がある。そこで私たちは前述の研究の中で,6年にわたってマニュアルを用いた認知療法・認知行動療法の効果について検証してきた。

 欧米を中心に有効性のエビデンスが多く報告されている認知療法・認知行動療法をマニュアルに準拠して行った結果,うつ病および不安障害,複雑性悲嘆,パーソナリティ障害への有効性,さらに対人関係療法が摂食障害への有効性を示すことができた。

 一例を挙げると,うつ病に関してはに示したような流れに沿ったマニュアルを作成した。これは,認知療法の効果研究を初めて行ったアーロン・T・ベックのマニュアルに準拠したものである。治療の流れは,①患者を一人の人間として理解し,患者が直面している問題点を洗い出して治療方針を立てる,②自動思考に焦点を当て認知の歪みを修正する,③より心の奥底にあるスキーマに焦点を当てる,④治療終結,となっている(詳細は,厚労省ホームページ「心の健康」を参照されたい)。

 うつ病における認知療法・認知行動療法の流れ

 治療においては,「自動思考」と呼ばれる,さまざまな状況でその時々に自動的に沸き起こってくる思考やイメージに焦点を当てることが基本になる。その際に,面接で話し合ったことを実生活において検証しつつ認知の修正を図るためのホームワーク(宿題)が必須の課題となる。認知療法・認知行動療法は観念的な議論ではなく,現実に目を向けた検証を基本とする点に特徴があり,日常生活が治療の場となるからである。

 また,認知療法・認知行動療法では良好な治療関係を重視し,患者を温かく受け入れると同時に,患者の考えや思い込みを治療者と患者が一緒になって「科学者」のように検証していく協同的経験主義(collaborative empiricism)と呼ばれる関係の重要性が強調される。そのときに治療者は,患者の主体性を尊重して意見を表現しやすい雰囲気を作り出しながら,患者自らが答えを見つけだしていけるような「ソクラテス的問答」と呼ばれるかかわり方をするように心がける。

精神科医療全体の充実のために

 認知療法・認知行動療法を実践するには,臨床場面では通院・在宅精神療法を行った上で,より専門的な精神療法を実施することになる。同じ「精神療法」という表現が使われるために往々にして混同されがちであるが,従来より医科診療報酬点数表に規定されている通院・在宅精神療法は,精神科医の,患者のニーズに応える幅広い臨床活動全体を包括した介入方法として,精神科医療において重要な意味を持つことが前述の研究から明らかになっている。

 そうしたことを考慮した上で私たちは,医療資格を有する専門家が,精神科医療のなかで支持的精神療法を研修し,さらに週末を利用したワークショップを受け,さらにそれに続いて自分が所属する医療機関で認知療法・認知行動療法を行い,電話などを活用したスーパービジョンを2例以上受けるようにするのが望ましいと報告している。精神科診療の改革をめざして立ち上げられた「こころの健康政策構想会議」(座長=都立松沢病院・岡崎祐士氏)でも,認知療法・認知行動療法の均てん化は重要な課題のひとつとして取り上げられている。こうしたことを通して,認知療法・認知行動療法がさらに発展し,一人でも多くの患者の苦悩の軽減に役立つことを期待している。


大野裕氏
1978年慶大医学部卒,同大精神神経科入局。85-88年 コーネル大,88年ペンシルバニア大留学を経て,89年慶大精神神経科講師。02年より現職。日本認知療法学会理事長などを務める。訳書に『認知行動療法トレーニングブック』(医学書院)など。認知療法活用サイト(ウェブ,モバイルともにhttp://www.cbtjp.net)を監修。

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