ノーリフト=持ち上げない看護(保田淳子)
寄稿
2010.04.19
【寄稿】
ノーリフト=持ち上げない看護
オーストラリア発の新しい腰痛予防の試み
保田淳子(日本ノーリフト協会・代表)
みなさんは,どのように「腰痛予防対策」を行っていますか? ベッドから車イスへの移乗,あるいは入浴介助やおむつ交換といった身体負担が大きい介助を行うなかで,腰痛に悩まされる看護・介護者の方も多いと思います。しかし,「腰痛は,職業病だから仕方ない」と思っている方もいるのではないでしょうか。
「腰痛予防なんて……,今まで何度も聞いている」,2003年にオーストラリアに渡った私も最初はそのように考えていました。しかし,腰痛予防対策としてのノーリフトを知って衝撃を受けました。
「腰痛予防対策」を言葉どおり腰痛予防だけで終わらせるのか,労働環境改善やケアの質にまで結びつけられるのか。それは,現場にいるプロ(看護師)の目にかかっていると実感しています。日本においても,今後の看護師の人材不足解消や労働環境改善,そしていつまでも働き続けられる環境を作るためには,このノーリフトの考え方は外せないと感じています。
ノーリフトは,オーストラリアが世界で初めて4対1の看護体制をとった原動力にもなったのではないかと言われています。私はオーストラリアで,「腰痛が悪化したら離職するしかない環境を看護師自身が作っていては,看護のプロの現場ではない」とまで言われました。ここでは,私が衝撃を受けたノーリフトについて紹介します。
ノーリフト機器を使った介助のもよう 左:筆者が初めてリフトを体験したときの写真(緊張しているのがわかります)。 右:下肢リハビリとしても使える起立補助機。 |
知らなかったことが,問題だ
ノーリフトは,1998年にオーストラリア看護連盟ビクトリア州支部がノーリフティングポリシー(No Lifting Policy)「押さない・引かない・持ち上げない・ねじらない・運ばない」を,南オーストラリア州支部が「No Lift No Injuryプログラム」を打ち出したことから始まります(文法的には,ノーリフティングが正しいのですが,オーストラリアでは,「ノーリフト」がケア提供者の中での合い言葉として定着しています)。この背景には,腰痛による看護・介護職者の労災がオーストラリアでも大きな問題となっていたことがあります。
オーストラリア看護連盟南オーストラリア州支部にて(右が筆者) |
日本の看護教育を受けてオーストラリアに渡った私は,「人の手で看護をせず機械を使うなんて,何となまけもので不器用な人たちなんだ」と,福祉用具や機器を使って患者さんを動かしていることを,最初は受け入れることができませんでした。しかし,オーストラリアの大学に入学して,なぜ,このノーリフトが必要なのかということを学び,またオーストラリア看護連盟の方々と話すうちに「知らなかったことが,問題だ」と思うように変わりました。その理由に,実は日本にも腰痛予防対策指針や労災の非災害性腰痛の申請内容に「人力のみによる持ち上げ重量は20 kgまで」という規定が存在することがあります。
また,人力による持ち上げでは,介助を受ける側も緊張して筋緊張が起こり拘縮を引き起こすことがあることも,これまで考えたことがなかった理由の1つです。そのほかには,人力のみの介助時には,介助する側が人間の持つ自然な動きをさえぎっていることが多く,相手の自立度を奪っていることもノーリフトを通して学びました。これ以外にも,自分たちの労働環境が良くなければよいケアの提供はできないという意識,愚痴で終わるのではなく現場の問題をきちんと提議して解決していく方法も知りました。
考えを変え,現場を変え,ケアの質を変える
「機械で看護することをプロとしてどう考えますか?」と,オーストラリアの看護師に質問してみたことがあります。そうすると「看護の視点は,私たちプロが意識すればどこにでもある。機械を使ったから看護の視点がないというのは,機械を使っている人間側の問題で,機械の問題ではない。それよりも人力で抱えるときの転倒や私たちの怪我など多くのリスクを考えると機械のほうが優れる。そういう総合判断ができることこそがプロだ」と答えが返ってきました。それを聞いて,私はとても恥ずかしくなったのを今でも覚えています。
現在,ほぼ100%ノーリフトに沿って働いているビクトリア州と南オーストラリア州ですが,10年前までは医療者側も“看護・介護職は移乗介助をボディメカニクスを用い人の手で行うべき”,と考えていた歴史があります。ですので,ノーリフトの教育を行う際には,決して福祉機器の使い方だけでなく,ケア提供者が腰痛予防に関する考え方そのものを変えられるようにサポート体制を整えています。また,労働安全衛生法の説明,使用前のインフォームドコンセントの方法やリスクアセスメントの構築法など幅広い教育プログラムとなっています。
私は,オーストラリアで“現場の一人ひとりが意識して声を上げれば現場は変わる”,そして“現場を変えることがケアの質を変える”ことを学び,日本にもノーリフトが必要だと強く考えるようになりました。
高まるノーリフトへの期待
5年間の留学生活を終えて日本に帰国後,私はノーリフトの理念をしっかり日本でも広げたいという思いから2009年1月に日本ノーリフト協会を立ち上げました。そして,2010年1月に神戸で開催した「2010 日豪国際フォーラム」には,全国から約400名(看護師,セラピスト,介護職,研究者)に参加いただくことができました。
フォーラムでは,厚生労働省,日本看護協会,日本理学療法士協会,大学関係者など各界の代表の方々と今後の日本の腰痛予防対策について話し合い,大学などでのノーリフトのような腰痛予防対策教育の必要性や卒後教育としてのプログラムの確立,そして病院や施設で各専門職が連携することで在宅ケアまでのサポートができるのではないかなど,とても具体的な議論ができました。また,介護者の手技に頼る腰痛予防ではなく,労働安全の視点から腰痛予防対策システムを見直す必要も議論されました。今後は,これをきっかけに各界や政府とさらに連携を深め,モデルとなるような日本ノーリフト協会の教育プログラムを開発し,日本の腰痛予防対策システムを確立することが目標です。
*
日本での「ノーリフト」はまだまだ始まったばかりですが,オーストラリアの事例を通して私たちの日本らしいノーリフトの取り組みが確実に浸透していることを,この2年間で実感しています。ノーリフトが,「腰痛予防対策だけに終わらない」日本らしいノーリフトサポートプログラムとして根付くことを強く願って,日々の活動を続けたいと思います。
保田淳子氏
日本で医療事務や看護師を経験後,2003年オーストラリア(メルボルン)に語学留学目的で渡る。04年より語学学生の傍ら,老人ホームでケアアシスタントとしてアルバイト。04年9月には,南インドに看護師として1か月間滞在する。05年フリンダース大看護学部編入し,オーストラリア看護師免許を取得する。その後,オーストラリアの病院での看護師労働サポートに興味を持ち,フリンダース大看護大学院ヘルスマネージメント専攻入学。08年帰国し,現在オーストラリアで学んだ看護・介護職の腰痛予防対策(ノーリフト)を広めるために活動中。09年より滋賀医大医学系研究科博士課程在籍。
いま話題の記事
-
医学界新聞プラス
[第1回]心エコーレポートの見方をざっくり教えてください
『循環器病棟の業務が全然わからないので、うし先生に聞いてみた。』より連載 2024.04.26
-
事例で学ぶくすりの落とし穴
[第7回] 薬物血中濃度モニタリングのタイミング連載 2021.01.25
-
PT(プロトロンビン時間)―APTT(活性化部分トロンボプラスチン時間)(佐守友博)
連載 2011.10.10
-
寄稿 2016.03.07
-
人工呼吸器の使いかた(2) 初期設定と人工呼吸器モード(大野博司)
連載 2010.11.08
最新の記事
-
医学界新聞プラス
[第7回]SNS担当者の2大困りごと その2:ネタがない!
SNSで差をつけろ! 医療機関のための「新」広報戦略連載 2024.12.13
-
取材記事 2024.12.11
-
連載 2024.12.11
-
対談・座談会 2024.12.10
-
循環器集中治療がもたらす新たな潮流
日本発のエビデンス創出をめざして対談・座談会 2024.12.10
開く
医学書院IDの登録設定により、
更新通知をメールで受け取れます。