医学界新聞

対談・座談会

2010.03.01

【座談会】

理想の“くすり”をめざして
――薬物療法の20年を振り返る
北原光夫氏(慶應義塾大学病院・病院経営 業務担当執行役員)=司会
越前宏俊氏(明治薬科大学薬物治療学教授)
上野文昭氏(大船中央病院特別顧問)
江口研二氏(帝京大学医学部内科学講座教授(腫瘍内科))


 人類はさまざまな疾患に立ち向かい,その結果多くの薬剤が開発されてきた。医薬品自体も天然物から発見されたものから,人体の機能や疾患の病因・病態の解明とともに開発された生理活性物質や分子標的薬へと進化を遂げ,人々の命を守る薬剤の重要性はますます高まっている。

 本紙では,医学書院発行の『治療薬マニュアル』が今年,2010年で発刊20周年を迎えるのを記念して,薬物療法を考える座談会を企画した。最近20年の薬物療法の変遷を振り返るとともに,理想の“くすり”をめざした薬物療法の未来を展望したい。


北原 まず,この20年間の薬剤・薬物療法の進歩についてお話しください。

越前 私は専門の臨床薬理学の立場からお話しします。これまでの20年は,薬物の応答性の個人差要因が遺伝子レベルで解明された時代と言えます。1980年代に薬物の体内動態に関係する機能分子,特に薬物代謝酵素が次々と同定された結果,その遺伝多型が薬物応答性に大きく関与することが発見されました。

 さらに,90年代からは薬物の標的分子である受容体や酵素などの遺伝多型による,応答性の個人差への関連も解明され,その後のゲノム薬理学(ファーマコゲノミクス)の情報を利用した薬物投与量の個別化への発展につながっています。現在では,ゲノム薬理学の情報が応答性の個人差要因の観点から薬剤の添付文書に記載されるようになってきました。

 創薬のストラテジーも大きく変化しました。新薬開発は,それまで疾患病態の分子モデルやモデル動物を対象とし,天然物などの多数の候補化合物から検索を行う,ある意味“Serendipity”に依存したスクリーニングを行う手法をとっていました。そこから抗HIV薬のプロテアーゼ阻害薬のように,創薬標的となる分子の構造を事前に想定し,リード化合物を合成創薬する手法に変化してきました。

上野 私は薬を使う臨床医の立場から,薬物療法の変遷を述べます。この20年間,医学は大きく進歩し,さまざまな疾患の病因・病態の解明に伴い,それらを標的とする薬剤が次々に開発されてきました。それ以前にも,感染症では原因となる病原体に対する治療が行われていましたが,他領域でも病因・病態の解明につれて効果的な薬剤が登場してきたと感じています。

 また,カナダのGordon Guyattらが1991年に提唱したEBMの概念が薬物療法に導入されたことも,この20年の進歩から外すことができません。日本では,浸透するのに時間がかかりましたが,2000年ごろから治療における「エビデンス」が意識されるようになりました。

抗癌剤の進歩を振り返る

北原 近年は,エビデンスに従って薬剤を使うことが重視されていますが,それが特に求められている分野の一つに抗癌剤があります。江口先生,抗癌剤の進歩についてお話しください。

江口 この20年間の最も大きな進歩は,固形癌に対する抗癌剤の種類が大幅に増えたことです。歴史を振り返ると,固形癌の薬物療法は1950年代に始まり,メトトレキサートや5-FU,シクロホスファミドなどが第一世代となります。以前の固形癌の抗癌剤治療はよくSKK(種類が少ない・きつい・効かない)と言われていました。このような時代背景のなか,ブレークスルーとなったのは70年代後半に登場したシスプラチンなどの白金化合物です。白金化合物は,白金電極で細菌が育ちにくいという偶然の発見から抗癌剤として開発され,いろいろな固形癌でその腫瘍縮小効果や延命効果が証明されました。一方,腎障害などがあったため,いかに副作用を少なくするかが70年代後半から80年代の癌薬物療法の大きな部分を占めていました。

 その後,90年代になるとタキサン系化合物やイリノテカンといった第三世代の薬剤が一気に登場,また2000年代には分子標的薬の開発が盛んになり,現在に至っています。

越前 新しい作用機序の抗癌剤が数多く誕生した20年でしたね。 それまでの作用機序はDNAの複製阻害やそれに関連する酵素の阻害が主体でしたが,癌の増殖シグナル伝達をピンポイントで阻害する多くの分子標的薬が誕生しています。

江口 抗癌剤の副作用に対する支持療法も大きく進歩しました。制吐剤の開発では,特に5-HT3受容体拮抗薬(セロトニン拮抗薬)がブレークスルーとなり,催吐作用をかなり抑制できるようになりました。最近もアプレピタントといったNK1受容体拮抗薬が承認され,遅発性の高度催吐性抗癌剤を使用する際の悪心・嘔吐の抑制に非常に役に立っています。

越前 そうですね。副作用を軽減したり,予防したりするための道具立てがどんどん登場してきましたね。

上野 その結果,癌の薬物療法の枠組みも変わってきました。かつては臓器別の専門医,つまり消化器内科医や消化器外科医などがオンコロジーも担当していたわけですが,現在では腫瘍内科や腫瘍内科医がはっきり認識されるようになったと思います。

北原 薬に多様性が生まれてきたことから,腫瘍内科医が必要となりました。いわば以前は片手間で行われていた化学療法が,系統立てて行われるようになってきたというのは大きな変化ですね。

 私は感染症も専門としてきましたが,抗菌薬と微生物の耐性とは,この20年間いたちごっこが続いています。1980年代初めに,欧米で相次いでMRSAが見つかり,すぐに日本にも上陸してきました。また,ほぼ同時期にHIVが世界中に蔓延したこともあり,感染症の治療は見直されてきました。耐性菌が出てきた当初は,とにかく強力でブロードな抗菌薬で治療が行われたのですが,使用すればするほど耐性菌が増えることが判明し,感染症に対する若手医師の考え方も変わってきました。現在では,原因菌を限定して,なるべく有効範囲の狭い抗菌薬で治療する方向になってきています。

 このほか,抗ウイルス薬もHIV研究の進展を中心に大きく発展しました。一方,強力な化学療法や免疫抑制剤の使用で深部臓器真菌症が増えています。以前はアムホテリシンBに頼っていた真菌症治療にトリアゾール系,キャンディン系が加わったことは大きな進歩です。

■日本の臨床医の発想が根本から変わった

北原 近年のエポックメイキングな薬剤には,どのようなものがありましたか。

上野 少し前になりますが,私の専門の消化器領域では,ウイルス肝炎の治療を激変させたインターフェロン製剤が非常に印象的でした。この薬剤は治療効果もさることながら,日本の肝炎治療に携わる医師の考え方を一変させたことを強調したいと思います。それまで日本では,肝機能検査値の改善だけを追いかけた薬物治療が行われていました。当時私は,米国留学から帰国したところだったのですが,海外と全く異なる肝炎治療を目の当たりにして,「いったいこの治療は何なのか」と愕然としたことがあります。

 それがインターフェロンによって,肝炎治療の真のエンドポイントであるウイルスの駆除・疾患の治癒が得られるとわかり,代用エンドポイントではなく真のエンドポイントを求める治療薬が重視されるようになりました。

越前 抗菌作用や抗腫瘍作用で「夢の新薬」と言われた当時を思い出します。インターフェロン製剤はウイルスの自然免疫機構や抗ウイルス機構の研究から生まれましたが,やはり病態の解明の過程から出てきた薬剤ですね。

 このほか消化器領域では,プロトンポンプ阻害薬やヒスタミンH2受容体遮断薬が消化性潰瘍の治療を一変させました。難治性で,外科的手術が必要な潰瘍患者は激減しましたね。

上野 関節リウマチや炎症性腸疾患などの治療薬であるインフリキシマブなどの生物学的製剤も非常に画期的でした。これも病因・病態の解明と並行して,表現形である炎症の抑制という治療法から,もう少し本質的な治療へと変わりました。

北原 血液疾患の分野では,前の話題にも出ました分子標的薬のイマチニブやリツキシマブの出現で,治療効果が際立って良くなった点が素晴らしい進歩でした。それまで慢性骨髄性白血病は,どのような治療を行っても3-4年で亡くなっていたのですが,イマチニブの登場によりその期間をはるかに超えて生存する症例が増えています。

上野 循環器領域の薬剤について言えば,ブロックバスター薬と呼ばれる大型薬剤がいくつも誕生しました。世界の裕福な国では循環器疾患が多いのである意味当然かもしれませんが,一方で製薬企業も利益につながる循環器分野に力を入れていると思います。実際,降圧薬や脂質異常症治療薬では,製薬企業主導の臨床研究から得られたエビデンスが,処方にもある程度影響していると考えられます。

北原 循環器領域は,頻度が高い疾患が多いため,大規模試験が行いやすいということもありますね。

 代謝・内分泌の分野では経口糖尿病薬の種類の増加とメトホルミンの見直しがありました。また,昨年から使用できるようになったインクレチン関連薬は低血糖の危険性が少なく,インスリン分泌効果があります。インスリン自体もバイアルから抜かなくてよいペン型が普及し,現在は使い捨てタイプが主流です。骨粗鬆症には米国のエビデンスからビスホスホネートが使われるようになりましたが,毎日から週1回の服用となったことはコンプライアンスの面から画期的です。ビスホスホネートは,オンコロジカルエマージェンシーと呼ばれる高カルシウム血症にも大きな役割を果たしていますね。

上野 循環器・内分泌領域の話が出て一つ思い当たるのですが,われわれは欧米や日本など,裕福な国の話ばかりをしています。しかし,本当に世界が必要としている薬剤は,もっと違うものなのではないでしょうか。

北原 確かにそうですね。HIVの治療薬が,経済的貧困な発展途上国では必要な人まで届かないこともその1つの証拠ですし,何年か前にある国で医療活動を行っていた知り合いの内科医は,感染性下痢の抗菌薬はメトロニダゾールのみでほかは一切ないと言って...

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