医学界新聞

対談・座談会

2010.01.25

【対談】

「命」をまるごと受け止めて
旭山動物園に学ぶ,ありのままの生と死

坂東 元氏(旭川市旭山動物園・園長/獣医師)
角田直枝氏(日本訪問看護振興財団・事業部長/がん看護専門看護師)


 いまや国内のみならず,海外からもたくさんの人々が訪れる旭川市旭山動物園。地方の小さな動物園ながら,多くの人を惹きつけてやまないのはなぜなのでしょうか。

 その魅力を生み出しているのは,動物の「命」を最大限に輝かせたいという,動物園で働く人々の思いです。できる限りその動物らしい生をまっとうしてほしいと願うその姿勢は,人間と向き合う医療・看護にも通じるものがありそうです。

 舞台は初雪の積もった旭山動物園。動物と人間という違いはあれど,同じように繰り返される「生」と「死」を見続けてきたお二人が,そのあり方について,語り合いました。


角田 私は2年ほど前に初めて旭山動物園を訪れて,動物の生き生きとした姿にとても感動しました。お客さんが少なかったころと比べて動物の顔ぶれは変わっていないし,コアラやパンダといったとても珍しい動物がいるわけではないのに,展示方法を変えたことで入園者が10倍以上に増えたというのが,驚きですよね。

坂東 数字を見ると確かにそうですね。でも僕たちは,「見る側」と「見せる側」の区別をなくすという,当たり前のことをしてきただけなんです。

 入園者数が年々減っていたころ,「見る側」として来たお客さんは「なんだ,どこにでもいるアザラシかよ」とつまらなそうにしていました。一方で「見せる側」の僕たちは,たとえどこにでもいる動物でも,見ていて飽きるようなことはない。その違いは何なんだろうと考えて気づいたのは,僕たちは,動物と日常的に接する中で,ありのままの彼らの動きやしぐさを見ているからだ,ということだったんです。

 動物園は,人間のエゴで作っている場所ではあるのですが,せめて檻の中でも動物らしいままでいてほしい。そしてお客さんにも,ありのままの彼らのすばらしさをわかりやすく伝えたいと考えました。それが抜本的な改革ができた理由だと思うんですけどね。

角田 園内の施設も,そういった発想のもとに建てられているのですか。

写真(1)
坂東 ええ。例えばあざらし館にはマリンウェイといって,お客さんのいるスペースに上下に管を通したような部分があります。そこをアザラシが縦に泳いでいくのですが(写真(1)),水族館から視察にきた人たちは「あそこにどうやって行かせているんですか?」と聞いてきます。その時点で,「見せる側」が「見る側」のために無理にやらせていると考えている。でも本当は,アザラシがマリンウェイを通りたいから通っているだけ。ぴゅーっともぐっていくその姿を,僕たちもお客さんも同じ視点で見ているだけなんです。

写真(2)
集団で長距離を歩いて海までエサを取りに行くキングペンギンの習性を生かしたもので,冬期の雪が積もった園内を約500メートルほど散歩する。ペンギンが冬になると運動量が落ち,動物園では太り気味になってしまうことを防ぐため,2002年から実施されている。
 冬期の「キングペンギンの散歩」(写真(2))などもそうですが,決してショーや芸ではなく,動物が本能のままに行っている動きをお客さんにも見てもらえるように展示しているんですよ。

言葉が通じれば,確認ができる

角田 実は,私は小さいころから動物が好きで,看護師になる前には獣医学部に1年ほど通っていました。そうした経験から,動物が本能に従って行動できるようにして,ありのままの姿を引き出すというのは並々ならぬ努力が必要だと感じます。その基本として,動物の行動を仔細に観察することが重要ではないかと思うんです。

 観察は,看護師にとっても非常に大切なスキルだと最近特に感じているのですが,普段,観察をするときに心がけておられることはありますか。

坂東 あくまで僕自身の心がけですが,フィルターをどこまでなくして見られるか,じゃないでしょうか。あと,わからないことも自分の目で確かめようと思って見ること。わかっている範囲だけ見て対処するほうが楽なんですが,それでは相手がかわいそうな気がするんですよね。

角田 自分がその動物になったような感覚もありますか。

坂東 近いものはあるかもしれませんね。

角田 私も,患者さんの気持ちを想像しながら観察していると,「きっとこの人,こうしたいんだろうな」とわかる瞬間があります。

 人間は言葉が通じるぶん,嘘もつけますし,痛いのに「大丈夫」とも言える。そして大丈夫と言われると,観察することなく「じゃあ大丈夫なんですね」と受け流してしまいがちです。言葉が「フィルター」になってしまっているのかもしれません。けれど,声の調子や話すタイミングなどを観察して,「本当はつらいのではないですか」と声をかけることができて初めて,相手に沿った看護が成り立つと思うんですよね。

坂東 確かに喋れると,嘘も言われるし,文句も言われてしまいますから(笑),看護師さんは大変だと思います。でも逆に,言葉が通じるからこそ,その人がどうしたいのかを確認して動けるのはやはり大きなメリットだと思いますよ。

 動物が相手だと,思い切った設備投資をして作ったマリンウェイをアザラシが本当に通ってくれるかオープン当日まで確認しようがなく,不安で仕方なかった,なんて経験もありましたし。

角田 そうですよね。人間は何をしてほしいか,してもらった結果どう感じているかなどを,確認することができる言葉を持っています。それなのに,もっと相手の立場に立った医療,施し手と受け手の双方が幸せになる医療がなぜできないのか,歯がゆい思いがします。

環境で,動物も人もこんなに変わる

角田 動物たちの施設が新しくなると,これまでにはなかったような行動が表れてくることもありそうですね。

写真(3)
坂東 ええ。環境を整えてやると,皆まったく違う動きを見せますよ。チンパンジー舎(写真(3))を建て替えたときにも,こんなことがありました。

 野生のチンパンジーは毎日,木の枝を折り重ねて高いところにベッドを作って寝るんですが,改築前のチンパンジー舎はすごく狭くて,天井も低い。しかも檻の中では襲われることもないから,群れの皆でゴチャゴチャと固まって地面で寝ていたんです。

 でも新しいチンパンジー舎は,室外も室内もかなり大きく,高くしました。さらに,寝場所がつくりやすい高いところに金網で何か所か足場を作ったんです。すると,新しい施設に移動したその日から,皆自分の麻袋を持って,高いところにベッドをつくって寝たんですよ。

角田 その日から?

坂東 その日からです。彼らは狭い檻で生まれ育っているので,すみかが変われば普通はすごく緊張したり,怖がるはずなんです。しかも室内の施設には床暖房が入っているので,床にゴロゴロしているほうが気持ちいいし,実際ほかの動物園でもそうしていることが多いのに。「ああ,やっぱり野生に戻れる環境が大事なんだ!」って,一番感動した瞬間でしたね。

 前の檻のときは,人間が覗きに行くと,皆ピタッと毛づくろいをやめてしまったりして常に緊張感があった。でも今は,自分たちが優位に立てるところにいるという意識があるのか,すごくリラックスしているんです。また,以前は群れで一緒に寝ていたのでわからなかったけれど,本来チンパンジーは5,6歳までは母親と寝て,そこからだんだん独り立ちしていくということも,新しい舎だと見えてきました。

角田 私は病院での看護と訪問看護の両方を経験しているのですが,不適切な言い方かもしれないけれど,病院の看護・医療がある意味で檻の中のような気がしてきました。一方で在宅医療は,旭山動物園のようなものなのかなと(笑)。

 患者さんは,設備の整ったバリアフリーな院内では,ケガの心配は少ないけれど,そのぶん自由も制限される。ところが家へ帰ると,布団が積み上がっていたり敷居があったり,床の材質もバラバラです。でも患者さんはどんどん行動される。もう長い間生活している場所で,まさに勝手知ったるわが家なんです。病院では,「夜は危ないから,トイレはベッドの横でするように」と言われていた方も,真っ暗な家の中を杖もつかずにトイレまでスタスタ歩いていく。そして当然,そのほうが幸せな表情をされるんです。

坂東 病院は設備が充実しているとはいえ,あくまで病院側の理屈で成り立っていることが多いかもしれないですからね。一番いいのはその人自身が楽しく,その人らしくいられること。障害物があっても,デコボコがあってもいいんです。

命の始まりから終わりまで,見続けて,感じ続けてほしい

坂東 病院のように,いろいろなものが整いすぎる環境というのは,家族や親子間の距離感もわかりにくくしてしまう場合があるのではないでしょうか。

角田 そうかもしれません。病院で看護師がとにかく安全に慎重にという看護をしていると,入院患者さんのご家族はたいてい,「こんな大変なことは家ではできません」「家族は,看護師さんのように24時間は看られません」と言われます。そのときには,患者さんとご家族の間にすごく隔たりを感じます。

 でも患者さんが家へ帰ると,ご家族はわずか1週間くらいで患者さんが何ができるのか,どの程度看てあげればいいのかがわかって,ほどよい距離で世話ができるようになる。すると介護が大変ではなくなってくるんですね。

坂東 「体の衰え」や「老い」などを感覚で理解していれば,どのように手助けすればいいかわかってくると思うし,死まできちんと見届ければ,それがどんなものか心に残ると思います。でも日本では今,急速に「かかわらない社会」化が進んでいて,不都合なものは全部隠されて,最後にお葬式で亡くなった方だけを目にするような場合も多いですよね。

角田 寿命も延びたし,核家族化が進んでお年寄りは施設や病院に入ってしまいますからね。

 30年後は「多死時代」になると言われています。今,日本では毎年約100万人が亡くなっていますが,それが30-40年後には1.5倍以上になる。すると,人間の死が今までよりも頻繁に起きるわけです。今のような,老いや死をとにかく遠ざける風潮が続くと,死者が1.5倍以上に増えたときにはとても看取れない国になってしまいます。そして看取れなかったら,たぶんますます命を作りたくなくなって,少子化も進みますよね。

坂東 今ある命をどれだけ延ばせるか,ということが絶対的価値になって,命を作る力自体がすごく弱くなっている気がします。

角田 これからは,老いること,死ぬことに直面する機会・場所を「作る」ようにしなければならないのかもしれません。

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