航空機内における医療について考える(佐藤健一)
寄稿
2010.01.11
航空機内における医療について考える
佐藤健一(関西リハビリテーション病院リハビリテーション科)
ポーン。「お客様の中で医療関係者の方はいらっしゃらないでしょうか?」
滅多に遭遇しない航空機内でのアナウンス。乗客の間に緊張が走る瞬間ですが,それは私たち医療関係者も同様で,自分が名乗り出て役に立つのかと真剣に悩む時間にもなります。
その悩みの理由は,今まで受けてきた医学教育を振り返ってみるとわかります。そうです。医学生のときや研修医になった後も,「航空機内で医療を行うこと=航空機内医療」について,しっかりと話を聞くことや,勉強する機会がほとんどないのです。それ以上に,実際に搭載されている医療用具や医薬品を見る機会もまずありません。以前は航空機内医療についての講義がある大学も存在したようですが,非常に限られていると思われます。
このように,航空機内など特殊な環境下における医療について,関心があっても学ぶ機会はほとんどないに等しいのが現状です。しかし,受療者はクリニック・病院の外に出れば普通の地域住民です。当然,旅行にも行きます。今の時代,旅行は国内にとどまらず,航空機で10時間以上かけて海外に行くことも珍しいことではありません。
大部分の方は何事もなく帰ってきますが,われわれの想像以上に身体には負担がかかっています。そこで今回は,筆者が行っているレクチャーの中から重要と思われる部分をお伝えします。
航空機内の環境は特殊 代償能が不十分なら急変も
飛行中の航空機内は,気圧が0.8気圧(富士山5合目と同程度),気温25度,湿度10-20%となっています1),2)。この気圧の変化に比例して,1気圧で150 Torr程度だった動脈血酸素分圧は118 Torrへ低下し,同時に肺胞気酸素分圧も下がることで,Hb飽和度も99%から90%へ低下します3)(図)。このように,通常でも90%程度に下がるのですが,身体が代償(心拍数,心拍出量などの増加)することで何事もなく過ごすことができています。
図 地上と航空機内の環境の比較 |
航空機内では,気圧(PIO2)が760Torrから608Torrまで低下する。これに伴い,肺胞気酸素分圧(PAO2)も90Torrから58Torrまで低下するため,Hb飽和度も99%から90%へ低下する。 |
しかし,基礎疾患がある方の場合は,そうはいかないことがあります。身体に取り込まれる酸素が減り,それに対し十分な代償が起こらないと,地上では異常なく生活していた方が症状を訴える可能性が高くなります。また,湿度も砂漠と同じくらいに低下するため,気管・角膜・皮膚の乾燥,気道の過敏性,痰の粘稠化,不感蒸泄の増加などが問題となります。したがって,基礎疾患を持つ方が旅行する場合は,環境の変化による影響を考慮に入れたアドバイスが求められてきます。
機内の医療設備環境と外国人も想定した診察の心得
機内で急病人が発生したときについて考えてみましょう。
機内で比較的多くみられる症状は客室乗務員(CA)の方が対処します。Dr. Callが出されるのは,CAが対処できない状況や乗客からの依頼があったときです。機内には国土交通省の通達に則って,医薬品・医療用具が搭載されています。通常は鍵がかかっており見ることはできませんので,その内容については航空会社のサイトなどを参照してください2),4),5)。診察に使えるのは血圧計,聴診器,心電図モニター,血糖測定キットくらいです。しかし,航空会社で連絡先は異なるものの,地上にいる医師と連絡を取って医療支援を受けることができますので,一人ですべてを判断して治療を行うわけではありません。商業ベースではMedAire社のMedLinkが有名と思われます6)。
意を決してDr. Callに応じると決めても,下記のような留意すべき点があります(抜粋)7)。
1.持っている医療資格をはっきりと言う(証明書が必要なことがあります)。
2.診察や治療を行う前に病歴を取り,説明して同意を得る。 3.同意の後に身体診察を行う。 4.地上の医療支援スタッフの利用はためらわない。 5.自信を持って行うことができない治療は行わない。 6.病歴や所見,治療,乗務員・地上スタッフとのやりとりは紙面にしっかりと記録する。 |
日本の感覚では過剰と思われるかもしれませんが,診察する相手は日本人とは限りません。医療に対する考え方,医師と患者の関係は国によって異なります。日本の外来での感覚で対処すると思わぬトラブルにもなりかねないので注意してください。
医療行為をめぐるトラブルについてですが,国内の航空会社は重過失がない限りは対処してくれるようです。しかし,その判断の根拠は診療記録が大部分になりますので,その意味でも記録はしっかりと残すことが重要となります。訴訟については国や各会社によって大きく異なってきますので,航空機に搭乗する前にその会社のサイトを確認してみると良いと思います3)。
急病人で多いのは失神2),8) 心血管,呼吸器の疾患もみられる
Dr. Callの際にみられる代表的なものは,血管迷走神経反射による失神です。これは長時間の座位,不感蒸泄増加による脱水状態で,トイレで排尿した後によく発生します。対処としては横にして脳への血流を増やしたり,必要に応じ酸素を投与します。
心血管系では胸痛,狭心症の発生で,前述の酸素分圧の影響,疲れ,服薬時間の乱れなどによって生じます。対処としては酸素の投与,ニトロペンなどの投与がありますが,それでも20-46%は代替着陸が必要となります。
呼吸器系では,気管支喘息の悪化や酸素分圧の変化による呼吸困難などが起こります。肺予備能の評価および機内における酸素投与の要否は,(1)平地を50mほど歩く,(2)階段を1階分,休まず上がる,この2つを普通の速度で呼吸困難なくできるかどうかでおおよそ判断できます9),10)。
在宅酸素の方は通常量に1-2 L/分追加しますが,酸素飽和度が92-95%で酸素を使用していない方には注意が必要です11),12),13)。このような場合,動脈血酸素分圧を測定しますが,72 Torr以下では低酸素症になる可能性が高いので,酸素の使用を検討します10),13)。
しかし,高炭酸ガス血症を伴う2型呼吸不全では機内で酸素を使用すると呼吸停止の可能性が高くなるので搭乗は相対的禁忌となります14)。機内での酸素は原則として用意されたボンベを使用しますが,米国に離着陸する航空機ではポータブル酸素濃縮器が使用できます3)。医療機器の進歩に伴い,機内で使用できる医療機器も毎年変化していきますので,搭乗前に確認することをお勧めします。
搭乗者の健康状態の評価も快適なフライトには重要
最後に搭乗しなくてもできる協力を紹介します。それは診断書(MEDIF:Medical Information Form)への記入です4),5),14)。作成したMEDIFの有効期限は14日間であり,国内線はフライトの48時間前,国際線は72時間前までに航空会社に送付します。その情報をもとに航空会社は搭乗の可否を決定しますので,十分な情報を伝えるようにしましょう。書き方とフォームは各航空会社のサイトに用意されています。
最後に表のような点を飛行機で旅行される方にアドバイスされることをお勧めします。帰ってきた後に楽しい土産話を聞くことができるように見送ってあげましょう。
表 航空機搭乗受療者へのアドバイス | |
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◆参考文献
1)Prout M. Management of inflight medical eme-rgencies on commercial airlines. UpToDate 15.2.
2)特集 医師として知っておきたいTravel Medici-ne. 臨牀と研究.2008; 85(9): 1293-1295.
3)Silverman D, Gendreau M. Medical issues as-sociated with commercial flights. Lancet. 2009; 373(9680): 2067-77.
4)ANA http://www.ana.co.jp/
5)JAL http://www.jal.co.jp/
6)MedAire http://www.medaire.com/
7)Gendreau MA, John CD. Responding to medical events during commercial airline flights. N Engl J Med. 2002; 346(14): 1067-73.
8)大越裕文.空港・旅客機内での救命処置――機内でドクターを呼ぶアナウンスが流れたら.LISA.2004;11(3): 298-302.
9)Aerospace Medical Association. Medical Guidelines for Airline Travel, 2nd Edi. Aviation, Space, and Environmental Medicine. 2003; 74(5): Section II A1-A19.
10)Prout M. Preflight patient assessment. UpToDate. 15.2.
11)Graeme PC, J GD. Oxygen and inhalers. BMJ. 2006; 333: 34-6
12)UpToDate: Traveling with oxygen
13)特集 トラベルメディスンのすすめ.JIM; 2004; 14(6): 494-8
14)安藤秀樹.航空機旅行と呼吸不全.日医雑誌.1999; 121(10): 1617-22
佐藤健一氏 1997年札幌医大卒。北海道家庭医療学センターにおいて家庭医療の研修を行い,現在はリハビリテーションの研修を行っている。実際に機内でDr. Callを受けた経験から,航空機内医療に関する知識を持つことの重要性を実感しレクチャーを開催している。 |
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