医学界新聞

インタビュー

2010.01.04

【interview】

再生医療実現のための
トランスレーショナルリサーチの課題とは

福島雅典氏(先端医療振興財団 臨床研究情報センター長)


 ES細胞やiPS細胞に代表される分子細胞生物学の発展から,再生医療への期待は急速に高まっている。一方で,そのような新技術を臨床へと応用し,実際の治療で使うためには基礎と臨床をつなぐ“トランスレーショナルリサーチ(TR)”が不可欠である。しかし,その基盤となる知財や治験の環境の整備は,わが国では諸外国に大きく遅れをとっているのが現状だ。今後,TRを推進していくためには何が必要なのか,TRの基盤整備とともに再生医療の実用化に取り組んできた福島雅典氏に,現状と課題を伺った。


――トランスレーショナルリサーチ(TR)とは,どのようなものでしょうか。

福島 TRとは,研究の方法ではなく研究事業の1つの段階(フェーズ)を指します。具体的には,新しい医薬品・医療機器の開発,新規医療技術開発の研究における,First in Man(ヒトで最初)のトライアルを含んだ前臨床から早期臨床までの段階です。俗に「死の谷」とも言われる非常に重要な段階で,ここがうまくいかないと膨大な基礎研究の結果があっても臨床応用ができない,つまり日の目を見ないことになります。

 最初にヒトに投与する段階では,基礎研究で得られた成果が「ヒトでも治療効果が出る」ことを強く示唆する,前臨床研究・動物モデルにおけるPOC(Proof of Concept:薬効原理の証拠)があることが前提となります。ただ,動物モデルでうまくいっても,そのモデルがヒトの病気をきちんと表現できているかは不明ですので,ヒトでうまくいくかどうかはわかりません。「動物実験で成功した」「遺伝子を解明した」「この遺伝子が病気の進行にかかわっている」という報告がいくらあっても,ヒトの治療には使えない。つまり基礎と臨床は“橋のない川”で分かれていて,そこに橋を渡すためにTRがあり,TRは日本語では「橋渡し研究」と訳されています。

――では,TRはどのように進めていけばよいのでしょうか。

福島 まず忘れてはならないのは,医薬品等の開発は研究者の興味・関心に基づく“研究”ではなく法律的なプロセスであり,“事業”だということです。したがって信頼性を保証するための国際的な指針である,ICH-GCP(Good Clinical Practice:日米EU医薬品規制調和国際会議で合意した臨床試験の実施基準)に基づいて臨床試験を実施し,製品はGMP(Good Manufacturing Practice)で製造し,GLP(Good Laboratory Practice)で前臨床のデータを取ることが要求されます。また,国家的な事業や人類共通の事業として行う必要があり,経営の視点も必要となります。

国家事業としてのTR推進プログラムが始まった

福島 これまで日本では,新規医薬品候補物であっても医師の裁量で自主的な臨床研究が可能であり,薬事法やGCP/GMP/GLPを満たさない形で多くの臨床研究が行われてきたところに大きな問題がありました。薬事法に基づかない臨床試験をいくら行っても,医療として確立することはできません。

 日本は完全に世界から取り残されるところまできていましたが,起死回生をかけ文科省のプログラムである「革新的ながん治療法等の開発に向けた研究の推進」が,2004年度から5年間行われました。そしてさらなるTR推進のため,文科省の「橋渡し研究支援推進プログラム」(http://www.tr.mext.go.jp)が始まっています。これは,国家事業としてわが国のTRの基盤形成を行うことが目的です。2007年度から始まった本プログラムでは,北海道臨床開発機構(参画機関:札医大,北大,旭川医大),東北大,東大,京大,阪大,先端医療振興財団 臨床研究情報センター(TRI),九大の7つの拠点を設けてTR推進に取り組み,2009年度に中間評価を終え非常に高い評価を得ています(図)。このなかで,われわれのTRIは各拠点のサポート役も引き受けています(http://www.tri-kobe.org)。

 日本のトランスレーショナルリサーチ(TR)拠点(文科省)

――プログラムの内容について教えてください。

福島 このプログラムの最終目標は,研究開発(R&D:Research and Development)のパイプラインを強化することです。そのため,文科省は1拠点あたり2件の有望な基礎研究の成果(シーズ)について,薬事法に基づく治験を開始することを課しています。

 また,TR推進のための基盤整備(表)ということでは,戦略的な特許化,知財(知的財産権)管理経営のための仕組み作り,医師主導治験実施のためのデータセンター機能の整備,GMPに基づいた製品(特に細胞製剤)の製造,さらに信頼性保証部門の設置に取り組むとしています。これにより,各拠点では常に複数のシーズがR&Dのトラックを流れている状態にすることを計画しています。

 トランスレーショナルリサーチの基盤

1.科学 ― 臨床試験インフラ
2.診療 ― State-of-the-Art
        患者数,診療レベル
3.法律・倫理 ― ICH-GCP
4.知財 ― 特許,ノウハウ
5.事業 ― 製品化,ビジネスモデル

――基盤整備の進捗状況はいかがでしょう。

福島 これまで大学には臨床試験を行うための人材はほとんどいませんでしたが,各拠点では生物統計家,データマネジャーなどかなり人員がそろってきました。知財に関する意識も改善され,専任の人員が少しずつ増えてきており,知財管理経営への取り組みもみられるようになりました。

 また,知財獲得のために全拠点に世界最新鋭のデータベースを導入しました。最先端の知財の情報を提供している「Thomson InnovationSM」,医薬品情報の「Thomson Pharma®」,薬事情報の「IDRAC®」という3つのデータベースです。これは,世界の教育機関で初めての試みです。医薬品や医療機器,医療技術の開発はTRあるいは創薬という言葉に惑わされていますが,事実上,特許ビジネスであり国際競争下にあります。新たに見いだされた知見や技術は,特許もしくはノウハウとして管理下に置いてはじめて実用化に結びつきます。国家予算を使って新しい知識を産み出しても,他国で特許を取られて,他国の企業が商品化すれば,日本には何も残らないのです。

 また,臨床試験の体制を国際競争に耐えられるものにするため,先端のデータマネジメントシステムの導入も進んできています。プログラムでは最終的には“ユニバーシティホスピタル・クリニカルトライアルネットワーク”を作ることを計画しています。これは,各拠点大学で関連病院をすべてネットワーク化し,さらにほかの病院も結合していくことで,ひとつのネットワークを作るというものです。またCPC(Cell Processing Center:細胞培養センター)の整備も進んできたので,細胞療法再生医療ネットワークを形成し,再生医療を実地医療として提供できるようにします。

 このような整備が適切に進めば,プログラム終了後は国際競争力を保つための知財戦略策定と経営ができるようになると考えています。

法的環境の整備は必須

――わが国でTRをよりいっそう推進していくためには,何が必要なのでしょうか。

福島 臨床試験の適切な管理を行うための法的環境の整備が重要です。GCPに適合しない形でも臨床試験を行えることは,倫理的に問題であるばかりでなく,わが国の科学としての問題でもあり社会体制の後進性を露呈していることにほかなりません。TR推進のためには,日本の医療の質が保証されていることを国際的にアピールする必要がありますが,そ...

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