新型インフルエンザ まだ来ぬ「第一波」に備えよ(押谷 仁)
インタビュー
2009.08.10
【interview】
新型インフルエンザ
まだ来ぬ「第一波」に備えよ
押谷仁氏(東北大学大学院医学系研究科微生物学分野教授)に聞く
「日本では新型インフルエンザの第一波は起きていない」――。WHOでパンデミック対策に取り組んできた押谷仁氏(東北大)はこう指摘するとともに,海外同様,日本でも大規模な感染拡大は避けられず,重症者が一定の割合で出てくると分析する。世界の状況や明らかになりつつある重症者の全体像,日本国内での感染拡大期における対応の課題などを,押谷氏が語った。
「フェーズ6/moderate」の意味
――最初に,海外における新型インフルエンザA(H1N1)の流行状況からお聞かせください。
押谷 日本のメディアは無関心になっていますが,今まさに世界中で感染が急速に拡大しています。冬を迎えた南半球だけでなく,夏になると流行が終息するとの見方があった北半球,それから東南アジアにおいても,感染者が急増しています。
世界中で700人以上の死者が出ていますが,最も死者が多いのは米国です。当初はメキシコで死者が出始めて,その原因は「メキシコの医療体制が整っていないからだ」と言われていました。しかし現在では,米国のほうがメキシコよりも多くなっています。
――医療設備の不備などの問題で片付けることはできない?
押谷 そうです。米国の場合,当初はメキシコ旅行帰りの高校生など,健康な若者の間で流行が広がっていました。それがやがてコミュニティに広がり,リスクファクターのある人も罹患することによって重症例が増えてきた,という構図なのだと思います。軽症で済む場合が大半というのは事実ですが,感染が拡大すれば一定の割合で重症者が出てきます。
――WHOは,6月11日にフェーズ6を宣言した際,このパンデミックを“moderate”と表現しました。これにはどういった意味があるのでしょう。
押谷 これまでのパンデミック対策で想定されてきたH5N1亜型の高病原性鳥インフルエンザや,致死率2%を超えて世界中で4000-5000万人の死者を出したとされるスペインインフルエンザ(1918-20年)のような“severe”なパンデミックではない。ただ,致死率0.1%程度の季節性インフルエンザのような“mild”なパンデミックでもない,という意味です。
今回の新型インフルエンザの致死率がどの程度に落ち着くかは現時点ではわかりません。mildでもsevereでもない,その間のどこかに位置付けられる,かなり広い範囲を想定する必要があります。
――各国がフェーズの引き上げに反対の意を示すなかでの宣言でした。それほどの強い懸念があったということなのでしょうか。
押谷 この事態はパンデミックなのであり,「季節性インフルエンザとは異なる,大きな被害が起こる可能性がある」ということです。日本ではまだまだ,「季節性インフルエンザと一緒だ」という見方をしていますが,WHOがフェーズ6を宣言して,しかも「mildではない」とした事実を重く受け止めるべきです。
季節性インフルエンザと異なる「被害の社会的インパクト」
――被害想定はどのように考えられるでしょうか。
押谷 被害想定は,「何人の感染者が出るか(罹患率)」と「感染者のうち,どのくらいが重症化し死亡するか(致死率)」という2つのファクターを掛け合わせて決まります。
日本を例にとると,季節性インフルエンザの場合,毎年500-1000万人が罹患しています。一方,新型インフルエンザの場合,一部の高齢者で今回の新型インフルエンザに免疫があるとも言われていますが,ほとんどの人は免疫を持っていません。そのため,罹患率は季節性インフルエンザよりも高いことが想定されています。
罹患者を3000万人と仮定します。ウイルスの病原性が季節性インフルエンザと同程度の致死率0.1%としても,死者3万人。病原性が季節性インフルエンザを上回って致死率0.4%まで上がった場合は,死者12万人になります。moderateといっても,致死率が少し上がるだけで,これだけ被害が甚大なものになるということです。
――その一方で,罹患率・致死率ともに不確定要素が多いため,季節性インフルエンザと同程度の被害で収まる可能性も残されているのでしょうか。
押谷 確かにその可能性もあります。季節性インフルエンザでも,1998-99年のシーズンには3万人以上の死者が日本国内で出ています。ただ,これは数だけの問題ではないのです。
季節性インフルエンザによる死者の大半は高齢者です。それも,ウイルスが直接の死因になる場合は少なくて,インフルエンザ感染をきっかけに細菌性肺炎や心筋梗塞を起こすようなインフルエンザ関連死が大半です。ところが,今回の新型インフルエンザによる死者のほとんどは,子どもや働き盛りの成人。しかも主な死因はウイルス性肺炎による呼吸不全です。これは高齢者が季節性インフルエンザで亡くなるのとは,社会的なインパクトがまったく違うのです。
ニューヨーク市のデータでみる重症者の全体像
――重症者・死者の全体像は明らかになりつつあるのでしょうか。
押谷 これについては,ニューヨーク市のデータが最も参考になります。ニューヨーク市では,新型インフルエンザによってこれまで909人が入院し,47人が死亡しています(7月1日時点:表1)。そして,やはり25-65歳のグループが入院者・死者ともに多くなっています。
米国は日本よりも入院の基準が厳しいですから,かなり重症の患者が多発しているものと思われます。これは少し古いデータ(6月12日時点)ではありますが,入院患者のうち2割がICUでの管理を,1割が人工呼吸器を必要としています。つまり,重度の肺炎で入院しているわけです。
――では,どのような人が重症化しているのでしょうか。
押谷 入院患者全体の8割がリスクファクターを持っています(7月1日時点:表2)。中でも喘息が入院患者全体の3割を占めます。なぜ喘息患者で新型インフルエンザが重症化するのか。これについては,吸入ステロイド薬との関連などさまざまな推察がなされていますが,いまだ明らかになっていません。いずれにしても喘息患者が多い。あとは心臓病や慢性の呼吸器疾患,糖尿病,免疫不全などです。それと,乳幼児や妊婦,高齢者の重症化例も報告されています。
表1(左) ニューヨーク市における入院者数および死者数 | |
表2(右) ニューヨーク市における入院患者の主なリスクファクター | |
*表1,2ともに,New York City Health Departmentのウェブサイトのデータ(7月1日時点)をもとに作成。 |
――「免疫があるから高齢者は重症化しない」という説がありました。
押谷 最近になってやはり高齢者でも死者が出ています。一部の人は確かに免疫を持っているのかもしれませんが,これまで死者が少なかった理由として,ナーシングホームなどに入居するハイリスクグループに感染が広がっておらず,高齢の罹患者自体が少なかった可能性が考えられます。
重症化例の病態は「ウイルス性肺炎+ARDS」
――重症化例の病態はどうでしょう。
押谷 少しずつですが,実態が明らかになりつつあります。当初は2次性の細菌性肺炎と報道されていましたが,実はそうではありませんでした。重症例の多くはウイルス性肺炎にARDS(Acute Respiratory Distress Syndrome;急性呼吸促迫症候群)を合併していると考えられます。サイトカインストームと呼ばれる免疫の過剰反応が起きて,多臓器不全になっている例もあります。
――2次性細菌性肺炎は主な重症化因子ではない?
押谷 そもそも細菌性肺炎ならば,抗菌薬である程度のコントロールができるはずです。高齢者は難しいとしても,若年層でこれほどの重症者は出ないでしょう。
――今回のウイルスは病原性が低い,いわゆる「弱毒性」とも言われているのになぜこのようなことが起こるのでしょうか。
押谷 米国とオランダの研究者たちがそれぞれ動物実験を行い,...
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