医学界新聞

寄稿

2009.06.15

【寄稿】

09年国際蘇生連絡協議会を開催して

岡田和夫(日本蘇生協議会会長/国際蘇生連絡協議会2009開催責任者)


ILCORとAHA

 ILCOR(International Liaison Committee on Resuscitation;国際蘇生連絡協議会)が2009年3月16-18日に,大阪国際会議場(大阪市)にて開催された(34か国・地域から,海外参加者99名,国内参加者16名)。

 ILCORは1992年に英国で第1回のカンファレンスが開かれ,米国,ヨーロッパ,カナダ,オーストラリア,南アフリカが参加している。音頭を取ったのは,1987年に設立されたERC(European Resuscitation Council;ヨーロッパ蘇生協議会)であった。米国ではAHA(American Heart Association;米国心臓協会)が1974年からCPRガイドラインを6年ごとに改訂していたが,この1992年版が出版された年に当たる。

 蘇生法に関心があり独自のガイドラインを作成しようとする国々に対し,ILCORは設立後もこの国際組織への参加を呼びかけていた。AHAはこうした蘇生法の国際ガイドラインが作成される流れをみて,1998年版の改訂を2000年に延ばし,ILCORとAHAの共同編集としてガイドラインを出版した。

日本からアジアへの展開,ILCORの日本開催まで

 日本にはILCORに参加する学際的団体が当時は存在せず,日本救急医療財団の心肺蘇生法委員会に国際部会を設けて,2000年のガイドライン作成会議に派遣した。そして2001年7月16日,第13回心肺蘇生法委員会において,JRC(Japan Resuscitation Council;日本蘇生協議会)が独立して世界の窓口となることが承認された。2002年1月18日に第1回JRC委員会が開催され,正式に発足した。

 ILCORへの新規加入資格は国でなく地域代表と変わったこともあり,JCRはアジアの国々に呼びかけを行った。愛知医大・野口宏教授の尽力により,2005年の愛知万博に合わせ,RCA(Resuscitation Council of Asia;アジア蘇生協議会)の設立総会と調印式を行い,第1回RCAシンポジウムも開催した(韓国,台湾,シンガポール,日本の4か国でスタート)。2006年のILCOR会議においてRCAの加入が満場一致で承認され,ILCORの一員としてガイドライン作成の取り組みを共有することになった。

 そして,2009年ILCOR会議の招致をカナダと日本で争い,今回の大阪開催に成功した次第である。

CoSTR改訂直前の重要な会議

 CPRガイドラインはILCORの主導により2000年,2005年と改訂が続けられてきた。2005年版からは,ガイドラインでなくCoSTR(Consensus on Resuscitation Science and Treatment Recommendation)として作成されている。

 次回2010年改訂のために,2006年より年2回のILCOR会議が開催されている。今回の大阪でのILCOR会議は,2010年改訂の直前の会に当たり,重要な討議が,BLS(一次救命),ALS(二次救命),PALS(小児救急),Neonatal(新生児救急),ACS(急性冠症候群),EIT(教育訓練)の6分科会で行われた。

 2006年以降の世界中の文献を検索して,討論すべきトピックを310題までに厳選。指名された人がこのトピックをsurveyして,分科会と全体会議の討議を経てILCORの決定となる。作成者はworksheet authorと呼ばれ,同じ主題を2人が担当することもある。

 大阪の会議では検討項目が増加して,worksheet authorの費用が問題になってきた。その対策として滞在費,旅費の負担を軽減すべく,インターネットを利用するwebinar方式が導入された。発表分担者は大阪に来なくとも,時差にあわせて現地からインターネットにアクセスし,ビデオカンファレンス形式で討論が支障なく進められる方式である。今回これが円滑に運営されたことによって,AHAの負担経費が削減できることになり,ILCORの独自性が確立できる企画となった。

国際蘇生科学シンポジウム

国際蘇生科学シンポジウムの模様
 ILCOR翌日の3月19日には,事前登録の参加者1100人で満員になった大阪中央公会堂でI-ReSS(International Resuscitation Science Symposium;国際蘇生科学シンポジウム)が開催された(右写真)。ILCORに参加した世界中の蘇生の専門家が発表するため,聴衆の関心は非常に高かった。

 ここでの特徴は,2000年のCPRガイドラインからCPRの科学と蘇生法の普及が図られたにもかかわらず,救命率の向上は微々たるものだったという反省に基づいて,発表がなされたことである。いくつかのトピックスを紹介する。

1)胸骨圧迫の方法がターゲット
 「胸骨圧迫30回ごとに人工呼吸2回」という2005年に提唱されたリズムは変更されないが,第一発見者が実施する胸骨圧迫の質向上と,この方法の訓練を正確に行うことが強調された。事故者を発見したら,直ちにCPRを開始することのみでよしとするのでなく,いったん開始した胸骨圧迫は絶え間なく実施(中断時間を短く)する。この圧迫の強さが十分であること,一回完了ごとに圧迫した手の力を抜いて,胸骨を元の位置まで戻すことが指摘された。

 胸骨圧迫だけのCPR(人工呼吸は省く)に関しては,今回の会議では結論が得られていない。2010年までの世界のevidenceの蓄積を待つことになった。

2)CPRの成功は中枢神経機能の回復が決め手
 「心停止の人で心拍が再開しても意識が回復しないと成功したと言えぬ」と専門家らが主張した。その後の対策が重要だとして,救命の連鎖(chain of survival)を従来の4鎖から5鎖にする提案が以下のように討議された(図)。

 新たに討議された救命の連鎖(5鎖)

 救命の連鎖は(1)緊急通報,(2)心肺蘇生,(3)AED施行,(4)二次救命処置(循環,呼吸の回復,安定)であった。これに(5)心停止後症候群(post cardiac arrest syndrome)の対策として,低体温法や早期冠動脈形成などが挙がった。中枢神経系は酸素欠乏に弱いが,この保護のために低体温療法を中心にした治療を実施する。心拍再開で意識が戻らない状態なら,32-34℃で12-24時間の低体温法をすみやかに実施する。この手技には,体表面を冷却する簡単な方法から,選択的脳冷却法,さらに人工心肺による血液冷却法まであることも紹介された。これらは成人だけでなく小児も適応になる。

3)体外循環法を導入したCPR
 心室細動(VF)は除細動が第一の選択である。しかし,病院搬入までの時間が長引くとVFがPEA/心静止になってしまう。この状態では救命の可能性が極めて低くなるというのが,これまでの世界の常識であった。

 CPRと同時に人工心肺を導入することによって心停止状態から蘇生させるという報告が日本と台湾から発表され,外国の演者に与えたインパクトも大きかった。台湾は,院内心停止の多数の症例に応用し,良好な社会復帰率を果たしたデータを,Lancetなどに発表したものを中心に紹介した。

 蘇生チームとcannulationチームが同時に活動を開始し,人工心肺で全身の血流を維持しながら体外循環で急速に低体温にすることによって脳保護を行う方法は,E-CPR(Extra corporeal CPR)と呼ばれている。日本からは日大駿河台病院の長尾建教授が,院外心停止症例に施行し社会復帰できた成績を提示した。

 

 大阪で開かれたILCOR,I-ReSSのいずれの場でも,RCAとJRCによるevidenceを提示することができた。世界の蘇生科学の発展の一翼をわれわれが担っていることを,国内外に示せたと思う。


岡田和夫氏
1955年岡山大医学部卒。60年東大大学院修了。パリ大クロード・ベルナール病院(仏政府給費留学生),東大麻酔科助教授,帝京大麻酔科主任教授などを経て,2001年より日本蘇生協議会会長。Shockの病態生理,人工冬眠をLaborit教授に学び,侵襲に対する生体反応のSelye, Canonの流れから今日までShockを研究。また日本蘇生協議会会長として国際交流の窓口となり,アジア蘇生協議会を立ち上げる。帝京大名誉教授,アジア蘇生協議会会長,フランス麻酔蘇生学会名誉会員(SAMU, Reanimationの概念の日本への紹介などの貢献による)。

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