医学界新聞

寄稿

2009.06.08

【寄稿】

地域を愛し,自分を進化させていく
井川診療所での歩みから,地域医療の魅力について考える

山田 寛(静岡市国民健康保険井川診療所所長)


突然の診療所勤務「とりあえず頑張ってみよう」

 1990年4月,産婦人科認定医の資格を取得したばかりの自分に,突如山奥の診療所勤務が命ぜられました。へき地医療を担うための自治医科大学卒業医でありながらも,義務の3年間を勤め上げればまた産婦人科医に戻れる,正直そんな気持ちで井川へ赴任しました。

 井川は政令指定都市である静岡市の一地区ですが,市街地から60キロほど北上した南アルプスのふもとにあり,陸の孤島ともいえる山間地です。現在,人口約700人(1990年当時は1200人),高齢化率約55%と,急激に過疎・高齢化が進んでいる地区です。そのような土地柄ですので,1957年の診療所開設以来,医師確保には大変な苦労があったようです。ですから,赴任時の地域の歓迎ぶりは大変なものでした。そして医師としての経験が浅い若輩者にもかかわらず,地域で唯一の医療機関ということで仕方なく(?)頼りにしてくれる人々に囲まれているうちに,とりあえず3年間は地域のために頑張ってみようかと,赴任後間もなくそんな気持ちにさせられてしまいました。

医療環境整備で信頼を獲得「井川の医者でやっていこう」

 そこで,まず気付いたことが医療機器や救急体制の不備でした。院内にあるのは古い心電計とレントゲン撮影装置のみでしたので,せめて半日人間ドックができるぐらいの設備をめざしました。幸い行政の理解もあり,医療機器の納入は順調に進み,1992年度から人間ドックが開始できました。救急に関しては,救急車は市街から約2時間ほどで到着といった状況でしたので,緊急時は家族の自家用車か消防団の車両を利用するしかありませんでした。そこで,これも行政にお願いして1992年に救急医療用の患者搬送車を配備してもらいました。

 こうして診療が軌道に乗ってくると,これまで市街へ通院していた患者さんたちも次第に診療所に来てくれるようになりました。現在のように体系化された地域医療の研修システムなどを経験せずに地域へ飛び込みましたので,赴任当初は当然のことながら慣れないことばかりで不安の毎日でした。診療に苦慮したときは,『診療所マニュアル』(医学書院)や種々の医学雑誌,知り合いの病院勤務医や自治医大の先輩医師などを頼りにしながら,何とか対処しました。また,ドックに必要な胃カメラや外来診療で比較的多い眼科,耳鼻科のプライマリ・ケアなどは,週1回の研修日を利用し,後方病院に頼み込んで研修させてもらいました。

 そんな日々を重ねるうちに,専門医療とは違う幅広い医療をやることの楽しさと,自分の仕事が地域から喜ばれているという手応えから,赴任して2年が過ぎようとしたころにはいつの間にかすっかり地域医療の魅力に取りつかれてしまいました。そして義務の3年間が終わろうとするころには,代わりの医師にそれほど不自由していない病院よりも井川のほうが自分をより頼りにしてくれているのではないかと感じ,産婦人科医への道は進まず(当時,産婦人科...

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