Hibワクチンの普及,そしてVPD感染をなくすために(齋藤昭彦,中野貴司,神谷元)
対談・座談会
2009.06.01
【座談会】
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齋藤昭彦氏(国立成育医療センター 第一専門診療部感染症科医長)=司会
中野貴司氏(国立病院機構三重病院 臨床研究部国際保健医療研究室長) 神谷元氏(国立感染症研究所 感染症情報センター研究員) |
欧米に遅れること20年,長らく待望されていたHibワクチンが,ようやく日本でも発売となった。しかし日本の予防接種制度は,国際的にみていまだ大きく立ち遅れている。Hibワクチンにしても「任意接種」という位置づけであり,ようやくスタート地点に立ったばかりとも言える。
本座談会では,Hibワクチンの普及と定期接種化への移行に向けた課題を検証する。さらには,「VPD(Vaccine Preventable Diseases;ワクチンで防げる疾患)はワクチンで防いで然るべき」という前提に立ち,他のさまざまなワクチンの導入やワクチン行政のあり方を提言する(関連記事)。
見過ごされた疾病負担
齋藤 欧米では1980年代後半にHibワクチンの予防接種が始まり,極めて高い予防効果が証明されました。米国の例を取ると,10万人あたり40―50人だったHib感染症の罹患率が100分の1に,つまりほぼゼロと言ってもよいほど激減しました。そして1998年には,WHOが乳幼児へのワクチン接種を推奨する声明を出しています。現在では世界100か国以上の予防接種プログラムでこのワクチンが導入されており,それらの国々においてHib感染症は非常にまれな疾患となってきています。
ところが,GDP世界2位の日本では,2008年12月になってようやくHibワクチンが発売されたわけです。なぜ,これほど導入が遅れたのでしょうか。
中野 諸外国に比べて,ワクチン導入前の疾病負担が軽く考えられたのが最大の理由ではないでしょうか。確かにサーベイランスの結果を見ても,米国の10万人あたり40―50人というところまでは達していないですよね。
齋藤 10万人あたり9-10人ですね。
中野 ええ。現場の小児科医として,過去の米国ほどのHib感染症に遭遇していないことは確かです。しかしここで考慮しなければいけないのは,「日本のサーベイランス・システムは米国ほど整備されてはいなかった」ということです。疾病負担が相対的に軽かったのは事実だとしても,現実よりさらに低く見積もられてきたのが一因ではないでしょうか。
VPDに対する基本戦略においては,サーベイランスの重要性を忘れてはなりません。ワクチンの普及と同時に,質のよいサーベイランス,すなわち患者発見と流行状況の把握,そのための患者報告基準の標準化や実験室診断ネットワークの整備も重要です。
神谷 疾病負担が低く見積もられたことに加えて,専門家の間に「発病しても抗菌薬で治療すればいい」という認識があったことも,Hibワクチン導入が遅れた要因ではないでしょうか。これに関しては,近年の耐性菌増加がもっと問題視されていたならば,ワクチンを一刻も早く導入しようという動きになったのかもしれません。
齋藤 実際,治療が難しい症例が国内で増えていますね。
中野 当院の過去10年間にわたるHib感染症入院例を検討したところ,BLNAR(βラクタマーゼ非産生アンピシリン耐性菌)を主とした耐性菌が6割以上を占めました。Hib感染対策においては,ワクチンによる予防が何よりも大切と言えるでしょう。
副作用のリスクと髄膜炎から子どもを守るベネフィット
齋藤 治験が終了して製造承認が下りるまでも,相当な年数がかかっています。日本の品質基準に対応するのに時間を要したのも,Hibワクチンの導入が遅れた一因のようですね。
中野 2000-02年に治験が実施され,03年に承認申請が行われました。実際に製造承認が下りたのは,4年後の07年1月でした。日本はワクチンをはじめ医薬品が承認されるまでのハードルが非常に高く,審査に時間を要します。しかしそのぶん,安全性が担保されるという利点があることも確かです。
齋藤 Hibワクチンは,世界100か国以上で使用されていて,ワクチンの中でも極めて副作用の少ないワクチンとして知られています。ところが,この安全性に関しては,臨床医の中にも誤解があります。Hibワクチン導入後に院内でよく受けた質問が「狂牛病は大丈夫なのか?」というものです。
製造工程にウシ由来の成分が使用されていることが添付文書に明記されていますが,海外での使用開始からこれまで,Hibワクチンが原因となった狂牛病の報告は一例もありません。極めて可能性の低いリスクだけが大きく取り上げられて,ワクチンの効果に重きが置かれない状況は残念です。
中野 私もこのような質問にはとても困っています。しかも多くの施設が使っている予診票では,唐突に狂牛病のリスクについての記載がありますよね。日本が食の安全に非常に厳しい国で,そういうただし書きを入れなければならない事情はもちろん理解はできるのですが……。
それに加えて,添付文書にはウシ由来の「乳」と書いてあります。「牛乳アレルギーの子どもには接種できないのか」という質問もたくさん受けました。メーカーに確認して海外の文献も調べてみたのですが,ワクチン中にミルク成分はほとんど残っていないようです。牛乳アレルギーの小児に接種して著明な副反応が発生したという報告もありません。添付文書に「ウシ」とか「乳」とか書いてあることで,どうしてもそちらに意識が向いてしまうのですね。
神谷 米国の医師にこの話をしたことがあるのですが,「狂牛病のリスクと,子どもを髄膜炎から守るベネフィットを考えたときに,どちらを取るかは明白だろう」と返されたことがあります。接種することで得られるベネフィットや世界中での使用実績を,医療者はもちろん,保護者にも理解できるように伝達することが必要なのだと思います。
普及への障壁は「任意接種」であること
齋藤 Hibワクチンは2008年12月に販売が開始されましたが,今年1月には供給が追いつかない状況となりました。2月には販売メーカーより各医療機関に対して,安定供給の見込みが立つまで供給を制限する旨の告知が出ています。
中野 現状の供給制限のもとでは,希望して実際に接種できるまで,かなり時間がかかります。しかし,Hib髄膜炎の場合,生後3か月ごろから発症が認められ,発症のピークは生後6か月から1歳台です。乳児早期に接種するのが望ましいのに,これではわざわざワクチンの効果が発揮できないようにしているようなものです。小児疾患は年齢によって罹患率に差がありますから,適切な時期に接種できなればワクチンの意味がないわけです。
齋藤 メーカーとしてみれば,「ワクチンの需要がどれくらいあるのかわからない」という事情があったわけですよね。
神谷 これが定期接種ならば出生数を基準に考えればいいわけですが,任意接種だと接種するかどうかは保護者次第となります。Hibワクチンの接種に高額な費用がかかることや,これまでの任意接種ワクチンの低接種率を考慮すると,メーカーも需要を予測しづらい面があるのでしょう。採算が合わなければ企業としてはやっていけませんから,現状では安定供給が難しいのだと思います。
米国は保険でワクチンの費用がカバーされる一方,無保険者に対してはVFC(Vaccines For Children)という,政府が無料でワクチンを供給するシステムがあります。
齋藤 需要の見込みが立つから,企業も安心して製造できるわけですね。
神谷 そうです。接種率が上がらないとワクチンの効果も実証されず,ますます接種率が下がることが懸念されます。そういった負のサイクルに陥らないためにも,まずは供給体制を整えることです。
齋藤 それには,現状の任意接種を定期化することが大事でしょうね。
Hibワクチン普及への最大の障壁が任意接種であることは明らかです。定期接種に組み込まれると,地方自治体による地方交付税によって費用が負担されます。しかし,任意接種ですと自治体の助成がない限り全額自己負担となり,その額が非常に大きい。Hibワクチンの場合,4回接種で通常は約3万円の費用がかかります。子ども3人の家庭なら,負担はその3倍です。
神谷 いまの日本の制度ですと,接種するかしないかは,保護者の意思や経済状況に左右されてしまうわけですよね。「任意接種」という言葉には「接種してもしなくてもどちらでもいい」という響きがあって,費用もかかるし,接種の必要性を感じない方も多い気がします。
中野 予防接種は,子どもたちの健康を守るために,最も有効で費用対効果の高い手段です。海外の臨床医や研究者と話していても,HibやB型肝炎,水痘のような安全で有効なワクチンが任意接種の扱いになっているということが理解できないようです。
神谷 私が米国の現場を見て感じたのは,米国は医療費が高額なので,医療者だけでなくて,保険者もワクチンを受ける側も予防の意識が高いということです。日本は医療保険制度が充実している...
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