医学界新聞

寄稿

2009.04.13

寄稿
2008年ノーベル賞を読み解く

中田 力(新潟大学脳研究所統合脳機能研究センター長・教授/カリフォルニア大学教授)


 毎年12月10日に行われるノーベル賞授与式。2008年は,日本人科学者が立て続けにノーベル賞を受賞したことで,例年にも増して関心が高まった。その一方,人材の流出や未熟な研究体制など,日本の科学技術の衰退に警鐘を鳴らす識者がいる。脳神経学の専門医であると同時に,物理工学の専門家として国内外で活躍する中田力氏もそのひとりだ。さらに氏は,今回の選考結果に,ノーベル賞の新しい潮流,世界情勢と国際社会の駆け引きをみる。

(編集室)


臨床重視のノーベル医学・生理学賞

 医学・生理学賞(以下,医学賞)を見る限り,最近のカロリンスカ(註1)は,「臨床現場」を重視しているように見える。一昔前だったら,2005年の医学賞に輝いたHelicobacter pyloriに関する研究などが受賞対象にはならなかっただろう。

 確かに,胃潰瘍や胃癌の発症に細菌感染が重要な役割を果たしているという事実は,一般の人には驚きの結果だったのだろう。特に,胃癌への関心が高い日本人にとっては,生活環境とHelicobacter pylori感染とが負の相関を示すことも相まって,わかりやすい「快挙」であった。ただ,これまで,臨床現場における地道な努力の結果といった研究にカロリンスカがあまり興味を示さなかったことを考えると,選考委員会の考え方に何らかの変化があったことは確かである。臨床医としては,大変喜ばしいことである。

 そして,この新しいカロリンスカの流れから見れば,2008年の医学賞に輝いた,Human Papilloma Virus(HPV)およびHuman Immunodeficiency Virus(HIV)の業績は,誰でもが納得できる選択である。

 HPVは,日本人にとっては比較的新しい情報かもしれないが,われわれアメリカの臨床医にとっては,子宮頸癌の主たる原因である感染症として,もう30年以上も問題にされてきたものである。ワクチンが開発されて予防可能となったことが,カロリンスカの背中を押したのかもしれない。性交渉の若年化,多彩化が必然的に進む中で,人類のために健全な子宮を確保することは,極めて大切なことである。少子化で悩む日本にとっては特に,重要な医学進歩であったことに間違いはないだろう。

 HIVに関しては,何をか言わんや,である。むしろ,その受賞が遅いと感じる人が多いに違いない。それだけ,エイズが人類に与えた影響には,計り知れないものがある。極めて短時間のうちに,原因の同定から効果的治療法までが開発された疾患として,他に類を見ないことも事実である。人類の叡智の勝利である。ただひとつ驚かされたことは,受賞者の中にGalloの名前が含まれていないことだった。

HIV「発見者問題」に終止符を打ったGalloの落選

 HIVの同定が誰の手になるかには,以前から多くの議論がなされていた。もともとGalloの貢献に疑問を持つ人が多かったのも,事実である。ただ,政治的決着のついている問題に対して,カロリンスカが独自の判断を示したことは,特記に値するのである。カロリンスカは,Galloの一連の研究が,Pasteur研究所からの試料提供に基づいた二次的なものであるとの判断を下した。平たく言えば,Galloが発見したとされるウイルスは,発見者のMontagnierが提供したものであるとの宣言なのである。

 特許紛争に発展した「発見者問題」は,1987年,当時のReagan米大統領とChirac仏首相の間で,「米仏両者の貢献と権利は同等」との政治決着がなされた。それでもMontagnierがGalloに提供したウイルスとGalloが同定したと発表したウイルスとの遺伝子情報が酷似していることから,科学界におけるGalloへの疑惑は収まらなかった。Gallo自身が,汚染による可能性も否定できないと認めることで,本格的な追及を抑えた歴史がある。一流の研究者が基本的な細胞培養を汚染させることなど考えられないことであるから,Galloの行為が「故意」であった可能性は極めて高いが,証明も不可能だった。そこに,スウェーデンが「採決」を下したのである。

 この判断は,権威主義に傾きがちな日本科学界への警告ともなった。1988年,いまだ科学として決着のついていない段階で,1987年の政治決着を前提として,日本国際賞がMontagnier,Galloの両博士に贈られているからである。

 いや応なしに進むグローバリゼーションの中で,スウェーデンがノーベル賞そのものを,国際影響力を示す手段として利用していることは,何度も指摘されてきたことである。特に平和賞などはその傾向が強い。今回,医学賞からGalloを外したことで,スウェーデンは,アメリカの強引な世界政治への参画に牽制を与えたとも考えられる。ノーベル賞の歴史の中で論争を積極的に避けてきた選考委員会の,大きな転換でもある。

アメリカ大統領選挙直前のサプライズ

 Los Angles大会以来,オリンピックも商業化された。これも,アメリカ中心の世界が作り出した悪い部分なのだが,ノーベル賞も...

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