医学界新聞

寄稿

2009.04.06

【視点】

日本人医師と国際保健のあり方について

鈴木 基(ロンドン大学衛生熱帯医学校修士課程・内科学/途上国公衆衛生学)


 みなさんは,熱帯医学や国際保健という言葉に,どのようなイメージを持っているでしょうか。日常診療とはかけ離れた特殊な分野,といったところでしょうか。あるいは,医療の本流からはぐれてしまった,風変わりな人たちが集まる世界,と思っている方もいるかもしれません。実際,そういう印象もそれほど間違いではなかったでしょう,少し前までならば。しかし,状況は変わってきています。普通に国内で診療をしながら,海外に出て医療活動をし,そして再び日本の医療の最前線に戻ってくる臨床医が増えてきているのです。

 私自身の場合を例にとってみましょう。私は,市中病院と大学病院で5年間の臨床経験を積んだ後に,国境なき医師団の一員として,スリランカ,続いてパレスチナの難民キャンプで医療支援活動に従事しました。帰国後は,再び市中病院に勤務しつつ,スマトラ沖地震津波後の感染症調査活動に参加。そして2006年から2年間,ベトナム中部のニャチャン市に住み込み,現地の病院で診療活動と研究を行ってきました。

 こうまとめてしまうと,やはり特異な経歴を持つ人間にみえるかもしれません。しかし,私は,どこまでも日本の一臨床家であると自負しています。そもそも,先進国であれ,発展途上国であれ,臨床医の役割が患者の治療であることに違いはありません。日本の臨床現場で仕事ができない医師が,どうして,途上国の医療現場で必要とされるでしょうか。国際保健にかかわる医師に求められる条件とは,ごく「普通の」臨床家であることなのです。

 確かに,海外のフィールドでは,診療だけでなく,政治的交渉から肉体労働,調査研究に至るまで,幅広い活動が求められることになります。しかし,もはや聴診器一つで熱帯のジャングルの中に乗り込み,生涯をその地にささげる,といった古典的なイメージは捨て去るべきでしょう。当たり前のことですが,臨床は医師だけで成り立つものではありません。多くの専門技能を持った人たちが集まって,初めて医療行為は可能になるのです。それは,社会や文化や言葉が違っても同じです。

 私は,現在,ロンドン大学の衛生熱帯医学校(LSHTM)で途上国公衆衛生学を学んでいます。同級生は70人ほどいて,みな国籍が違いますが,同じように自国と海外の現場を往復しながら,診療や看護に携わってきた者ばかりです。彼らと話をしていると,熱帯医学とか国際保健とか呼ばれる分野など,本当はどこにもありはしないのだと強く感じます。医学・医療は一つなのであって,あるのは地域ごとのバリエーションだけなのです。

 そのような意味からも,私は,発展途上国で活動する医師が,必ずしも国際保健のエキスパートになる必要はないと思っています。医師にできることは限られているのだから,臨床家としてできることに専念すればいいのです。日本で臨床をし,その先端の知識と技能を途上国のフィールドに還元し,そしてそこで学んだことを,再び日本の医療の前線に還元する。一人ひとりの医師にできることはわずかでも,このようなサイクルに入ってくる人数が増えることで,全体として達成できることは大きなものになるのではないでしょうか。少なくとも,特別な熱意と能力を持った,ひとりの奇特な医師がその人生すべてをささげるよりは。

 私は,私と同じように,一臨床家として国際保健にかかわりたいという希望を持った医師たちが増えてきていることを,心強く感じています。その一方で,彼らの多くが,国内臨床の前線に戻ることができなくなるのではないか,あるいは臨床医であることを捨ててしまうことになるのではないか,という恐れゆえに,途上国へ向かうことをためらっている現状を改善できないかとも思っています。もちろん,そのためには,彼らの活動をサポートする体制が整備されなくてはなりません。一方で国内の医師不足が叫ばれるなか,それは容易なことではないでしょう。しかし,国際保健を志す医師の活動を許容し,現場に取り込むことができる体制を整えることと,日本の医療システムの柔軟性を実現することは,実は同じことなのではないでしょうか。

 私も微力ながら,そのようなシステムづくりに貢献したいと考えています。


鈴木 基
1996年東北大卒。近森会近森病院内科,長崎大熱帯医学研究所臨床医学分野(ベトナム拠点プロジェクト)などを経て,現在,ロンドン大衛生熱帯医学校(LSHTM)途上国公衆衛生学修士課程在籍中。著書に『ガザ,アルマワシ,スウィジ――戦争から遠くはなれて,戦場に生きること』(大村書店)。

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