医学界新聞

寄稿

2009.03.02

寄稿
救急「たらい回し」と日米事情

許 勝栄(横須賀米国海軍病院救急医療科)


 救急患者の「たらい回し」(この言葉が適切に実態を反映しているかどうかの問題はありますが,昨今よく用いられている象徴的な言葉として用います)が,メディアで大きく取り上げられています。患者を収容した救急車が受け入れ先を見つけることができない,あるいは,いったん病院で診察を受けたものの,より高度な治療のために転送受け入れ病院を探すもこれが見つからないなどで,不幸な転帰となってしまう。

 このような事態の現状把握と原因究明,さらには今後の対策について,さまざまなレベルで検討が続いているようですが,本稿では,国民皆保険制度がなく,日本と比して国民の医療へのアクセスが保障されていない,と一般的にとらえられている米国の事情はどうなのか,歴史的背景とともに見てみたいと思います。

Patient Dumping

 1985年1月。側頭部を刺された男性がカリフォルニア州のある救急外来に搬入されます。救急医は脳神経外科医に専門的治療を要請するも,2人の脳神経外科医がこれを断ります。救急医は他院に搬送することを決断し,近隣2か所の病院の脳神経外科医に連絡をとるも断られ,4時間以上の後,ようやく確保した転送先に運ばれますが,3日後に彼は亡くなってしまいます。

 同年11月。若い妊婦が陣痛のために救急外来を受診します。しかし,彼女はMedicaid(低所得者対象の公的保険)患者であったことから,Medicaid患者のお産を扱っている他の病院へ転送されてしまい,ここでさらに不幸なことが起こります。州政府の手続きが遅れていたために,彼女の名前が被保険者リストに記載されていなかったのです。彼女はさらに別の病院へ転送されることとなり,到着直後,死産となってしまいます。

 経済的な理由で患者の診療を拒否したこれらの事例は,“patient dumping(ごみを捨てるように患者を投棄する様を表現)”と呼ばれ,1980年代前半から米国で多発していましたが,上記の例が引き金となってメディアで大きく取り上げられるようになりました。これが政治を動かし,当時の大統領レーガンのサインのもと,1986年8月にEmergency Medical Treatment and Active Labor Act(EMTALA)という法律が発効し,救急外来を持つ病院を受診するあらゆる患者への医療が法的に保障されることとなりました。この結果,患者が受診した病院が適切な診療を行わない場合には罰則の対象となったのです。しかし,これで問題が解決したわけではありませんでした。

Reverse Dumping

 デトロイトのある病院でのこと。強盗にバットで頭部を殴られた意識不明の女性が救急外来に搬入されます。救急医は重症の頭蓋内損傷と診断。脳神経外科医がいる高機能病院へ転送要請を行うも,患者の保険内容が不明であったことから,14の病院から拒否されます。中には,患者が亡くなった場合に家族が臓器提供同意書にサインをするのなら受け入れます,という病院もあったといいます。結局,受け入れ先は見つからず,彼女は数日後に亡くなってしまいます。彼女が米国の三大自動車メーカーの一つの社員であり,保険を持っていることがわかったのは亡くなってからのことでした。

 同じくデトロイトでのこと。顎を撃たれた若い男性が救急外来を受診します。高機能病院へ転送を依頼するも,彼が無保険患者であったことから,要請された病院はことごとくこれを断ります。19時間が経過したとき,誰かがそっと言いました。「この病院から勝手に出て行き,手術ができる病院へ直接行ってはどうか? いったん,向こうの病院に入れば,EMTALAにより診療拒否はできないはずだ」

 これらの事例は,先の2例のような最初に受診した病院が経済的な理由から患者を他院へ放り投げる“dumping”とは逆で,受け入れを要請された高機能病院が転送を断る事例であり,“reverse dumping”として知られることになり,大きく問題視されるようになりました。当初のEMTALAには,高機能病院が転送要請を断ってもこれを罰する規定がなかったことから,1989年に議会はEMTALAを修正し,対応できる場合には高機能病院は転送依頼を必ず引き受けることとし,違反例には罰則が科せられることとなったのです。

 この“reverse dumping”は,“dumping”という表現が必ずしも適切ではないと思いますが,一見,今まさにこの国で大きく取り上げられている問題に相当するかのように見えます。昨年の10月に,東京都で頭痛を訴える妊婦の転送先がなかなか見つからずに母親が亡くなった痛ましい事例は記憶に新しいところです。

 ならば,日本でもEMTALAのような法律を作ればいいのでしょうか? ここでは日米間の異なる背景に注意する必要があります。すなわち,米国では患者転送を断る主な理由が経済的事情であったことに対して,日本では医師の不足や偏在,相対的なベッド数不足が大きく関与しており,米国の事情とは決定的に異なります。ゆえに,現状のままではEMTALAのような法律を適用することは難しいと思われます。

Diversion

 難渋する転送先確保の問題と並んで,救急車からの受け入れ先確保の問題があります。受け入れ可能な病院が見つからず,搬送を開始できずに苦しい思いをしている患者や救急隊の姿が日本の現場には存在します。では,米国ではどうなのでしょうか? 救急車内の病院搬入前患者に対してもEMTALAが適用され,要請された病院は必ず引き受けることとされているのでしょうか?

 答えはNoです。救急車内の病院搬入前患者にはEMTALAは適用されず,ベッドが満床などの理由があれば受け入れを断っても罰則の対象にはなりません。実際,米国救急医療の現場における大きな問題の一つにovercrowding(過密状態)というものがあり,救急車搬送患者を受け入れることができない,という事態が頻発しています。このため,救急車のdiversion,つまり搬送先の変更が行われており,Institute of Medicineの報告によると,その数は全米で年間50万件といわれ,毎分1回の割合で起こっていることになります。

Diversionを乗り越えて

 しかしながら,車内収容した重症患者の受け入れ先が見つからずに,救急車が例えば1時間も出発できずに患者が不幸な転帰をたどるというような深刻な事態は米国では見られないようです。その理由は,生命にかかわるような状況や急激な状態悪化が予想される場合には,病院側のdiversionary status(受け入れ不能状態)を乗り越えて患者を搬入する権限が救急隊に認められているからです。これは,EMTALAのような連邦政府による法律で規定されているものではありませんが,各地域の病院前救護体制の中で救急隊に与えられている権限であり,切迫する患者の救急医療への迅速なアクセスを保障するためのものです。

 「切迫する」の定義については議論が必要ですが,最低限このような「切迫する」患者については,たとえ受け入れ不能とされている病院であっても救急隊の判断で搬入してやむなし,という制度の地域での導入を日本でも検討してみてはどうか,と思われます。これにはもちろん,各地域の救急医療を担う病院間の同意が不可欠であることは言うまでもありません。また,「救急隊の判断で」ということが難しいようであれば,「地域メディカルコントロール(MC)担当医の判断で」とする方法もあるでしょう。中には,「切迫する」という,その時の現場での評価が本当に正しかったのか,疑問の声が上がることも考えられますが,このような場合こそ,MC会議のなかで妥当性を議論すればいいことなのでは,と考えます。

 救急患者の受け入れ不能問題は複合的であり,解決は容易ではありません。今後,一救急医として現場で地道に取り組んでいかなくては,と考えています。


許勝栄氏
1997年神戸大医学部卒。同年天理よろづ相談所病院ジュニアレジデント,99年同院循環器内科シニアレジデント。2001年沖縄米国海軍病院インターン,02年神戸市立中央市民病院救急部専攻医,03年同院救急部副医長を経て,04年よりOregon Health & Science Universityの救急医学レジデントとして,北米型救急医療を学ぶ。07年より現職。日本救急科専門医。米国救急科専門医。

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