医学界新聞

寄稿

2009.02.02

【寄稿】

『発達障害当事者研究――ゆっくりていねいにつながりたい』を読む
「他者」と「つながる」ことの意味

斎藤 環(爽風会佐々木病院診療部長・精神科医)


 私は精神科医だが,発達障害に関する知識は,ほぼ文献的なものに限られている。そういう「門外漢」として言うのだが,この領域の当事者本は極めて「面白い」ものが多い。それらはしばしば,専門家による臨床的記述をはるかに凌駕する。

 綾屋氏と熊谷氏の共著である本書もまた,まず「面白い本」という角度から読むことをお勧めしたい。このジャンルでは永らく古典とされていたドナ・ウィリアムズ『自閉症だった私へ』(新潮社)に匹敵する,と言っても過言ではない。

 それでは,何がそんなに「面白い」のか。

 本書を読みはじめて,まず意表を突かれるのは,綾屋さんの抱える困難が,心理ではなく身体的なものとして描かれている点だ。私はここで,ドナ・ウィリアムズの「自分が自分であることに対して,体ほど大きな保証はない」という言葉を連想した。しかし綾屋さんの記述は,ドナよりもはるかに詳細である。

 アスペルガー障害のひとたちは,しばしば〈私たち〉にとって自明と思われる認識や行動が不得手だ。例えば綾屋さんは,じぶんの空腹感や気温の高低や,疲労感をうまく感じたり,適切に対処したりすることができないのだという。なぜだろうか。

 彼女によれば,それは「大量の身体感覚を絞り込み,あるひとつの〈身体の自己紹介〉をまとめあげる」作業に,人よりも時間がかかるためらしい。この障害を持つひとたちが,過敏でありながら時に鈍感にみえることがあるのは,このためなのだ。

 例えば,長く食事をしないでいると,「ボーっとする」「動けない」「血の気が失せる」「頭が重い」「胃のあたりがへこむ」といった,バラバラの感覚情報が彼女を襲う。しかしこれらの感覚は,彼女の中で,ひとまとまりの「空腹感」を構成しないのである。

 しかし,そのままにしておけば,低血糖で倒れかねない。それゆえ彼女は,「一定の時間になったら上司に断ってソバ屋でソバを食べてまた戻って仕事をする」という行動パターンを自分の中に登録しておき,必要に応じてそのパターンを呼び出すというルールを設けて対処している。

 もちろん,いつもそれでうまくいくとは限らない。わずかでも予想外の事態が起こると,このパターンはすぐに混乱してしまうからだ。空腹の例で言えば,もしソバ屋でソバが売り切れだったり,別の選択肢を勧められたりすると,彼女は容易に混乱に陥り,時にはパニックになりかねないのだという。

 綾屋さんの抱えている困難は,人工知能研究で言う「フレーム問題」によく似ている。これは,ある結果を出すための行動を求められたコンピュータが,その結果に至りうるまでの,無限の行動の選択肢をすべて考慮しようとしてフリーズしてしまう,という困難を意味している。

 〈私たち〉は,ほとんど無意識に,じぶんが置かれた状況の文脈を理解し,その都度一定のフレーム(枠組み)の内部で選択を行うため,こうした混乱を免れている。綾屋さんが言う「身体内外からの情報を絞り込み,意味や行動にまとめあげる」とは,まさにこうしたフレームを作り上げる過程を意味するのだろう。

 フレームが作れない困難は,〈私たち〉の想像を絶している。その意味では本書を,共感的に読むことは難しい。しかし,「もし〈私たち〉がフレーム問題に直面したらどうなるか」という思考実験として読むなら...

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