若年性アルツハイマー病とともに生きる(若井晋,最相葉月)
対談・座談会
2009.01.19
【対談】
若年性アルツハイマー病とともに生きる | |
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元東大教授で国際保健に尽力し,脳神経外科医でもあった若井晋氏が,自身が若年性アルツハイマー病であることを明らかにした。アルツハイマー病の診断から約3年,病を受け入れるまでの苦悩や,告白に至るまでの迷いを弊紙に語った。聞き手は,『絶対音感』『いのち――生命科学に言葉はあるか』などの著書で知られるノンフィクションライターの最相葉月氏。夫人の克子氏も交え,医師と患者両方の視点から,現代のアルツハイマー病を取り巻く現状について考えた。
右下の「ラビ・ベン・エズラ」からの引用は,若井氏が初めて病を公表した『医学と福音』紙に寄せたもの。
(2008年10月6日若井氏宅にて収録)
「老いゆけよ,我と共に! 最善はこれからだ。人生の最後,そのために最初も造られたのだ。我らの時は聖手の中にあり。神言い給う。全てを私が計画した。青年はただその半ばを示すのみ。神に委ねよ。全てを見よ。しかして恐れるな!」と。
(ロバート・ブラウニング作「ラビ・ベン・エズラ」より)
「何かおかしい」
最相 『医学と福音』(日本キリスト教医科連盟JCMAの機関紙)の2008年4月号で,若年性アルツハイマー病をカミングアウトされたと知り,われわれも非常に衝撃を受けました。公表を決意されるまでどれほど深く悩まれたかと推察いたします。本日は,若井先生ご自身の脳外科医としての視点からも,ご経験をおうかがいできればと思います。
はじめにこのことを発表しようと決心された経緯を教えていただけますか。
若井 公表に至るまでは本当に大変でした。そもそも,自分がアルツハイマーという病気になったことを受け入れるまでに4-5年かかったのです。そのあいだ,「自分は本当にアルツハイマーなのか」「もし,本当であれば,どうしてそうなったのか」と考え続けました。毎日毎日が,やるせなく,どうしようもない思いでした。
最相 最初に「何かおかしい」と思われたきっかけは何だったのでしょう。
若井 はじめは,字が書けなくなってきて,おかしいなと思ったのです。それが4-5年前のことです。
最相 2003年頃ですね。若井先生が監修された『パルテーラとともに地域保健――ニカラグアの村落で33人の記録』(ぱる出版,2005年)を拝読しましたが,その出版よりも前ですね。
若井 ええ。そのときはまだニカラグアなどに頻繁に行ったりしていて,元気でした。その後少しずつ,いろいろなことができなくなってきて。
若井(克) 普段はメールなどパソコンでのやり取りがほとんどですので,字を書く機会はあまりないのです。それで,ふとしたときに名前が書けないということに気づいたのですが,最近パソコンばかり使うから字が書けないという人は多いですよね。長男が「一緒に練習しよう」と言って,練習していた時期もありました。
最相 ご長男は,別にそれが病気だとは思わずに,単に書く機会が減っているから字を練習しようとおっしゃったのですね。
若井(克) はい。その翌々年くらいまでは,講演や挨拶など普段通りに仕事もしていましたから。
最相 執筆の際,パソコンを使うのには不自由はなかったのですか。
若井 ありませんでした。
最相 字が書けないということの次に,何かお気づきになったことはありましたか。
若井 妻が,僕の当時のようすについて細かく書き残しているのです。
若井(克) 日常のささいな場面で違和感を持ち始めた頃,当時研修医だった次男に「どうもパパ,おかしいよ」と相談したんです。次男は今アメリカで家庭医の研修を受けていますが,当時も私の話を聞いて,これは,と思ったようです。「病院で診てもらわなくちゃだめだ」と言うのですが,主人は自分が医者だからこそ,行きたがらない。アルツハイマーと診断されるかもしれない,と思っているから行けないのです。
それで,私は何とかして受診させなくてはと思い,「いつもと違う」事実を書き記して,本人に見せようと決めたのです。例えば,よく知っている場所にも行けなかったり,プッシュホンの番号をパパッと押せなかったり,自動券売機でスムーズに切符が買えなかったり,銀行のATMでお金が下ろせなかったり。それから,運転が……。
若井 危なくなった。
若井(克) 注意が散漫になったり,ハッと止まって,「この次,どうするんだっけ」。そういう,ビックリするようなことが起きました。主人は方向感覚が鋭くて,絶対に間違えるはずがないのにどうしたんだろう。運転も得意で,何事もてきぱきとこなす人なのにおかしいな,と思っていました。
若井 4年ほど前から少しずつだね。
若井(克) それであるとき,本人が「僕はアルツハイマーではないか」と,すごく悩んだことがあったんです。でも,私は「あなた,アルツハイマーではないの」とは口が裂けても言えませんでした。だから,「加齢ではないの」と慰め顔に言ったら,「きみはアルツハイマーがどんなものか知らないから,そんなに軽々しく言う」と怒って。でも,自分でもやはり,薄々は……。
若井 わかっていた。
最相 やはり,脳外科医でいらしたことで,ご自身を診断するというか,こういう症状が出たらアルツハイマーだなと思われた瞬間はおありでしたか。
若井 ありましたね。
若井(克) いちばん恐れていた病気でしょう。
若井 自分がこんなことになるとは思いませんでしたから。
「なぜ僕がアルツハイマーなんだ」
最相 最初に病院を受診されたのは,いつごろですか。
若井(克) 2005年の12月末でした。それまでは体調が非常に悪く,なかなか行けなかったのです。
若井 発展途上国に頻繁に行っていたものですから,最初はそのせいかなと思っていました。
若井(克) 今,考えると,それは思い通りにならない自分自身へのストレスだったのかもしれませんね。
若井 診察してくれたのはとてもいい先生だったのですが,最後まで本当にアルツハイマーかどうかをはっきり言ってくれませんでした。
若井(克) 本当はわかっていらしたのでしょうが,やはり,主人が医者なので言いづらかったのかもしれません。「もっと調べたほうがいいかもしれないから」と別の病院を紹介してくださいました。そしたら主人が怒って「もういい。僕の先輩に診てもらう」と。
若井 それで,私の1年上で昔からよく知っている東大の井原康夫先生に相談しました。神経病理学がご専門で,アルツハイマーの研究をやっておられる方です。
若井(克) 井原先生は「自分は臨床医ではないから」と,東京都老人総合研究所を紹介してくださいました。そこで,日本に3台しかないという最新型のPET(PIB-PET)で検査を受けた結果,間違いなくアルツハイマーだとわかりました。
最相 PETの画像をご覧になって,ご自身でもはっきりと,そうだと判断されましたか。
若井 いや,そこに至るまでには……(苦笑)。
若井(克) 自分でMRIの画像を持ってきて,「なぜ僕がアルツハイマーなんだ」「海馬に異常が見られないのに,どうして」と何度も言っていました。
最相 老人研で確定診断が出たのは,いつごろですか。
若井(克) 2006年の2月頃です。その3月で東大を退官しました。
最相 非常にうかがいにくいのですが,確定診断を受けられたとき,どのようにお感じになられましたか。
若井 とにかく,最初は「自分がどうしてこの病気になったのか」と,なかなか事実を受け入れられませんでした。それが2年ほど続いたんです。
沖縄での療養と告白の決意
若井(克) それで,体の衰弱もひどかったので,沖縄へ療養に行きました。
若井 東大の先輩だった上田裕一先生に「沖縄に来たらよくなるよ」と言われて。上田先生は沖縄の本部(もとぶ)で開業されているんです。2年間沖縄で暮らしたのですが,おかげでだいぶ元気になりましたよ。
最相 沖縄ではどんな毎日を過ごしていらしたのですか。
若井 最初はそこの病院で少し患者さんをラウンドしたりしていました。
若井(克) 診療というわけではないのですが,病棟を回って,お年寄りの話を聞いたりしていました。何しろ患者さんが大好きだから,それだけでもいいリハビリになったようです。
最相 そのときは白衣を着ていらっしゃったのですか?
若井 そうです。白衣を着ると自分のアイデンティティが保てるというか,背筋がしゃんとするから(笑)。毎日,2時間くらいお年寄りのところを回っていました。それで2年間でずいぶん調子がよくなったのです。
やっぱり,患者さんと一緒にいるのが好きなんですよね。昔から。
若井(克) 患者さんにとってもよかったと思います。毎日1回,こういう先生が回ってきて,ゆっくり話を聞いてくれる。他の先生は忙しくて,なかなか相手になってくれないでしょう。患者さんは精神的な苦しみも大きいので,話を聞くだけでも楽になることがありますよね。ましてお年寄りですし,皆さんご自宅を離れて寂しい思いをしてらっしゃったのだと思います。こっちも寂しいから,寂しいもの同士で慰めあっていたんじゃないの?(笑)。
最相 当時は海で泳いだり,沖縄ならではのこともなさったのですか。
若井(克) 泳いだことはないです。
若井 泳いだよ。
若井(克) プールで。
若井 プールでなくて,外で泳いだよ。子どもたちが来たときに。
若井(克) ああ,そうだ,思い出した(笑)。
最相 そして2008年の4月にこちらに戻られたのですね。ちょうどそのとき『医学と福音』に書こうとご決意なさるわけですが,「このことは人に知らしめよう」とご決断された...
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