医学界新聞

対談・座談会

2009.01.05

【新春座談会】

未知なる脅威と危機管理戦略

押谷仁氏=司会(東北大学大学院医学系研究科 微生物学分野教授)
川名明彦氏(防衛医科大学校 内科学講座2感染症教授)
谷口清州氏(国立感染症研究所 感染症情報センター第一室長)
虫明英樹氏(NHK報道局科学文化部記者)
前列左から,押谷 仁氏,谷口清州氏
後列左から,川名明彦氏,虫明英樹氏


 新型インフルエンザに対する関心が急速に高まるなか,世界中で新型インフルエンザによるパンデミック(世界的大流行)への準備が進められている。未知なる脅威だけに不確定要素が多く,専門家の間でさえも見解が分かれる事項もある。ただ,「パンデミックは近い将来に必ず起こる」ということだけは確かだ。パンデミックの被害を最小限にするためにどのような戦略が必要か。正確な情報をもとにした地域ごとの十分な議論と対策が求められている。


パンデミックを引き起こすのはH5N1か

押谷 2004年,ベトナムのハノイで,H5N1亜型高病原性鳥インフルエンザのヒトへの直接感染が確認されてから,既に5年が経過しました。この間,WHOは「明日にでもパンデミックが起きるかもしれない」と警告を発し続けましたが,いまだ発生していません。このH5N1がパンデミックを起こす可能性から議論を始めたいと思います。虫明さんは,トリ-ヒト感染が確認されたハノイの国立小児病院など,実際の現場を取材されていますが,どのようにお考えですか。

虫明 パンデミックへと突入するのではないか,という危機感が専門家も含め非常に高まった時期は,この5年ほどの間に少なくとも2度あったと思います。最初は,2004年初めからの数か月間です。1月にベトナム保健当局からハノイのWHO事務所に,「子どもたちの間で重症呼吸器疾患の集団発生が起こり,すでに10人が死亡している」との情報が寄せられました。私は当時,SARS(重症急性呼吸器症候群)をテーマに番組を制作していて,偶然WHOでその情報を耳にし,すぐに国立小児病院で取材を始めましたが,これが現在まで続くH5N1感染の始まりでした。

 私がベトナム国内で取材を続ける間に,感染者はタイ,インドネシアにも広がり,さらにベトナムではヒト-ヒト感染も確認されました。あのとき,押谷さんも現地に駆けつけ,CDC(米国疾病予防管理センター)のメンバーも加わって,感染拡大防止に当たっていましたが,皆異常なまでの緊張感に包まれていたのを覚えています。

 幸い,その後いったんH5N1の感染は収束しましたが,2005年には中国の青海省を経由して,感染が中東,アフリカ,ヨーロッパへと広がりました。このときも,急速なウイルス流行地域の拡大とトルコなどでの感染者の続出という事態があって,緊張感が高まりました。また同時期に,ウイルスがヒトに感染しやすいタイプに変異しているということも報告され,パンデミック発生が危惧される状況にあったと思います。

 ただ,最近の数か月間は,各国ともトリの間での感染予防策に力を入れるなど対策を積極的に推し進め,感染者の報告例が少なくなってきていますし,先日国連が発表した報告書にあるように依然危険であることは変わらないものの,ブレーキがかかり始めているのではないかという印象を持っています。

谷口 現在,トリ世界ではトリ-トリ感染が定着しており,その環のなかで人獣共通感染症として,ヒトに偶発的に感染している状況ですね(カラー解説図3)。しかし,ブタへの感染や,ヒト型に変異したウイルスが見つかっており,さらに限定的ではありますが,ヒト-ヒト感染も起きているので,予断を許さない状況は続いていると考えます。

 ただ,私たちが知る限り,これまでにヒト世界でパンデミックを起こしたのは,H1,H2,H3のみです(カラー解説図4)。H5はこれほど長い間ヒトへの感染が確認されながらも,まだヒト世界に定着していません。ヒト世界に入れないウイルスなのではないかという説もあります。また最近では,H7がヒトへの感染性を高めているという研究報告も出されています。ですから,どの亜型がパンデミックを起こすかはわからないけれども,近い将来にパンデミックは必ず起きるという前提で,危機管理として対策を講じる必要があると思います。

押谷 H5N1が本当にパンデミックを起こすかどうかは,現時点では何とも言えないというのが実際のところですね。これまでパンデミックが回避されてきたのは,世界各国でさまざまな対策が講じられたことが要因かもしれませんし,逆に何も手を打たなくても回避できたのかもしれません。しかし,パンデミックが起きる可能性がある以上は,世界に対して警告していくことが必要だと思っています。

H5N1の致死率・臨床像

押谷 川名先生は,呼吸器感染症,感染制御を専門とする臨床医として,ベトナムやインドネシアにおいてH5N1の感染者の臨床症状を診ていらっしゃいます。H5N1は,どういう臨床的な特徴があるのでしょうか。

川名 H5N1の感染者を診ると,非常に重症のウイルス性肺炎,急性呼吸促迫症候群(ARDS)を起こしています。季節性インフルエンザは上気道に限局した感染症ですが,H5N1の場合,血液や便,小腸などの臓器からもウイルスが検出されたという報告があります。ですから,呼吸器を中心に,重症の全身感染を起こし得る疾患だと考えられます。

押谷 現在WHOで確認しているH5N1の発症者387人のうち,死亡者は245人(カラー解説図2)。つまり60%以上の致死率ですが,パンデミックを起こした場合の致死率は,それよりは下がると言われています。

 厚労省は,実際にパンデミックが起きた場合の罹患者を全人口の25%,3200万人として,致死率を1918年のスペインインフルエンザと同じ2%と想定した場合,64万人死亡と推計しています。罹患率25%という数字自体に根拠がないという意見もありますが,致死率についても見解が分かれるところです。

川名 スペインインフルエンザの致死率は2%と言われていますが,アジアインフルエンザ,香港インフルエンザの死亡率はその10分の1です。このように過去のパンデミックを見ると,その死亡率には大きなばらつきがあります。

 H5N1がパンデミック株になった場合は,強毒なので高い致死率を想定すべきだという考えもあります。ただ,インフルエンザという疾患が,昔から人類と共存してきたことを考えると,60%の致死率のまま流行することは考えにくいです。

谷口 現在は,偶発的にヒトへの感染が起きている状況なので致死率は高いですが,ヒトに適応する以上は,ヒトとの共存に適したようなかたちに変異し,致死率は下がると予想されます。とはいうものの,インフルエンザの病原性についてはいまだ完全に解明されておらず,「わからない」というのが本当のところです。

押谷 それと,スペインインフルエンザの死因の約3分の2は,二次性細菌性肺炎だったと言われています。それを根拠に,「現代は当時と違って抗菌薬があるので,致死率は2%もいかない」と主張する人もいます。

川名 私はスペインインフルエンザ流行当時の,日本の病院の入院カルテを調べたことがありますが,確かに二次性の細菌性肺炎を合併したとみられるケースが5-10%含まれていました。その場合は,現在であれば抗菌薬が使用され,効果が期待できます。

押谷 ただ,今回のH5N1感染者の多くは,二次性細菌性肺炎ではなくて,ウイルスそのもので亡くなっていますよね。

川名 そうです。H5N1感染者の大多数が重症のウイルス性肺炎やARDSになり,呼吸不全で死亡しています。一方,調査したカルテによると,スペインインフルエンザの6割以上は普通のインフルエンザと同じように,比較的短時間で自然に治癒したと考えられる経過をとっています。ですから,現時点におけるH5N1感染症とスペインインフルエンザの臨床像とは分けて考える必要があります。

危機管理としての新型インフルエンザ対策

押谷 日本の新型インフルエンザ対策は,1997年に香港で初めてH5N1感染者が確認される前から始まっていました。スタートダッシュはよかったのですが,世界各国の対策が進み,いつの間にか3周遅れぐらいになってしまった。

 虫明さんは海外取材も精力的になさっていますが,この危機感の違いはどこに由来していると思われますか。

虫明 アメリカの場合は,2005年から国家安全保障上の問題として,年間約9000億円の特別予算を投入し,パンデミック対策を開始しました。政府が危機管理の問題として新型インフルエンザ対策をとらえたかどうかの違いがいちばん大きかったと思います。

 アメリカでは国土安全保障省を中心に,各省庁に明確な行動計画があります。それに基づき,すべての項目についてタイムラインを設けて実行し,成果を国民に示すという行政の枠組みを持っています。また,危機管理対策の伝統が非常に長いので,行政や医療機関にもさまざまなノウハウが蓄積されていることが日本と異なる点です。日本では,何か実施したときに,「結局起きなかったじゃないか」という批判が起こり得ますが,アメリカは最悪の状況を想定した体制整備に対して,ポジティブになり得る環境があります。

押谷 日本も最近になってようやく,新型インフルエンザ対策に本腰を入れ始めました。そのきっかけのひとつには,虫明さんたちが制作したNHKスペシャル「シリーズ最強ウイルス」がありますね(2008年1月12,13日放送)。

谷口 あの番組は非常にインパクトが強く,その後すぐに,当時の内閣官房長官が記者会見を開きましたよね。国民の意識が高まって,与党内では「鳥由来新型インフルエンザ対策に関するプロジェクトチーム」が発足しました。今年度から厚労省に新型インフルエンザ対策推進室が設立されたのも,大きな進歩です。

 ただ,日本の場合,新型インフルエンザ対策のトップは「新型インフルエンザ及び鳥インフルエンザに関する関係省庁対策会議」です。どこが責任を持って対策を進めているかが明確ではありません。その点は不安を感じます。

押谷 日本はまだまだ厚労省主導で,国をあげて取り組む体制にはなっていません。パンデミックが起こると,その影響は社会全体に及ぶので,省庁が連携して,社会全体で対策に取り組むことが,今後の重要な課題だと思います。

早期封じ込めか,被害軽減か

押谷 日本のこれまでの新型インフルエンザ対策は,地域封じ込めや,国境での水際作戦など,「早期封じ込め」ばかりが検討されてきました。しかし,そもそも早期封じ込めにどの程度の実現可能性があるのでしょうか。

谷口 潜伏期がある以上,検疫で抑えるのが極めて難しいことは明らかです。SARSだって,結局検疫では抑えることができなかったわけです。

押谷 最初の段階で1-2週間,ウイルスが入ってくるのを遅らせる効果はあるかもしれません。しかし,パンデミックが世界各国で発生するような状況が1年ほど続くとすると,その間ずっと停留を含む検疫の強化を続けるのは非現実的です。

谷口 地域封じ込めについても,今の新宿駅の雑踏を見れば,少なくとも都市部では不可能ですね。もちろん,最大限の努力はする必要がありますが,現実的にはなかなか難しい。

押谷 日本での初発例が過疎地のような限られたシナリオなら別ですが,一度国内に入ってしまえば封じ込めは難しく,感染拡大は避けられません。

 ではその場合にどう対応するか。アメリカは早期封じ込めを最初から考えていません。パンデミックが起きたときに何ができるのか,シミュレーションを行い,その結果をもとに,2007年にCommunity Strategy for Pandemic Influenza Mitigationをまとめました。「被害をいかに最小限に抑えるか」という視点で対策を行っています(カラー解説図8)。

谷口 幕末期に活躍した兵学者の大村益次郎は「tactics(戦術)を知りて,strategy(戦略)を知らぬものは国を誤る」と言っています。日本はこれまでワクチンやタミフルなどの戦術ばかりにこだわっていて,全体を統合する戦略を怠ってきたと思います。それを,これからつくっていく必要があります。

押谷 現在,新型インフルエンザ専門家会議(議長=国立感染症研究所感染症情報センター長・岡部信彦氏)で基本方針が策定され,それをもとにガイドラインも改訂作業中です。日本も徐々に,パンデミック期の被害軽減に主眼を置いた戦略が検討され始めましたが,まだまだ課題が多いところだと思います。

■戦術を知りて,戦略を知らぬものは国を誤る

「発症者の自宅隔離」という選択肢,その課題

押谷 厚労省は,CDCが示した推計モデル(FluAid2.0)を用いて,パンデミックが起きた場合の医療機関受診者数を予測しています。それによると,全人口の25%,3200万人が罹患すると想定した場合の医療機関受診者数は約1300-2500万人です。しかし,日本とアメリカでは,実際の受診行動パターンがまったく異なりますよね?

川名 現代の日本は,一般に医療に対するアクセスが非常によく,比較的軽症でも病院を受診するという状況に慣れています。新型インフルエンザの流行が始まり,「致死率が高いかもしれない」「タミフル(一般名:オセルタミビル)が足りなくなるかもしれない」など,さまざまな情報が出てくると,病院の受診率は予測より高くなると推察されます。

押谷 そうなると,いくつかの問題が生じます。ひとつは,何千万人もの人がいっせいに医療機関を受診することによって病院機能がパンクし,医療体制を確保できなくなってしまうことです(カラー解説図6)。もうひとつは,川名先生が言われたように,不安に駆られた受診者が増えた場合に,感染者と非感染者が一緒に狭い待合室に集まることによって,感染拡大の理想的な場所になってしまうことです。

谷口 オーストラリアでは,最初から医療現場の混乱を想定し,広大なFever Assessment Centerという施設を設置して,ここへの受診者はすべて抗インフルエンザウイルス薬で治療しようと計画しています。他に考えられる方法は,できるだけ発症者を来院させない,自宅隔離すること(Home Isolation)です。ただその場合,発症者に対して「来院を控えてほしい」と言って治療しないのは,できる話ではないですよね。

押谷 来院を控えてもらうとなると,何らかの手段で感染者に薬剤を配布するシステムが必要です。ただ,今の医療法制上は,医療機関を受診しないと抗インフルエンザウイルス薬を処方できません。これは,専門家会議でも非常に議論のあるところです。

川名 日本はタミフルを2800万人分備蓄していますが,数字上は4人に1人しか手に入らない計算です。そうすると,「早い者勝ち」という感覚が働きます。ですから,全国民分のタミフルを備蓄しておく,あるいは出遅れても平等の医療を受けられる,などの最低限の担保がないと,パニックの原因になると考えます。

 専門家会議では,さまざまなアイデアが提案されています。例えば,平時に医療機関を受診すると,タミフルの事前処方を受けられるようにする。家庭にタミフルの準備があるだけで安心できるのではないかという考え方です。一方で,実際に診察してからでないと薬剤は処方すべきでないという意見もあります。その場合は電話相談の後,ファクスで処方するという方法が検討されています。しかし,これらの実現には法律の壁もあるので,今後より具体的な議論が必要です。

発熱外来を感染拡大の場としないために

押谷 パンデミック時には,発熱外来の設置が検討されています。しかし,今は言葉が独り歩きしていて,設置の目的や運営方法などについて,各地の医師会や保健所は非常に困惑していると思います。

川名 発熱外来は,感染者と非感染者が待合室で一緒になって感染拡大が起こるのを防ぐための,ひとつの方法論として提案されたものだと思います。

押谷 ただ,「発熱外来は,パンデミック発生時に発熱した人がみんな受診するところ」というようなイメージを,多くの自治体は持っています。しかし,それだと感染拡大の温床となってしまうわけですよね。電話相談など,なるべく外来を受診しなくてすむような仕組みもつくるべきです。

川名 まさにその通りです。社会全体を対象とした場合,被害軽減の戦略としては,できるだけ自宅待機するほうが感染拡大を防げるという考えがコンセンサスになっていますから,軽症者や不安がある人には自宅待機を勧めるのが正しいと言えます。

 しかし一方で,インフルエンザは早期治療が有効な疾患ですから,自宅待機していて手遅れになるようなことがあってはならない。医療機関受診には施設内感染のリスクを伴う,ということを周知した上で,それでも受診したい人たちが他人に感染させないで医療にアクセスできるルートをつくる,というのが発熱外来の出発点です。

押谷 自治体や保健所では,発熱外来における医師・看護師の確保について頭を痛めていると聞きます。

川名 企業のなかには,パンデミック時に業務を継続させるためのBusiness Continuity Plan(BCP)を作成しているところがありますが,医療機関こそBCPを作成しておく必要があります。現時点でさえギリギリの人員で診療している医療機関が多いわけですから,スタッフも倒れて職員が減少した場合に,どのように医療を継続するのかは深刻な問題です。

 私は大規模パンデミック時の医療は,現在の休日診療体制に近いものになるのではないかと考えています。発熱外来は,近隣の医師が輪番制で担当する休日診療所のイメージに近いと思います。

押谷 地域の医療体制を守るシステムを構築しておかないと,診療所にも病院にも今以上の過重な負荷がかかるのは確実です。それを防ぐひとつの方法論として,発熱外来という考え方もあるのですが,実際にはその周知ができていないのが現状です。

川名 そうですね。発熱外来を立ち上げるために余計な人員とエネルギーが要るのでは,本末転倒です。減少した医療資源を効率よく運用するための方法論であるべきです。

 また,日本の医療には残念ながら地域間格差があります。新型インフルエンザ体制以前に,根本の医療体制に地域差があるのですから,とりあえずはそれを認識した上で,各地域の現状に即した体制づくりが必要ですね。医療体制に関するガイドラインが改訂作業中ですが,このあたりの事情を勘案したものにしてほしいと思います。

すべての医療機関がパンデミックから逃れられない

押谷 日本では早期封じ込めばかりが強調されてきたことによって,「地域で患者が3人出たら,どうやって感染症指定医療機関に運び,陰圧室に収容するか」というような机上訓練ばかり行われてきました。

谷口 そうした対応が可能なのは最初の数日のみでしょうね。

押谷 その点,パンデミック時の備えについても,アメリカは非常に進んでいますね。

虫明 私は以前ニューヨークの病院を取材したのですが,医療体制を平時から有事に切り替えるメカニズムが非常によくできていました。

 パンデミック時の指揮命令や役割分担が明確化されていて,役職ごとのマニュアル,懐中電灯や無線機などが副院長室の隣のロッカールームにあらかじめ用意されています。緊急時には医療者も焦りが出ることを想定して,各自が何をしなければならないか,すべての手順をマニュアルに書いてあるのです。パンデミック時の医療スタッフの確保についても,緊急手術以外はキャンセルすることや,専門外の医師も診療に参加してもらうための計画を立てています。

押谷 そして計画だけではなく,実践的な訓練もしていますね。

虫明 例えば,患者を受け入れる訓練です。通常の病棟を隔離病室に作り変え,病院全体から臨時のベッドや人工呼吸器を持ち込む。そして,感染患者専用の通路を設計するなどの訓練を,年に数回行っているそうです。

押谷 日本にも「新型インフルエンザ対策行動計画」やガイドラインがありますが,それらを読んだだけで具体的な行動に移せるわけではありません。

川名 日本の場合は,これまでWHOフェーズに沿って対策がつくられてきました。フェーズ1で何をやるか,から順に書かれ,1-6の各フェーズにおける対策の記述の量がほとんど同じでした。

押谷 しかもフェーズ4ぐらいで息切れして,そこから先に進まない(笑)。

川名 本来はフェーズ6(パンデミック期)でやることが圧倒的に多いはずですから,フェーズ6の記述を中心に据えなければいけません。SARSのイメージが強すぎたせいかもしれませんが,「新型インフルエンザは感染症指定医療機関が診るもの」という,誤った認識が一部に広まっています。しかし,実際に新型インフルエンザの流行が始まれば,各医療機関で分担して対応せざるを得ません。すべての医療機関が対応可能な体制を整えなければ,本当の危機管理にはつながらないでしょう。

押谷 私もその通りだと思います。SARSの感染拡大の場は主に病院でしたが,新型インフルエンザではコミュニティそのものですよね。患者数も対策も異なります。医療従事者のなかには「新型インフルエンザが発生したら病院には行かない」「診療所を閉める」という人も少なからずいて,まだまだ誤解が解けていません。

 「新型インフルエンザ」という言葉自体がまずよくありません。どこからが新型なのかよくわからない言葉を使って,早期封じ込めばかりやってきました。諸外国は「パンデミック」対策をやっているのですね。

谷口 全医療機関が緊急事態の計画を作成するというのが,諸外国の方針です。すべての医療機関が,パンデミックから逃れられないということです。

■新型インフルエンザ対策の鍵となるもの

ワクチンも抗ウイルス薬も確実な手段ではない

押谷 新型インフルエンザ対策(カラー解説図7)のひとつに,ワクチンがあります。日本でもH5N1のプレパンデミックワクチンが備蓄され,臨床試験も行われていますが,ワクチンに対する誤解がまだまだあります。厚労省には一般の人たちから,「プレパンデミックワクチンを接種したい」という要望がたくさん届いているそうです。

虫明 おそらく,プレパンデミックワクチンを接種すれば新型インフルエンザの発症を防げると思っているのではないでしょうか。しかもワクチンを,基本的には安全で,非常に効果が高いものと考えています。

押谷 プレパンデミックワクチンは,どんな効果が期待できますか。

谷口 私は,もしH5N1に感染したとしても,基礎免疫がついているので,死に至るような重症化は避けられるだろうというぐらいに考えています。

押谷 プレパンデミックワクチンという言葉自体が誤解を与える可能性があるため,WHOでは名称の変更が検討されています。「接種しておけば新型インフルエンザに感染しないワクチン」というイメージが強いかもしれませんが,正確には「もしパンデミックが“H5N1で”起きたなら“効くかもしれない”ワクチン」なのです。

 H5N1のパンデミックのリスクをどうとらえるのか,そのリスクとベネフィットの関係で,プレパンデミックワクチンについて考える視点が必要だと思います(8-9面参照)。

虫明 そうですね。われわれマスコミにも,正確に報道する責任があります。

谷口 実際に発生した新型インフルエンザのウイルスの株を使って製造するパンデミックワクチンにもさまざま問題があります。

 最大の問題は,時間がかかることです。現段階では,接種できるまでに6か月以上,さらに国民全員へ接種できる分となると約1年半かかるとされています。これではパンデミックの第2波にも間に合わないかもしれない。今は培養技術も進歩しているので,なるべく早く接種できるような研究を促進すべきです。

押谷 では,タミフルなどの抗インフルエンザウイルス薬は,新型インフルエンザに対してどの程度有効でしょうか。

川名 これも難しいのですが,インフルエンザの一種である以上はある程度の効果があるだろうとは予測できます。H5N1を対象にした基礎研究では,効果を上げるためには投与量の増量や期間の延長が必要だとされており,新型インフルエンザに対しても通常量より多く,あるいは長期間投与する必要があるかもしれません。実際は手探りでやるしかないでしょう。

 いずれにしても,H5N1も通常のインフルエンザも早期に抗インフルエンザウイルス薬を投与したほうが治療効果を得られるので,早期診断・治療を行える体制を構築しなければいけません。

押谷 われわれは少なくとも,タミフルなどのノイラミニダーゼ阻害薬をパンデミック時に使用した経験がありません。ウイルス性肺炎等の重症例に対する有効性についても明らかになっていません。

川名 季節性インフルエンザでもまれに純ウイルス性肺炎の報告がありますが,抗インフルエンザウイルス薬の純ウイルス性肺炎に対する有効性に関するエビデンスはまだないというのが正しいようです。

押谷 それと最近では,タミフル耐性の出現も問題になっています。これはH1でも,H5でも報告されています。

川名 タミフル耐性ウイルスの出現については,むしろ使用量に関連しない発生となっています。耐性率はノルウェーをはじめEU諸国で高いのですが,これらの地域ではタミフルを普段の診療でほとんど使用していません。一方,世界のタミフルの7割を使用してきたとされる日本では,耐性はそれほど多くありません。通常の抗菌薬のように「使用量を減らせば耐性が抑えられる」と言えないことも不確定要素です。

押谷 パンデミックを起こすウイルスが,最初から耐性となる可能性もありますね。

川名 はい。ですから,現在の備蓄量はタミフルが2800万人分,リレンザ(一般名:ザナミビル)が135万人分ですが,リスクを分散するためにリレンザの備蓄量をもう少し増やすことが必要です。

押谷 それと,危機管理の観点からも,作用機序がまったく異なる新薬が出てきてくれるのが望ましいです。

川名 現在は「T-705」など,まったく新しい作用をもった抗インフルエンザウイルス薬が臨床試験の段階に入っていますので,一刻も早くその有効性と安全性が確認されて,上市されることを願っています。

複数の対策を組み合わせて被害を最小限に抑える

押谷 次に公衆衛生上の対策ですが,アメリカはどのタイミングでどういった対策を実施すれば効果があるのか,シミュレーションをくり返し行っています。科学的な検証を行った上で,結果を政府の政策に反映するという方法です。日本でも最近,国立感染症研究所でシミュレーション研究が行われています(1面参照)。

 疫学モデルに基づいたシミュレーションを行うにはさまざまな前提条件を設定する必要があり,中には不確定要素もあります。ですから,そこから出された結果が実際にはどの程度当てはまるのかは正直わかりません。しかし,未知のパンデミックに対してわれわれができることは,そういった不確定要素があるなかでもできる限りのエビデンスを得ることなのだと思います。

谷口 アメリカは極めて合理的で,シミュレーションを行った上で,患者数に応じた対策を進めています。さらに,医療で対応できなくなったときの事態も想定していますね。

押谷 結局,ワクチンにも抗ウイルス薬にも多くの不確定要素があります。季節性インフルエンザの流行でさえも,抑え込むのは難しいわけです。ですから,医薬品による対策,公衆衛生対策など複数の対策を組み合わせて,いかに被害を最小限に抑えるかが,パンデミック対策の鍵になってきます。

谷口 まずは,人が集まる場所における対策を講じることが重要です。人と人が接触するところに感染リスクがあるので,学校や職場の閉鎖,発症者の自宅隔離,接触者の自宅待機などで感染リスクを下げ,ウイルスが拡散するスピードを抑えることで,被害を可能な限り軽減することができます。

他力本願ではすまされない

押谷 パンデミック時は地域ごとの対応が重要となるのですが,日本の場合,都道府県レベルはまだいいとしても,肝心の市町村における対策がほとんど進んでいません(7面参照)。アメリカは地域での対策を重視し,予算もかなりつけていますね。

虫明 以前取材した際,自治体レベルでパンデミックワクチン接種のシミュレーション演習をくり返し行い,自分の自治体にはどのぐらいの能力があって,どのような問題点があるのかを評価しながら修正を行っていました。当事者がきちんと対策を始めているというのが,日本との大きな違いではないでしょうか。

谷口 パンデミックが起きたときに,いちばん負荷がかかるのは市町村です。しかし,今の国のガイドラインはあくまでも考え方の整理で,具体性に欠けます。ですから,市町村に対策を練るように指示しても,実際には動けないでしょうね。

押谷 国が明確な戦略を立ててガイドラインを作成し,予算配分やツールの提供を行うと同時に,市町村は地域の特性を見きわめ,実現可能かどうかを整理していく。両方からのアプローチが必要なのだと思います。

川名 同感です。自然災害などと違い,新型インフルエンザは広い範囲でほぼ同時に流行します。つまり他地域からの応援は期待しにくいわけです。市町村や中核病院,診療所,保健所などが自らの医療圏を守る意識も重要です。

押谷 そして,パンデミックが起きて社会不安が非常に高まったときに,地域住民が頼れるのは医療従事者だけです。医師が患者を診ないと言ったら,社会が成り立ちません。

谷口 そこで医療を放棄したら,医師への信頼が地に落ちてしまいます。

押谷 もちろん医療従事者に対しては,抗インフルエンザウイルス薬やワクチンを優先的に接種する,PPE(個人防護具)を準備するなど,十分な援護射撃が必要です。そして,日本の医療現場には,感染症を専門とする医師が非常に少ないのが現状ですから,医療従事者に対する情報提供や教育・訓練も今後の課題です。

■リスクに対する健全な認識の醸成を

押谷 最後にもうひとつ,パンデミック時にコミュニティでの対応をうまく機能させるためには,新型インフルエンザについて国民に正しく理解してもらう必要があります。

虫明 情報の出し方を間違えると,心理的なパニックを引き起こしかねませんね。

川名 地震や津波で起こる被害については想像しやすいですが,「新型インフルエンザが発生したら何が起きるか」というのは,専門家でさえ意見がばらつきます。一定のイメージを最初から共有するのが非常に難しい。

虫明 NHKスペシャルを制作したときも,リスクを冒してあえて厳しい状況を想定しました。というのは,この問題は関心を持ってもらわない限り先に進めないからです。

川名 そうですね。継続的にさまざまな情報が報道されるうちに,ある程度平均化された,リスクに対する健全な認識が醸成されていくと思います。

虫明 今後はより具体的な情報提供,それもワクチンなどの個々のトピックスだけでなく,新型インフルエンザ対策全体のなかでの位置づけが理解できるような報道を心がけていきたいと思っています。

谷口 そうですね。政府としても,新型インフルエンザ対策に対するコアメッセージを伝えていく必要があります。現在は,ガイドラインやワクチンなどの各論はありますが,全体のナショナルプランが見えてこないように感じます。

押谷 その際は,新型インフルエンザ対策には不確定要素があることや,パンデミック期に政府ができることは限られているという前提にたったリスクコミュニケーションも重要でしょう。

押谷 日本のパンデミック対策は,今大きく進みつつあります。しかし,これを一過性のブームに終わらせてはいけません。パンデミックは明日起きるかもしれないけれど,10年,20年先かもしれない。でも近い将来に必ず起こることは確かです。危機感がある程度共有されて,進んできた対策をどうやって維持・発展させていくのかが,今後の大きな課題です。

 2003年,SARSが起きたときに,私たちはパンデミックの始まりかもしれないと思いました。もしもあれが本当にパンデミックだったら,世界は何の準備もできていなかった。2003年の終わりにH5N1の流行が始まり,抗インフルエンザウイルス薬やプレパンデミックワクチンの備蓄,さまざまなシミュレーションがようやく行われるようになったのです。

 今から考えると,あれは自然界から人類への警鐘だったのかもしれません。たとえH5N1がパンデミックを起こさないとしても,対策を促進させたという点では非常に意味があったのではないでしょうか。与えられた猶予期間を有効に使い,今後もパンデミック対策を続けていくことが重要だと思います。

(了)

◆厚労省HP(下記)も参照のこと。内閣官房,感染研,WHO等へのリンク集あり。
 http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou04/


押谷 仁氏
1987年東北大医学部卒。国立仙台病院(現国立病院機構仙台医療センター)にて研修後,91年JICA長期専門家としてザンビアで臨床ウイルス学の実技指導・研究,95年テキサス大公衆衛生大学院,99年新潟大講師。同年WHO西太平洋地域事務局・感染症地域アドバイザーとして,SARSや鳥インフルエンザへの国際的な対応を指揮。2005年より現職。現在,厚労省新型インフルエンザ専門家会議委員(予防と封じ込め部門),WHOパンデミックタスクフォース議長。

川名明彦氏
1984年東海大医学部卒。90年同医学部呼吸器科助手,91年ロンドン大ロイヤルフリー病院,93年東海大大磯病院,95年国立国際医療センター呼吸器科,2002年同病棟医長,04年同国際疾病センター医長を経て,08年より現職。04年ベトナムにおけるSARSの集団発生に対する国際緊急援助隊専門家チーム第1陣として,ハノイで緊急援助物資の供与とSARS感染予防の助言・指導に当たる。現在,厚労省新型インフルエンザ専門家会議委員(医療部門長,サーベイランス部門)。

谷口清州氏
1984年三重大医学部卒。同大小児科学教室入局,関連病院小児科勤務の後,92年ガーナ国野口記念医学研究所。帰国後,国立三重病院小児科を経て,96年国立予防衛生研究所感染症疫学部(現国立感染症研究所感染症情報センター),2000-02年WHO感染症対策部派遣を経て,現職。現在,厚労省新型インフルエンザ専門家会議委員(サーベイランス部門長)。

虫明英樹氏
1994年京大法学部卒。同年NHK入局。99年より科学・文化部医療担当。臓器移植や生殖医療,SARS,新型インフルエンザなどをテーマに番組を制作。NHKスペシャル「シリーズ最強ウイルス」「SARSと闘った男」などを制作。著書に『世界を救った医師――SARSと闘い死んだカルロ・ウルバニの27日』(NHK出版),『最強ウイルス――新型インフルエンザの恐怖』(NHK出版)。

開く

医学書院IDの登録設定により、
更新通知をメールで受け取れます。

医学界新聞公式SNS

  • Facebook