医学界新聞

インタビュー

2008.10.06

【インタビュー】

最善の医療を目指し,基本の手技に学ぶ
高階經和氏(高階国際クリニック)に聞く


 半世紀以上にわたり,心臓病診療の世界に身をおいてきた高階經和氏。この間に医療は,精密機器の導入,高度な基礎研究による治療法の進歩など大きな前進を見せてきた反面,医療のマンパワー不足や鑑別診断能力の低下など,新たな問題も生まれてきている。本紙では,このたび『心臓病の診かた・聴きかた・話しかた――症例で学ぶ診断へのアプローチ』を上梓した高階氏にお話を伺った。


半世紀にわたる学びを,次の世代へ

――まず,先生のこれまでの歩みについてお聞かせください。

高階 私は1954年に大学を卒業し,当時,朝鮮戦争の終末期を迎えていた大阪の米国陸軍病院にインターンとして勤務しました。それはまさに戦争外科を体験した一年でした。毎日行われる整形外科の手術にも慣れ,ある日,主任のドクターからの「君は手先がとても器用だ。整形外科医に向いているぞ」という一言で,自分でも整形外科医になろうかと考えていました。

 しかし,インターン生活の後半に出会ったDr. Thomas N. James(以下,Dr. James)から心臓病学の手ほどきを受け,その素晴らしさに感銘を受けました。1958年,彼の紹介により,米国・チューレン大学医学部内科のDr. George E. Burch(以下,Dr. Burch)のもとへ,クリニカルフェローとして留学しました。チューレン大学ではさまざまなことを学びましたが,Dr. Burchの残した言葉が特に印象的に思い出されます。「臨床がすべての研究の第一歩だ。臨床が何よりも大切だ」「常識的に判断できないような検査や診断は行うべきでない」「医学の歴史は過ちの歴史だ」「人は尊厳を持って生まれ,尊厳を持って死すべきものだ」。Dr. Burchは物事を比喩して,学生たちに分かりやすく教える能力に長けておられました。こうしてDr. JamesとDr. Burchが私の恩師となったのです。チューレン大学ではすぐ上の学年の学生が指導に当たる「屋根瓦方式」の研修が行われていました。また,PBL(Problem based learning)の原型ともいえる臨床教育を受けることができました。

 1962年の夏に帰国し,淀川キリスト教病院に循環器科医長として勤務しました。私は同病院が開設されて以来蓄積されてきた,3000枚を超える心電図を1人で読み直し,心電図診断を分析しました。また,1969年までの7年間,「モーニング・カンファレンス」を設け,ハーバード大学外科のチーフ・レジデントとして活躍された白木正孝先生と共に研修医の指導にもあたりました。早朝7時からのベッドサイド・レクチャーは英語で行われ,院内の研修医はもとより,関西一円の大学から多くの研修医が参加するまでになり,研修医たちのほぼ全員がECFMG(Educational Commission for Foreign Medical Graduates )の試験に合格して,海外へ羽ばたいていきました。

 1969年,私は自分のクリニックを開設するとともに,神戸大学医学部で医学英語講座を17年間担当し,最初の2年は5年次の学生へ臨床心臓病学をテーマに講義しました。彼らの好奇心も手伝って多くの学生が出席しましたが,その後,起こった学園紛争の影響や,指導学年の変更などにより,ついに1985年に神戸大での講義を断念しました。しかし一方,神戸大での講義の評判が全国医師会に広がり,私はベッドサイド診察法の指導のため,北海道から沖縄まで文字通り日本縦断の講演旅行を行いました。

 1983年,恩師のDr. Burchを日本に招き,大阪府医師会で日野原重明先生とともに講演をしていただきました。これが契機となって,数年間,アメリカでレジデントや臨床教育を受けた仲間が中心となり,1985年に社団法人臨床心臓病学教育研究会を設立し,私は会長に就任しました。設立の趣旨は,日本のみならず,アジア近隣諸国の医師・医学生・看護師らに対する臨床研修を行うことです。アメリカ心臓病学会本部にある研修センター「ハート・ハウス」をモデルに,日本にも国際医療研修センター「アジア・ハート・ハウス」を設置しようと計画しました。1986年,産官学民を代表する同志とともに,ワシントン郊外にある「ハート・ハウス」を訪問しま...

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