清水嘉与子氏に聞く(清水嘉与子,窪田和巳)
インタビュー
2008.09.22
【interview】
保健師助産師看護師法施行から60年
<聞き手>窪田和巳氏 |
保健婦助産婦看護婦法(以下,保助看法)が制定されたのは,1948年のこと。その制定の影には,アメリカ人看護師らの日本の看護への大きな期待があったという。以来保助看法は1990年代以降一部改正されるなどしながら60年目を迎えた。看護師の業務拡大などの議論がなされる今,新たな看護の進むべき道が模索されている。
今回,これまで保助看法の改正等に尽力してこられた清水嘉与子氏に,「さまざまな問題意識を持って,若手看護師の語り合う場を作りたい」という東京大学大学院の窪田和巳氏がインタビューした。
窪田 清水先生はどのようなきっかけで,政治の道を歩まれたのですか。
清水 私は学校を卒業してすぐに現場に出たので,そのまま臨床にいたら,おそらく政治には関心を持たなかったと思います。しかし,1970年から厚生省(現・厚労省)で看護行政に携わるようになって,私自身が10年間臨床現場で経験してきた看護師像と全国の看護師像に,大きな乖離があることが分かりました。
当時日本は高度経済成長期で,医療政策が急速に進みました。しかし,看護師教育にはまったく手がつけられていなかったし,看護師は専門職として遇されていなかったのです。看護師自身も,専門職であるという気持ちで働いている人は少なかったと思います。
私が厚生省へ入った時期は,看護師不足が国を挙げての問題となっていて,厚生省が准看護師を大量に増やすために「准看護師を高等学校卒業後の1年間で養成する」という法案を国会に提出したころでした。今は,患者の安心や安全を考えて,質の高い看護師を増やそうという発想ですが,当時はとにかく数を増やせばいいという方針でした。そのくらい看護師には専門性が期待されていなかったのですね。
結果的にこの法案は,日本看護協会(以下,日看協)や労働組合をはじめ,多くの反対の声があがり,参議院で廃案になりましたが,この法案が通っていれば,今日の看護の状況はなかったと思います。当時私は日看協の保健婦部会の書記長も務めていたので,廃案になって内心ほっとすると同時に,これは大変なことになったと思いました。行政が出した法案が流れてしまったのだから,次の手はどうするのか。さまざま検討した結果,看護師を中心に対策を行わなければいけないということになりました。こういった,法律などがかかわる業務を垣間見るなかで,物事を動かしていくには行政だけでは厳しいということが分かり,政治家がどのようなことをしているかに初めて気づきました。
窪田 参議院議員を務めてこられて,どのような点がよかったですか。
清水 行政では,課単位で業務を行うことが多いのですが,実際にはさまざまな業務に看護課以外の部署がかかわってくるため,いくら頑張っても,看護課だけの働きかけで予算が取れたり,法律ができたりすることはありませんでした。
一方,国会議員の場合は自由な発想で,どんな分野の法律の発案もできるし,所属政党が賛成してくれるものであれば,成立する可能性も大きいです。そういう意味で,政治家になって,1992年に「看護師等の人材確保の促進に関する法律」(以下,人確法)を成立できたことなどはよかったと思っています。
窪田 行政と政治というと,これまで似たような印象を持っていたのですが,全然違うのだと分かりました。
清水 立法府は法律をつくるところで,それを施行するのが行政ですよね。ところが日本の場合には,行政府が法案の大半を出して,立法府がそれを審議するということが多いのです。議員がもっとしっかりと勉強して,自分たちから必要な法律を出すことが必要だと思います。例えば,男性にも保健婦国家試験受験資格が付与されることとなった1993年の保助看法一部改正案や,「婦・士」から「師」への名称変更のための2001年の保助看法改正案などは,議員立法ですね。
今一度,保助看法の理念の実現を
窪田 保助看法は90年代以降,時代の要請を受けて,いくつか改正されています。現在も,改正すべき事柄としていくつか議論されていますが,どのような課題が挙げられるでしょうか。
清水 保助看法が制定されたのは,戦後3年目の1948年です。この法律は,アメリカ主導で作成されたので,それまでの看護婦教育と比較すると,本当に高度な内容でした。
保助看法ができたとき,おそらく心ある看護婦たちは非常に驚き,また喜んだと思います。それまでは,高等小学校を卒業して,医師のもとに住み込んで訓練し,試験を受ければ資格が取れるという制度でした。それが新しい法律では,新しい教育制度の高等学校を卒業して,さらに3年の専門教育を経て国家試験を受けることになったのです。非常に高いレベルの教育が想定されており,画期的なことだったと思います。
しかし実際には,必ずしも「よかった」という人ばかりではなかったのも事実です。なぜならば,新しい制度下では「甲種看護婦」「乙種看護婦」ができ,「甲種看護婦」になるためには国家試験を受ける必要があったためです。もちろん,それまでの看護婦たちにも国家試験受験の門戸が開かれましたが,多くの人は,「同じ看護婦の仕事をするのに,なぜ国家試験を受ける必要があるのか」と主張し,ついに法改正によって国家試験が不要になってしまったのです。それまでの看護婦は,既得権で甲種看護婦になりました。
さらに1951年には,議員立法によって准看護婦制度がつくられました。保助看法があまりにも日本の状況からかけ離れていたこと,看護師不足が懸念されたことなどもあり,戦後の日本の状況を考えれば仕方がなかったのかもしれません。しかし,それをいまだに引きずっているのです。
今,看護界がこれだけ質的にも量的にも自立してきたなかで,ようやく「准看護師制度をなんとかしよう」「看護教育を4年制にしよう」などと平気で言えるようになりました。それが,この長い60年間の積み重ねだと思います。私たちが働き始めたころは,「あの人は新制度,この人は旧制度」と区別していたこともありました。保助看法下で養成された看護師があたり前になった今だからこそ,次のステップを踏めるのだと思います。ですから,できれば今また保助看法が制定されたときのように,理想を持って新たな展開をした方がいいのでは...
この記事はログインすると全文を読むことができます。
医学書院IDをお持ちでない方は医学書院IDを取得(無料)ください。
いま話題の記事
-
医学界新聞プラス
[第1回]心エコーレポートの見方をざっくり教えてください
『循環器病棟の業務が全然わからないので、うし先生に聞いてみた。』より連載 2024.04.26
-
対談・座談会 2025.06.10
-
#SNS時代の医療機関サバイブ 鍵を握る広報戦略にどう向き合うべきか
鍵を握る広報戦略にどう向き合うべきか対談・座談会 2025.06.10
-
医学界新聞プラス
[第2回]アセトアミノフェン経口製剤(カロナールⓇ)は 空腹時に服薬することが可能か?
『医薬品情報のひきだし』より連載 2022.08.05
-
医学界新聞プラス
[第1回]ビタミンB1は救急外来でいつ,誰に,どれだけ投与するのか?
『救急外来,ここだけの話』より連載 2021.06.25
最新の記事
-
#SNS時代の医療機関サバイブ 鍵を握る広報戦略にどう向き合うべきか
鍵を握る広報戦略にどう向き合うべきか対談・座談会 2025.06.10
-
対談・座談会 2025.06.10
-
Sweet Memories
うまくいかない日々も,きっと未来につながっている寄稿 2025.06.10
-
寄稿 2025.06.10
-
複雑化する循環器疾患患者の精神的ケアに欠かせないサイコカーディオロジーの視点
寄稿 2025.06.10
開く
医学書院IDの登録設定により、
更新通知をメールで受け取れます。