医学界新聞

寄稿

2008.07.21



【寄稿】

ゲノム学者の闘病記-脳出血からの回復

清水 信義(慶應義塾大学名誉教授・慶應義塾大学先導研GSPセンター)


 ヒト21番,22番染色体の解読あるいはパーキンソン病や難聴,自己免疫疾患の関連遺伝子発見などで著名なゲノム学者である清水信義氏が,昨年,脳出血で倒れた。本紙では発病から回復初期(72日間)に清水氏が左手でパソコンに打ち込んだ日記の一部を抜粋して掲載する。

(『週刊医学界新聞』編集室)


まさかの脳出血

 それは,2007年8月22日,浜松市舞阪文化センターで行われた比較免疫学会での特別講演の最中の出来事であった。突然,しゃべっている言葉のろれつがあいまいになり,右手のマイクを落としてしまった。それを床から拾おうと腰を屈めたとたん,身体が宙を舞った。異変を察して,3,4人の聴衆が舞台に駆け上がり,私を抱きかかえてくれ,危うく転倒を免れた。

 救急車を20分待ったが,運よく同じ会場の隣室では救急救命の講習が行われていて,その先生が騒ぎを聞きつけ,いろいろお世話してくださったらしい。救急車内で応急手当を受けつつ20分あまりかかって浜松医療センターの救急外来に運び込まれた。結局,手当を受けるまでに約1時間が経過したと思われる。CT検査の結果,左脳に1か所,5mlほどの出血が見られたが既におさまっており,手術の必要はないという。助かったという思いと同時に,後遺症はどうなのかという心配がよぎった。

 ホテルにいた家内が病院に着き,ICUで交わした言葉は「ア」「ウ」のみ。点滴チューブに繋がれ,紙おむつをつけられ寝たきりの状態だった。排尿は,注射針のような導尿管を通して,バイパスされていた。翌日には,2,3の文字を左手で大きく書くことで用件のヒントを伝え,家内が想像して発する言葉が合っていれば,うなずいてやっと確認することができた。

 3日目に一般病室に移された。簡単な言葉がかろうじて言えるようになり,屈辱的な紙おむつも要求して外してもらった。それでもベッドに寝たきりで,一日中24時間,グリセオールと栄養剤の2本の点滴チューブが左腕に繋がっていた。そして鼻からはビニール管で酸素が補給され,排尿も溲瓶でとった。

 4日目。溲瓶での排尿を拒否して,トイレに行くことを望んだが,個室のトイレが狭いため,廊下を越えた広いトイレに家内と看護師の助けを受けて車いすで行かねばならず,せっかく急ぎ押してもらっても間に合わず,ほとんど毎回漏らしてしまった。便通は4日間まったくなかった。

リハビリ開始

 入院10日目,点滴チューブからも解放され,初めてシャワーを浴びた。それまでは,ベッドで身体をふいていただいていた。専用の車いすでシャワールームに運ばれ,座ったまま手際よく洗っていただいた。感激。

 リハビリは手の作業療法,脚の運動療法,言語療法に分かれて各30分ほど。身体の基本的な運動機能を回復するため,われながら涙ぐましい悪戦苦闘の日々の連続であった。人体がこれほども巧妙複雑に機能していることに改めて驚き,大いに感心した。右腕は曲がって硬直したまま。立ち上がるにも右脚は軽く添えている感じがやっと。腰掛けたままの姿勢で足を交互に前に出すことすらも困難だった。簡単な連想ゲームやしりとりをやって言葉を思い出そうとするが,すらすらとは出てこなかった。それでも毎朝,起きるたびに,身体全体が少しずつ再び働き始めたように感じ,希望がわいてきた。

 入院24日目,リハビリはすこぶる順調で,日々,進歩を実感。しゃべることに苦労がなくなって,言語療法はかえって楽しみになった。

月ヶ瀬に転院

 入院29日目,慶應月ヶ瀬リハビリテーションセンターに転院。担当のリハビリ科医師から,機能回復が大いに期待できるよい状態であると励まされた。

 転院3日目,午前11時から12時まで脚の運動療法。右脚をひきずって歩き,不自由な右手が重いため右肩が大きく下がっている。臀部の筋肉に均等に力をかけるよう指導された。午後3時から4時まで,手の作業療法を受ける。右手の動作に関してきめ細かい治療を受けた。右手の肘に低周波による電気刺激を与えたところ,5本の指が驚いたように反射反応を示し,大きく開くようになり,開閉も驚くほど楽になった。画期的な効果である。

 転院9日目,午前11時から運動療法。浅く腰掛けて座った状態のお尻の下に,シーソー型の不安定な敷物を当て,左右の足のかかとを交互に持ち上げる運動。かなり腹筋が鍛えられそう。午後1時20分から言語療法。鏡の前で,口,唇,舌の基本動作をやった。口は大きくいっぱいに開ける。唇は「ウ」と「イ」の声を出して形を整える。舌を出して上下,左右に曲げる。慣用句を100くらい復唱した。ついで,島崎藤村の「夜明け前」,有島武郎の「一房の葡萄」,新美南吉の「ごん狐」を朗読。日本語の文章には「シ」のつく言葉や言い回しが多いので,意識して発音するよう指導された。午後3時から作業療法。右手の機能は毎日のように改善している。

 転院34日目,リハビリのラストスパートが始まった。午前11時から運動療法。階段下りの強化のために,膝への体重のかけ方を練習。その後,本物の階段を4階分下ったが,右脚を出す際,身体を前にして体重を膝にかけることが大胆にできるようになった。午後1時20分から言語療法。この日は一度もつかえずすらすらと歯切れよく読めた。3時から作業療法。花札めくりに再チャレンジ。電気刺激装置の効果をみる検査が5時からあった。動作のスピードに関してはすべて数値的に著しい改善がみられた。

 転院44日目,月ヶ瀬でのリハビリ最後の日。午前11時から運動療法。機能の回復検査の結果では,入院当時に比べて数値的に画期的な回復が証明された。特に右足の機能は,左足の90%以上まで戻った。理にかなった多彩なリハビリメニューを実践させていただいたことに感謝。

新しく生まれ変わったつもりで

 11月1日。72日間,11週にわたる闘病生活に一応の終止符を打つことができた。あくまでも病室から脱出できたという意味に過ぎず,リハビリはわが家に近い病院の外来で続ける予定である。一時は再起不能かという絶望感にさいなまれたが,リハビリの日々で常に前向きの姿勢と希望を持つ大切さを教えられ,幸い奇跡的なほどの身体機能の改善回復を獲得できた。

 リハビリ学は未完成の感があるが,多くの患者が社会復帰を望み,また社会も復帰を期待する年齢であり,今以上に近代化されるべきだと思う。一患者から見ると医師,看護師,理学療法士のより密接な連携で,もっと理想に近づくと思われる。

 医療費の保障も,「介護」に比べて「リハビリ」はまったく無視されている現状を国はもっと改善すべきと思う。リハビリで回復すれば介護が必要となる人ははるかに減少し,医療費の負担も軽減するであろう。

 今回,72日の入院生活を通じて,人の身体の仕組み,特に手足の働きと脳との関係の精妙さに驚き,生き物としての人間の回復力のすごさを身をもって知った。まだまだ外来通院のリハビリを続けなければならないが,命あっても手足が動かねば人生の意義は半分もなかろうと,自暴自棄になりかかったことを深く反省している。

 新しく生まれ変わったつもりで,今しばらく自分のやりたいこと「ゲノムを極める研究」を続けたいと願っている。

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