医学界新聞

対談・座談会

2008.07.07



【座談会】

本邦初公開!
「誰も教えてくれなかった?」診断推論アプローチ

福原 俊一氏(京都大学教授・医療疫学)
野口 善令氏(名古屋第二赤十字病院 救急・総合内科部長)=司会
会川 周作氏(佐久総合病院 地域医療部・卒後3年目)
横塚 牧人氏(聖マリアンナ医科大学病院麻酔科・卒後3年目)


 ベテランの「デキる医師」はいったいどんな思考プロセスで診断をつけているのだろう――。研修中にそんな疑問を抱いたことはないだろうか。このたび上梓された『誰も教えてくれなかった診断学』には,検査所見の読み方も病歴聴取の方法も書かれていない。「デキる医師」の思考過程を「カード」と「3つの軸」で解き明かすという斬新な切り口を提示している。

 本紙では,著者である福原俊一氏,野口善令氏と,卒後3年目の研修医である会川周作氏,横塚牧人氏による座談会を企画した。診断の考え方をマスターしても臨床上の悩みは尽きない。でも少なくとも,どんな問題に悩んでいるかさえ分からないまま悶々とし,不必要な検査をオーダーすることはなくなるはずだ。


野口 福原先生と私がともに研修医時代から疑問に思っていたことを,今回やっと『誰も教えてくれなかった診断学』という本にまとめることができました。最初に,この本の生い立ちについて,私たちの医師としての生い立ちも含めて,紹介させてください。

福原 野口先生と私には,いくつかの共通点があります。まず,年をとっているということ(笑)。それから,米国で内科の臨床研修を受けたこと,そしてその後に「臨床疫学」という研究領域を学んだことです。いまでこそEBMという言葉が当たり前のように浸透していますが,当時は疫学的手法を実際の診療に活用することは非常に画期的なことでした。またこの研究領域は,診断推論の理論的基盤にも大きな貢献をしてきました。ファインシュタイン(Feinstein),サケット(Sackett),フレッチャー(Fletcher)らがこの領域を築き,私たちはその“はしり”のときに臨床疫学を学んでいます。

野口 最初にこの本を構想したのは福原先生でしたね。

福原 はい,もう10年以上前のことです。25年前に内科研修を終え,帰国して以来医学生や研修医と診療をご一緒しながら,米国の臨床の真髄とも言える「3つの軸」(図1),すなわち頻度・確率論的アプローチ,そして診断名を当てるよりも患者のアウトカムを最優先するという良い意味での実利主義を伝えようとしました。また当時は救急・急性疾患を扱い教える研修プログラムは沖縄県立中部病院ぐらいしかなく,「時間の軸」を視野に入れた動的な思考・行動様式なども伝えたいと思いました。

 しかし,当時すでに若手の間に専門医志向が始まっていて,内視鏡や血管造影などの難しい手技ができたり,超音波やCTが読めたりすることが「デキる医師」の唯一の基準として定着しつつありました。私の表現が拙かったとは思うのですが,研修医側の頭にも固定観念が刷り込まれ,このようなコンセプトに対するレセプターがなかったせいか,「3つの軸」はなかなか理解してもらえませんでした。

 それ以来「本のほうがうまく伝わるのではないか」と考えていろいろな出版社に企画を持ち込んだのですが,全部断られました(笑)。「それならまずは書いてしまえ」ということで,たまたま2003年に佐賀で開かれた医学教育学会の帰りに,同じ原点を共有する野口先生にこのお話をしたところ,意気投合したのですね。

野口 私が研修医だった当時,多くの医師は“ひらめき”や“カン”に頼る診断をしているように見えました。ところが,米国で研修を終えた指導医はそうではなくて,論理的に診断を考えていることが,見ていてなんとなく伝わって来ました。でもそういった「考える診断プロセス」を言葉で教えてくれるわけではない。他人に伝達する方法論がなかったのでしょうね。行き詰まって悩んでいた頃に出会ったのが,サケットの『Clinical Epidemiology』でした。この本に述べられていた論理的な診断プロセスの考え方に深い感銘を受け,米国に渡ることを決めました。

 臨床決断分析や臨床疫学を米国で学び,帰国後に卒後教育に携わるなかでも,診断の考え方をどう教えたらよいか試行錯誤していました。学会の帰りにたまたま福原先生にお会いして,「日本の医学教育では診断の思考プロセスが教えられることがない」という話から始まり,どうしたら診断推論を上達させることができるかを熱く語り合いました。

福原 その後,島田利彦先生(洛和会音羽病院総合診療科/京大医学研究科・医療疫学)にも編集に協力していただき,図表の一部や巻末のappendixを作成してもらいました。また草稿に対して研修医により近い立場から多くのフィードバックをもらいました。

医学生・研修医はどこまで「デキ」ているか?

野口 それでは,おふたりの研修医の先生に,診断に関して医学生時代に学んだことや,臨床で気づいたこと,困ったことなどをお話しいただきたいと思います。会川先生,いかがですか。

会川 学生時代に診断に関して学んだことはあまりなかったように思います。医療情報学としてEBMの講義が数時間と,総合診療科で模擬患者さんを相手に鑑別診断の練習を何回かした記憶はありますが,不勉強なせいかあまり身につかなかったというのが率直なところです。

福原 内科診断学の授業はなかったのですか。

会川 私の記憶ではありません。あったらすみません(笑)。

福原 でもOSCEができただけでもいいですよね。われわれの時代には,診断における思考プロセスはもちろんのこと,病歴の取り方や診察の仕方さえあまりよく教えてもらえなかったですから。

野口 実際に臨床研修が始まってみてどうでしたか。

会川 佐久総合病院の研修プログラムの特徴として,総合外来で週1回,初診の患者さんを診ます。診療は午前中のみで症例数は4-6ぐらい,午後は振り返りのカンファレンス。これを2年間通じてやりました。

 最初はやはり,何も分かりません。分からないながらも問診票を見て,主訴からどういう疾患が考えられるかを上級医と相談しながら進めます。最初の1か月ぐらいは問診や身体診察も上級医についてもらい,徐々に1人でできるようになります。午前中は外来が混みあって十分なフィードバックが得られないことがあるので,午後のカンファレンスで最初は全症例を,慣れてきたら気になる症例に絞って検討します。

野口 指導医がつきっきりで指導してくれるのですか。

会川 外来の混み具合によります。ただ,1年目研修医に対しては後期研修医がペアになって,アセスメント&プランの段階で必ずコンサルトすることになっています。

福原 すごい! 理想的ですね。

野口 そういう恵まれた教育環境の病院は少ないだろうと思いますね。

会川 ただそれでも,この本は正直なところ「目からウロコ」でした。私たち研修医もずっとこういう考え方を指導医から教わってきたのだと思いますが,本という形で臨床のパラダイムが明確に示されたものは初めてみました。いまは初期研修医を教える立場なので,これを使って総合外来研修に臨みたいと考えています。

検査する“前”に考えることの重要性

横塚 私が学生時代に悩んでいたのは,実習で指導医の診療を見学しても,どうしてそういう診断に至ったのかがぜんぜん分からないことでした。たまに質問しても,納得のいく答えはあまり得られなかったように思います。

福原 診断の思考プロセスを伝えるのは,なかなか難しいですしね。

横塚 その後,研修医になった年にちょうど大学に内科総合診療部が新設されて,そこで学んだのがEBMです。患者さんが入院するとまず,鑑別診断や検査・治療方針について意見を求められるのですが,最初はやはり分かりません。的外れな答えも多かったと思いますが,徐々にEBMのエッセンスが身についてきました。

 それと大学病院の特性上,検査のオーダーは比較的容易ですが,無駄な検査が多くなるデメリットもあります。それを控えるためにも,検査の筋道をある程度立てておくことを内科総合診療部で学べたのは,非常に有益だったと思います。

福原 私が医学生だった頃の診断学の授業といえば,診断が困難でまれな病気を持つ患者さんが医学生2-3人に割り当てられ,病歴や診察はそこそこに,ありとあらゆる検査をした結果の中から陽性・陰性の所見を組み合わせて診断を当てる,というものでした。まるで「病名当てクイズ」「検査診断学」ですね。

 ところが,米国で研修して最も驚いたのは,むやみに検査をすると怒られることです。「検査をする前に考えなさい」というスタンスが徹底していました。このスタンスは臨床疫学やEBMが生まれる前からすでにあり,おそらく英国式の医学の伝統が米国に受け継がれていたと考えられます。

野口 日本の伝統的な診断学教育の問題点は,できるだけたくさんの検査をして,できるだけたくさんのデータを取ることが,アカデミックで“高級な”医療だ...

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