医学界新聞


最新の病態と治療の新戦略

対談・座談会

2008.06.30



【鼎談】

気分障害
最新の病態と治療の新戦略

上島 国利氏=司会(国際医療福祉大学教授)
樋口 輝彦氏(国立精神・神経センター総長)
野村 総一郎氏(防衛医科大学校教授・精神科学)


 「精神医学の歴史を繙くと,気分障害とみなされる病態は,ヒポクラテスの時代から記述があり,古くより知られたものであった」(『気分障害』序文より)――。当時は経過予後も良好であったというが,2千年の時を経て,現在わが国の患者数は300万人と推計され,薬物抵抗性の難治症例も多い。

 時代や世相の映し鏡ともいえる気分障害。21世紀初頭の今,気分障害の病態をどのように捉えればよいのだろうか。医療者は最新の薬物治療・心理療法を行いながら,社会的なリソースといかに連携して患者をサポートする必要があるのだろうか。

 本紙では日本うつ病学会発足の中心的役割を果たされ,このほど発刊された『気分障害』の編集を務められた3名の専門家に,最新の病態と治療戦略についてご議論いただいた。

 第5回日本うつ病学会総会(7月25-26日,アクロス福岡)を間近に控え,気分障害を取り巻くトピックスについて再考していただく機会としたい。


上島 昨今,気分障害(註1)の有病率は潜在的な症例も含めると非常に高いといわれています。したがって患者は,身体的・精神的さまざまな症状を訴えて臨床各科を訪れますが,そこで適切な診断・治療,コンサルトがなされているかという点について,問題が指摘されています。

 また,うつ病と自殺は深く関係しています。わが国では9年連続して,年間の自殺者が3万人を超えています。そして近年,非常に注目されているのは企業におけるメンタルヘルスです。働く人のメンタルヘルスを考えるうえで,うつ病が最大の問題になっています。

 このように時代や世相を反映して気分障害の病態は変遷し,逆に社会情勢にも影響を与えています。本日は最近の気分障害の患者をどう診ていけばよいのかということについてうつ病を中心にお話をしたいと思います。

 早速ですが,どうもうつ病の病態が変わってきたのではないかと指摘されています。

うつ病の病態が変わってきた

樋口 私も実感しています。30年ほど前に先輩から「これが典型的なうつ病の患者さんだよ」と教えられた患者は,非常に几帳面な執着性格,メランコリー親和型の性格の方ばかりで,他者配慮性を持ちながら自責的,という教科書に出てくるような典型的な病態であり,私自身,長くうつ病とはそういう病態だと考えてきました。

 こういった患者は,抗うつ薬を処方すると著効される方が多かったように思います。

 ところが,最近はそういった典型的な患者を診る機会が少なくなってきていて,逆に「自分がうつ病になったのは家族・会社のせいだ」「環境が悪いからこうなったのだ」というように,他罰的な傾向の患者が増えてきているように感じます。

 それから中年以降に発症するうつ病が30年前の典型例でしたが,最近は20-30代で増加傾向にあり,他罰的特徴を持つケースが多い印象があります。

野村 “歌は世につれ……”ではないですが(笑),“うつは世につれ変わる”のではないでしょうか。うつ病という疾患の本態はあるのですが,その本態が世につれて移り変わるわけです。つまり,社会的な影響を非常に受けやすい病気なので,うつ病自体が変わってきたということがあります。

 加えて社会の変化に呼応して,患者が精神科医療に求めるものが変化してきたということもあります。以前は精神科受診に対するスティグマもありました。現在は受診しやすくなった分,異常に病的な,極端な状態というよりも,悩みを抱えているというレベルの方が受診するようになってきて,以前とは違った臨床場面が現れています。

 これらがあいまって,典型的なうつ病とされてきた病態とは異なってきているということではないでしょうか。

そしてもう1つ,DSMのような操作的な診断の影響も受けていると思います。操作的診断は治療者の主観に左右されない非常に精密な診断基準ですが,一方で誤解されやすいという問題点を抱えています。そして,操作的診断が誤解された結果,うつ病の診断を医師自らが難しくしているという技術的な問題がありますね。

■DSM,ICD……操作的診断の誤解とは何か

上島 操作的診断の誤解とはどういうことなのでしょうか。

野村 世の中を説明するときに真実が分からない場合には,世の中をうまく定義して,それで説明できるかどうかを検証していくアメリカの伝統的哲学,pragmatismをDSMは背景にしていますから,例えばうつ病の場合には9項目の症状があてはまった場合に診断することになっています。

 非常に優れた基準であることは間違いないし,厳密に診断すれば,決してうつ病が広がるというタイプのものではありません。ただ,この診断基準は併発した精神症状を多軸評定(註2)によってバラバラに捉えるということが,最大の問題になっているのです。

 例えば症状とパーソナリティは別の軸としてそれぞれ診断,疾患名をつけます。そうすると,従来,こういうものはうつ病ではないとされていた病態が排除されにくくなってしまいました。すなわちうつ病の定義が変わってきたのです。

増加する“軽症例”――診断と治療の難しさ

上島 うつ病の軽症例が増加しているといわれています。軽症というと薬物反応性もよさそうに感じますが,決してそうとは限りませんよね。

野村 軽症というのは,診察室で医師が診て症状が軽いという意味だと考えています。慢性化している場合もあるので,いわゆる軽症が増えたといっても,決して治療に対する反応がよい患者が増えたということではなく,むしろ難しくなっていると思います

 短期反復型にしても,気分変調症にしても,小うつ病の多くにしても,DSM-IV的に診れば症状の数が少ないということになりますが,そういった症例は決して予後や社会適応がよくありません。どちらかというと実態は逆なのです。そういうことは,臨床的に皆が気づいていることだと思います。

樋口 治療法の選択においても,誤解が生まれる可能性があります。DSM-IVやICD-10などの,あるクライテリアに基づいて軽症に分類されたからといって,それらをすべて軽症うつとしてすべてひとくくりに,「うつです。SSRIを飲みましょう」と直結させてしまうのは問題があります。

 1999-2000年にかけてSSRI,SNRIが相次いでわが国でも承認され,初診の患者にはこれらをファーストチョイスとする時代になっています。消化器症状などの副作用の問題が完全にクリアされたわけではありませんが,安全性が確保できたことは非常に大きいと思います。

 ただこの間の使用経験からSSRI,場合によってはSNRIも,治療抵抗性を示す難治性の症例には効果が薄い印象があります。それで,どうしても三環系を使いたくなる。抗うつ薬開発の原型は三環系のイミプラミンで,いまだその延長線にあり,まったく新しい作用機序を持つ薬は登場していません。

新しい疾患概念――双極スペクトラム障害

上島 最近,薬物治療抵抗性,難治性の気分障害も増加しています。2割程度の患者は治療期間が1年を超えるのではないでしょうか。そういった難しい症例が多いということで,精神科専門医のあいだでトピックスとなっている双極性障害についてお伺いしたいと思います。

 クレペリンによって躁うつ病概念が定義されて以来の双極I型,II型障害の疾患分類に加え,近年,明確な躁病相を示さない循環気質などを双極スペクトラム障害とする位置づけが行われています。

野村 気分障害は性格(パーソナリティ)と一体化して診断を考える必要があります。例えばいつも不機嫌でカリカリしている刺激性気質,情緒不安定でいま笑っていたと思ったら,もう泣いている気分循環性という不安定な気分障害,それから今日でいう境界性パーソナリティ障害に限りなく近いタイプなどが双極性障害のなかに含まれています。こういった多様な臨床症状を並べて双極スペクトラム障害と分類しています。

 ただ双極スペクトラム障害としていろいろなタイプがあると並べてみても,治療論との関係性あるいは生物学的な研究との関係性でいえば,そのクライテリアが必ずしも治療にうまく結びつかないという実感があります。

 例えば気分循環性性格を持っている単極性患者は,双極スペクトラム障害として,双極性障害のなかに入るとされていますね。ところが,そういう人に気分安定薬が著効するかといえば,必ずしもそうでもない。

 現在,さまざまな遺伝子タイプの研究もなされていますが,典型的な双極性障害は,なかなか生物学的には位置づけられないということも聞いていますから,必ずしも臨床経験だけで治療が説明できるとは限らない病態だろうと思います。

樋口 私の施設では日々難治性患者の治療を行っていますが,パーソナリティの問題に関連して1つだけ強調したいのは,難治性のうつ病には,DSM-IVではII軸診断(註3)がついたようなケースが多くて,性格的な問題も絡んでいるから治りにくい,という理解をしてしまいがちなところがあります。

 しかし時折,I軸診断でうつ病であることは間違いなくて,かつ,明らかに性格障害を伴ったケースとみなした患者で,どのような治療をしても効かなくて入院してきた方が,ECT(el...

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