医学界新聞


『レジデントのための感染症診療マニュアル 第2版』を読む

寄稿

2008.02.04



【寄稿】

「臨床家すべてのための」感染症診療マニュアル
『レジデントのための感染症診療マニュアル 第2版』を読む

岩田 健太郎(亀田総合病院総合診療・感染症科部長)


 本書のタイトル『レジデントのための感染症診療マニュアル 第2版』(以下,『マニュアル』)は,おそらくは著者の意図するところが十分に発揮されたタイトルである。しかしながら,そのタイトルは本書の属性をすべて表現しているわけではない。実のところ本書は「臨床家すべてのための」感染症診療マニュアルである。感染症とまったく無縁で臨床行為を行うことなど,限りなく不可能に近いことだからで,感染症と関わっている限り,本書は必携である。誇張表現をひとかけらも用いずに要約すると,読者が臨床家であるならば,ためらうことなく,すぐ本書を購入するのがよい。

 単に広告としての書評であれば,ここで私の役割は終わりであるが,蛇足を覚悟でもう少し追加したい。

「唯一の」教科書から「最高の」教科書へ

 私が医師になったとき,日本語で読める感染症の教科書は皆無であった。その後『マニュアル』の第1版が出たとき,それは日本語で読める,臨床感染症の「唯一の」教科書となった。日本の病院の多くは感染症のプロを有していない。困ったときに相談する相手がいない。多くの医師にとって『マニュアル』は頼りになる唯一のよりどころであった。感染症で迷ったときは『マニュアル』を開く。私が尊敬するある医師は,机上にセロテープで何度も補修した,ボロボロになったあの青い本を置いていたものである。

 その後,私たちが感染症を学ぶ環境は激変した。第1版出版時はまだ十分に普及していなかったインターネット環境の整備である。今や,メールを使って世界中の専門家に気軽に症例の相談が可能になり,John's Hopkinsの回診光景がネットで中継され,数々の教科書や論文にも簡単にアクセスできる。感染症関係の信頼できる教科書も増えている。

 第2版の『マニュアル』は,そんなわけで,もはや「唯一」のよりどころではない。しかし,今や数ある教材の中でも本書は群を抜いて素晴らしい。間違いなく,日本臨床感染症界史上最高の教科書である。「唯一」は「最高」に変身した。

博物事典ではない,基礎的な箴言ばかりの大著

 単一著者が書き下ろした本書は,一貫して同じ理論,同じ哲学,同じ価値観を結晶させた一冊である。感染症は,もともと膨大なコンテンツを持つ領域である。ハリソンの内科学を開くと,いちばんページ数を割いているのは循環器でも消化器でもなく,感染症である。

 その膨大なコンテンツをたった1人でまとめ上げること自体,ほとんど奇跡的で,諸外国でもなかなか例のないことである。さて,およそ1400ページ(!)もある本書。単一著者からなる教科書で,これだけの内容とボリュームを備えている例を,私はMarinoの『The ICU Book』くらいしか知らない。

 その膨大な教科書を,慣れた日本語で読める。スピーディーにページをめくり,知りたかったこと,読みたかったことが片っ端から目に入ってくる快感は格別である。質の高い翻訳者がお気に入りの外国人作家の作品を翻訳してくれたような幸福がそこにはある。日本の諸事情(諸制限)も勘案して書かれた本書のよさは,外国の教科書では得られない。

 膨大なページ数に騙されてはいけない。実際に読んでみると,その内容は意外なほど基礎的な箴言を主としていることに気がつく。決してマニアの博物事典ではなく,感染症と対峙するときはここに気をつけろ,ここを注意しなさい,という基本的な,教育的なメッセージにあふれているのである。それが膨大なボリュームになってしまうところに本書のすごさがある。そういう意味から考えると,「レジデントのための」と銘打ったタイトルは決してミスノマー(誤称)ではない。初学者は,第I章の「感染症診療の基本原則」を熟読するだけでも十分な基礎体力がつくはずだ。病棟や救急外来で困難に陥ったときでも決して揺るがなくてもよくなる,基礎体力。

 基礎的な箴言であることは,必ずしも安易さを意味しているわけではない。その深遠さは,「尿路感染症は,一見簡単な感染症のようでありながら,実は他の部位の感染症を除外しながら診療することを求められる総合内科的疾患である」(550ページ)という一文を紹介するだけで十分であろう。この言葉の秘める重要さは,質の高いプライマリ・ケア医か,逆に私のように痛い目にあったことのある医者(ただの尿路感染だと思ったのに!)なら骨身に染みて感じているはずだ。

教育者がやってはいけない「がっかりさせること」

 上級者にとっても本書は有用である。「エビデンス」では得られない臨床決断上の重要なtipsはあちこちに散らばっている。例えば私が珠玉の一章だと思う結核の項(1032ページから)を読むだけでも,それがわかる。「肺結核に特徴的なX線像というものはないと考えたほうが安全である」(1048ページ)。あるいは,半世紀を経て再発した骨髄炎のエピソードが,黄色ブドウ球菌の執念深さと恐ろしさを教えてくれる(819ページ)。

 日本における非科学的な根拠に基づいた「保険適応」という呪縛は,DPC採用の病院が増えるにつれて,解かれつつある。あとは,心の呪縛を解くだけである。指導医の皆さまは,ぜひ本書を熟読して感染症診療の基本を学び,学生・研修医に一層,質の高い教育を提供してほしい。一所懸命勉強している学生・研修医をがっかりさせるような発言だけはしないでほしい(「とりあえずカルバペネムいっときゃいいんだよ」「CRPが下がったんだから抗生剤は止めてもいいよ」)。教育者が何よりやってはいけないのは,怒らせることでも,泣かせることでも,落ち込ませることでもなく,がっかりさせることなのだ。

 相談する相手がいなくて「途方に暮れ,焦り,諦めかけている」研修医(本書序文より)たちは,本書を心の拠りどころとするとよいだろう。日本でも感染症のプロが少しずつであるが生まれつつあるが,すべての病院に行き渡るのは遠き未来の話である。

 感染症のプロは,ここに心強い相談相手が生まれたことを大慶としよう。毎日の診療で困惑を覚えたとき,真っ先に本書を開く習慣を,多くの専門医が持つに違いない。


岩田健太郎氏
1997年島根医大卒。沖縄県立中部病院研修医,セントルークス・ルーズベルト病院内科研修医,ベスイスラエル・メディカルセンター感染症フェロー,北京インターナショナルSOSクリニック家庭医を経て,2004年より亀田総合病院。米国感染症専門医。ロンドン大熱帯医学衛生学校感染症修士。主著に『感染症外来の事件簿』(医学書院),『悪魔が来たりて感染症』(中外医学社)。

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