医学界新聞


来るべき災害に備えて―あなたの施設,備えは万全ですか?

対談・座談会

2008.01.28



【座談会】

来るべき災害に備えて-あなたの施設,備えは万全ですか?
DMATの活動からみる日本の災害医療の現在

佐藤 和彦氏
(国立病院機構災害医療センター 看護師長)
大友 康裕氏=司会
(東京医科歯科大学大学院教授 救急災害医学分野/ERセンター長)
梶山 和美氏
(北里大学病院 看護師 救命救急センター)


 6434名という未曾有の死者を出した1995年1月17日の阪神淡路大震災から13年が経過した。震災を契機に,わが国における災害医療の本格的な研究・実践が始まり,2006年には災害の超急性期に活動できる機動性を持ち,専門的な訓練を受けた災害派遣医療チーム「日本DMAT」の整備が厚労省により開始され,07年までに272施設386チームが研修を終え,2391名の隊員が誕生している(うち,看護職は992名)。

 この整備により,医療・消防・各自治体などが連携し,被災地を支えあう広域医療連携に向けた土台が築かれた。また研修を受けた看護職は院内災害研修や地域防災活動を始めている。

 本特集では養成研修に講師として携わる3名の医療者に,研修内容や実際の活動,災害に対する日ごろの備え,そしてそのなかでの看護職の役割についてご議論いただいた。


日本DMATとは?

日本DMAT:大地震,航空機・列車事故などの災害発生時に,被災地に迅速に駆けつけて急性期(おおむね48時間以内)の救急治療を行う災害派遣医療チーム。専門的な訓練を受け,厚労省が認定する。

 

大友 阪神淡路大震災では,被災し通常の診療ができなくなっている医療機関へ多数の重症患者が搬入され,そのうちの多くが十分な手当てができずに亡くなっていきました。急性期の適切な災害医療を提供できれば救命できる「避けられた死」が多数発生しました。また,倒壊した建物に長時間挟まれ,救出直後に急変し心臓停止に至るクラッシュ症候群や,現場で挟まれた四肢の切断ができずに火の手に包まれていった方々など,災害医療の立ち遅れにより多くの命が失われました。当時は「災害超急性期の救命」という観点の医療が提供されていなかったのです。

 これを教訓に2001年「災害医療体制のあり方に関する検討会」報告書において「超急性期の災害現場で命を守る医療が提供されるためには,指揮命令系統が確立された専門医療チームが自立して機動的に活動することが求められる。医療者に対して専門の訓練を行い養成するための仕組みづくりが必要」と提言され,日本版DMATの整備構想が盛り込まれました。

 その後,06年から厚労省により“超急性期に被災地に入って,救命医療を提供することを目的とした医療チーム”日本DMATの隊員養成研修が開始されました。

 災害現場で行うべき医療を理解し実施できる診療能力を有すること。災害現場で活動するために必要な安全面の配慮ができること。消防や警察等の災害時現場対応を理解し,これらの機関と緊密に連携して活動できること。各チームが共通の訓練を受けているため複数の現場医療チームが参集した場合でも組織的に活動できることなどが従来の医療救護班との違いです。

 日本DMAT(以下,DMAT)の主な任務を表に示します。近隣事故災害の場合,災害現場に出動して救命医療を提供します。地震災害など広域災害の場合,被災地内に入り医療提供を行う活動に加え,傷病者を被災地域外の救急医療が提供できる病院へ自衛隊の航空機などで搬送して,1人でも多くの命を助ける広域医療搬送活動,大きく分けてこの2つの任務があります。研修会では,これらの活動が実施できるよう専門訓練を行っています。

 日本DMATの主な任務
  1. 被災地域内での現場活動(トリアージ・緊急治療・がれきの下の医療など)
  2. 被災地域内の病院支援(特に災害拠点病院において)
  3. 域内搬送(救急車・ヘリコプターによる)
  4. 広域医療搬送(緊急治療を行うため,重症患者を被災地外に航空機などで搬送。搬送拠点内での患者状態安定化やトリアージを含む)。

 研修受講者は厚労省または都道府県から指定を受けたDMAT指定医療機関(現在,ほとんどが災害拠点病院)から選抜されます。これまで災害現場での医療提供はボランティアに支えられる部分も大きかったのですが,DMATは病院の業務としての参加になります。また,各個人に相応の能力があることを筆記・実技試験で確認して認証し,厚労省医政局長名の隊員登録証が交付されます。

 超急性期の災害現場は,事故のリスクも高いため身分保障も必要になりますが,これに関してはDMAT指定病院と各都道府県が協定を結び,被災県の要請を受けて出動した場合,被災県が保障する立場となります。保障内容については,それぞれの県が整備することとされています。協定の締結促進,保障の水準については,課題が残されているのが現状です。

DMAT養成研修――自己完結できる医療チームをめざして

佐藤 DMAT養成研修は現在,東京・立川市の国立病院機構災害医療センターと神戸市の兵庫県災害医療センターの2か所で行っています。毎回4日間にわたる研修は医師・看護師や厚労省医政局・内閣府の担当者などが講師となり,前半の2日間はセンター内でシミュレーションやワークショップなどの講習を中心に,後半の2日間は消防と連携したトリアージ訓練や,自衛隊と共同で広域搬送の拠点となるSCU(ステージングケアユニット)における広域搬送訓練など実践的な訓練を行います。災害現場での活動を実感をもって捉えていただけるような研修内容になっています。

大友 超急性期の被災地で救命医療を実施するためには,外傷の初期診療にも対応できなければいけませんし,トリアージもできなければいけません。そこで外傷初期診療の標準化研修プログラムJATEC(Japan Advanced Trauma Evaluation and Care),救急隊向けですがプレホスピタルという意味で重要になるJPTEC(Japan Prehospital Trauma Evaluation and Care)のなかからDMATとして必要な知識,技術を取り入れ,災害に応用できるよう一部改変しながら研修プログラムを作成しました。

 また大規模な自然災害に加え,JR福知山線の脱線事故のような多数の傷病者が発生する現場に行くこともDMATの任務とされましたので,欧州で広く採用されている,英国の災害現場医療の標準化トレーニングコースMIMMS(Major Incident Medical Management and Support)の内容も研修で教えています。

佐藤 研修では,災害現場における体系的な対応の基本として“CSCATTT”(Command & Control, Safety, Communication, Assessment, Triage, Treatment, Transportation)を教えこまれます。このなかのCommand & Control(指揮命令,統制/調整)を災害現場で確立することが重要です。院内の看護業務では縦のつながりと医師からの指示で動いていますが,現場では他チーム,消防,自衛隊,行政と初対面の顔ぶれで連携して動くことになり,通常の業務の流れとは違ってくるからです。

梶山 災害現場ではトリアージ,救命処置や患者への心身のケアを,また被災地域内の災害拠点病院では診療支援や,トリアージ→状態安定化処置→広域搬送基準の評価→搬送のためのパッケージング→救護車に乗せる,という一連の流れをチームで行います。すべての流れを知ったうえで,医療ニーズを看護の視点で機敏に考えることが求められます。

 また広域搬送では,自衛隊の航空機など特殊な状況下で看護を行わなければなりません。航空機の構造を熟知し,騒音や気圧の変化などによって発生するすべての状況を予測して,安全を保ちながら患者状態の観察を行います。

 このように一刻を争う災害現場の活動では看護師にも自立した高度な判断・対応能力が求められるのです。

大友 患者に対する精神面でのサポートも,看護師の重要な役割ですね。医療チームが,体を診ながらやさしい声かけをしてくれたり,「困っていることはありませんか」と聞いてくれる温かさが,心のケアになっているといわれます。

梶山 それが看護職の重要な役割の1つだということを講義で話しています。同時に大事なのが,チームメンバーの健康管理,精神面でのサポートです。チームが結束して活動するためには,救援者の心と身体の健康は欠かせないものです。

佐藤 多数のご遺体を目の当たりにすることもある救援活動で,医療者が受けるストレスは想像以上に大きなものがあります。研修ではトラウマティック・ストレス学会の専門家からのレクチャーもあり,対処法を学んでいます。

災害現場での医療活動――中越沖地震からの学び

大友 07年7月16日,新潟県上中越沖を震源とする最大震度6強の地震が発生し,柏崎市・刈羽村を中心に多大な被害が出ました。DMATとして正式に被災地域内に入って活動したのは,今回が初めてでした。新潟県からの要請を受けた自治体所属のチームと,自主的に出動したチーム合計42チームが結集し,有機的,組織的に救護活動を行うことができました。

 災害拠点病院(柏崎市・刈羽郡総合病院)での支援に加え,ショック状態の腹腔内出血,骨盤骨折,頭部外傷などの重傷20数名を,ヘリコプター,救急車で新潟市,長岡市にある救命救急センターへ治療をしながら搬送しました。また,レスキューチームと合同でがれきの下の医療を展開したチームもありましたし,90か所を超す避難所・救護所に日赤や医師会のチームをサポートするかたちで入りました。

 今回,おふたりとも出動されましたが,院内での人選はどのように決定しましたか。

梶山 当院では2チームがDMAT登録していますが,神奈川県には,新潟県からの正式な出動要請はありませんでしたので,自主出動しました。それもあって,人選は「行ってみたい人」ということでしたね。私たちが行きたいといい,病院長はすぐにOKを出してくれました。

 発災は午前10時13分頃でしたが,本当に向かうかどうかはすぐには決まらず,医師1名と看護師2名の3名で,ドクターカーで病院を出たのが16時です。先着したDMATがEMIS(広域災害救急医療情報システム)を通して情報を流し,後続チームはわりとスムーズに被災地域に入れたのです。中越では情報が不足して大変だったそうですから,大きく進歩した点ですね。

 20時半くらいに刈羽郡総合病院に着きました。そこにはDMATの仲間が大勢いましたので,安心しました。トリアージタッグ黄,緑の患者に対応していた,近隣の病院の医療チームを休憩させるために,ほかの5病院からのチームと一緒に,夜中から朝までの診療を担当しました。道が悪いこともあり,被災者の多くは自宅や避難所で我慢されていたようで,夜はほとんど来る人がいませんでした。そのため,仮眠を取りながら2チームごとで対応していましたが,明け方に大勢の患者がやってきたので,朝6時から9時頃まではすべてのチームで,かなりの人数を診ました。

 また,初対面のチーム同士でも共通の訓練を経ていることで,円滑な連携を行うことができました。CSCATTTを叩き込まれているので,コマンドが重要だとわかっていて,誰も勝手な動きはしません。指揮に従って,非常にスムーズでした。

佐藤 私は発災当日に自衛隊のヘリでアプローチしたのですが,悪天候のために引き返して,翌朝一番の新幹線で向かいました。病院支援のために出動しましたが,実際にはDMATがすべて請け負うのではなく,地元の病院の方々とDMATが連携して動きました。受付は地元の病院職員,処置はDMATチーム,処方は地元の薬剤師,という機能的な役割分担ができました。

 その後,病院外の巡回診療を担当していたチームと合流しました。医療対策本部が設置された柏崎市・元気館では,DMATチームが診療を分担して,3日目には日赤の救護班に引き継ぎました。早期から自治体の方が入って,さまざまな支援をしてくださったこともあり,災害の急性期から慢性期にかけての連携がうまくいったように思います。

大友 今回,出動待機していたチームが数十ありました。幸い,重症者が少なかったため,待機解除になりましたが,すべてのチームにゴーサインが出ていたら,おそらく100を超える医療チームが現地に結集したでしょう。それだけたくさんのチームが出動の意思表示をしていたということで,わが国の災害医療にとっては大きな進歩だと思います。

 今回の地震ではトリアージタッグ黄,緑といった比較的軽症の患者に対する資機材が不足しました。出発前に行う資機材準備は主に看護職が担いますが,アセスメントの難しさを感じましたか。

梶山 DMATの本来の目的は超急性期の救命ですから,今回の出動時にも,赤の傷病者を助けるための資機材を中心に持参しました。結局,私たちは黄,緑の患者の診療を担当しましたが,歩ける人たちに必要な打撲や捻挫のための湿布,軽創傷の手当てのための抗菌薬などは持参していませんでした。「持ってきたものが,何一つ使えない」ということがあって,そのときに初めて,赤ばかりに目を向けていたなあと感じました。

大友 中越沖で必要とされた医療は,DMATが本来対象とする超急性期の救命医療というよりも,亜急性期の医療でした。被災者が集まっている避難所で保健医療をやってほしいという依頼が発災当日から出ていました。被災地のニーズに対応して,中等症・軽症の対応ができるように,あるいは長期化まで視野に入れた資機材のセッティングにするかなど,出動前に情報を得て,現場に入っていくべきだということを,今回学びましたし,新たな課題ですね。

 またDMATは出動から48時間で帰ってくることになっていますが,これを現地の人たちに受け入れてもらうのはなかなか大変です。「もう帰っちゃうんですか」といわれることもあります。机の上では,超急性期,急性期,亜急性期,慢性期といっていますが,実際はシームレスで境がはっきり区別できるものではありません。

佐藤 超急性期に救援チームが入った後,慢性期に移行する際,地元の医療者に伝わっていないと被災者のケアにつながりません。私たちが行ったことをいかに引き継いでいくかが重要になります。中越沖地震ではDMATが医師会の先生方に情報を提供したり,巡回したときの情報を保健師に提供するということがありました。

 ただ,引き継ぎのタイミングは難しいですね。できれば,早期から地元の保健師や行政と一緒に動くことも必要かなと感じています。

大友 地元の保健師とどう連携を取るかという検討は現状では深くなされていないですね。たとえばがれきの山を目の前に,「この家には,おばあちゃんがいました」というように,保健師が災害弱者を普段から把握していて,安否確認の情報源になることはあるでしょう。避難所に来られない人のところに救援チームが向かうアウトリーチは必要なことですから検討課題のひとつですね。

自施設が被災地域内の災害拠点病院となったら

大友 災害拠点病院は,二次医療圏ごとに1か所,全国で約550か所指定されています。自施設が被災地域になった場合には,当該地域で発生する重症患者を収容し,その対応をすることが求められています。災害拠点病院の従事者研修では,拠点病院としての院内体制の整備のあり方,災害対応能力を向上させるための教育システムなどについて研修が実施されています。しかしまだ「自施設が,被災地域内の災害拠点病院になったら」という意識が希薄な施設も少なくないようです。

梶山 DMATの研修後,意識が高まり,日ごろの備えについて自施設で踏み込んだ活動をしている看護師は多いようです。私も得た知識を院内スタッフに広げる研修に取り組んでいます。

 まず一昨年,救急の看護師と医師に呼びかけ,DMATの研修を参考にしながら考えた災害研修を行いました。次に院内全体に広げようと考え,昨年は管理職を対象に開催しました。さすがに管理職の中には,自分の病院が災害拠点病院であることを認識していない方はいませんでしたが,実際の災害時のイメージは湧かないという声や,救急部が対応すればどうにかなるのではと思っていた,という声が聞かれました。

 実際の災害時には救急はパンク状態になるでしょうし,自施設も被災していることを考えれば,入院患者にどう対応していくか,外からの受け入れ可能人数は,といった検討を病院全体で行う必要があるのです。

 管理職研修では,現在の日本の災害医療体制や災害拠点病院として災害時に必要な考え方の講習に加えSTART法のトリアージ研修を実施しました。この研修が非常に好評で,全職員に行ってほしいといわれ,準備を進めています。トリアージも全職員ができることを目標にしたいと考えています。

佐藤 DMATの養成研修で,研修生の多くはまず「被災患者1人ずつを助け,そして多数の傷病者を助けたい」と人に目がいくのですが,無線や衛星携帯電話などを使った通信訓練も行うなかで,状況判断が重要であることに気づき,適切な通信ツールはトランシーバーか,電話か,一斉放送なのかというようにハード面も意識するようになり,情報の伝達・人員・リソースの活用など本部機能にまで考えが及ぶようになります。災害時の院内全体の流れに対する視点が養われますので,自施設のマニュアルについても意見がいえるようになってきます。そういう意味でも,研修効果は大きいと思っています。

大友 院内に災害対応マニュアルがあっても,それをもとにした多数傷病者受け入れ対応訓練を行わないと,実効性のあるマニュアルにしていくことはできません。しかし全病院で訓練を行うとすると,外来の休診による減益や勤務外の職員の招集のための費用などで,1回に1500万円から2000万円くらいのコストが発生するという試算がありますので,なかなか頻回にはできません。効果的な院内訓練の実施は大きな課題のひとつです。

 佐藤さんは大災害による多数傷病者を想定した机上訓練用キット,エマルゴトレーニングシステムの研修で全国の病院を回っていますね。

佐藤 スウェーデンで開発されたエマルゴは,その高い学習効果が国際的に評価されている教材です。その施設のソフト・ハードを再現した状況設定のもと,職種ごとの職員数,診療科の能力を踏まえて,経時的にコマを動かしていきますので,災害時にどれだけの対応が可能かシミュレーションでき,マニュアルを検証する機会にもなります。「情報班」「物資担当班」などと役割設定をしていても,誰がそれを行うか決まっていない施設がたくさんあります。コマを動かすことで,役割はあっても役者がいないことが明確になり,実効性のある内容に改善することができるのです。

災害・減災への備え地域,市民との連携のなかで

大友 JR西日本福知山線事故のような局地型災害のときには,DMATと消防との連携は必須です。DMAT隊員は自施設の近隣にある消防と顔の見える関係をつくり,具体的な連携のあり方を検討して,合同訓練を進める必要があります。

梶山 北里では消防との合同訓練を開始しています。最初はDMATが何かを知らない消防の方も多かったので,まずは災害研修を行ってDMATを知ってもらうことから始めました。救命救急センター長の名前で,近隣の各消防署長宛てに手紙を書きました。また私はメディカルラリー()をやっている関係で,日ごろから救急隊と顔の見える関係にありました。そのネットワークも使って,結構な数が集まってくれました。当初,DMATが何かを知らない消防の方も多かったので,まずは,連携先に知ってもらうことが大事ですね。

佐藤 住民にもDMATの存在を知っていただく必要がありますね。在宅で人工呼吸器を使っておられるALSの患者からDMAT本部にメールをいただきました。「災害時には要救助者になるので,ぜひ,DMATに自分たちの存在を知ってほしい。DMATの存在をもっと世間にアピールしてほしい」といってこられました。中越沖地震ではDMATのユニフォームを着た隊員の活動が報道されました。こういったメディアの効果にも期待していますが,私たちからも情報発信をする必要がありますね。

大友 阪神淡路大震災のとき,自力で病院に行けなかった2万7000人の患者のうち,消防が運んだのはわずか1900人です。残りの方は,ほかの力を借りて病院へ行かれたことになります。「自助・共助・公助」といわれますが,一般市民には自立して日ごろの備えをしていただきたいとも思います。

梶山 今後,地域でも活動をしていきたいです。私の住んでいるマンションは駅からも役所からも近いので,皆,何でも揃っていると安心しきっています。現在,管理組合の役員をしているので理事会でも共助,自助についてお話しして,一緒に考えていけたらと思います。

佐藤 「私は入職数年目だから,まだそこまではできないです」という看護師がいます。確かに1年目ではトリアージはできません。でも,言葉かけなどこころのケアはできますし,止血などの応急処置もできると思います。日々の業務のなかで「災害看護観」をもつだけでもずいぶん違ってきます。

梶山 そうですね。DMAT研修の内容は特別なものだ,と捉えられる参加者もいらっしゃいます。でも「日ごろの看護業務と基本的な手技や心構えは変わらないのですよ」と説明しています。逆に日常行っていないことは,災害現場でもできるわけがないのですから。

佐藤 災害時にはスペシャリストでなければだめだと思うことなく,まず個人としてできることを見極めることが,医療従事者として必要ですよね。

 そのためにも,日々,職場でも,家庭でも災害について話し合うようにしていただければ,災害時に私たちが被災者に手を差し伸べる活動がより円滑に行えると思います。また,管理者の方には,研修会や,研修会参加者の報告会などを開いて,後輩の育成につなげていただきたいと思います。

大友 DMATの活動のための資機材が十分に整備されていないこと,移動手段ももっと洗練されていかなければいけないでしょうし,派遣の際の身分保障も不十分だと思っています。災害医療全体に関しても,行政区を横断する連携や自治体間の応援協定の促進,地域防災会議への医療従事者の関与促進など課題は山積しています。

 一方,医療の崩壊がいわれるなか,「災害時には自ら出ていって頑張ろう」という医療者の気持ちは貴重なもので,DMATはそのすばらしい使命感に支えられています。そして出動時に留守をカバーする自施設のスタッフへの感謝も忘れてはなりません。

 新しい1年が始まりました。わが国の災害医療のさらなる発展に向けて共に歩んでいきましょう。

:医師・看護師・救急救命士による救急医療チームが,シナリオで設定された場所に出動。制限時間内に現場での状況判断と,模擬患者への適切な一次・二次救命処置やJPTECの手順に基づく処置を的確に行うことを競うコンテスト。


大友康裕氏
1984年日医大卒直後より救急医学分野に携わる。日医大北総病院,国立病院機構災害医療センター(現・独立行政法人)では病院開院,救命救急センターの立ち上げに携わる。2006年1月より現職。同4月にERセンターを開設。日本DMAT発足の中心メンバーのひとり。外傷初期診療標準化プログラムJATEC,JPTECの開発コアメンバーとして救急領域の標準化教育にも深く関わる。スーダン,イラン,コロンビア,ペルー,インドネシアなど国際災害派遣経験も豊富。広域医療搬送に関する研究分野で評価を得ている。

梶山和美氏
1990年共立薬科大薬学部卒。北里大病院での業務実習の際,救急医療に関心をもつ。92年,同大大学院修士課程を修了。卒後,製薬会社研究所勤務を経て,現場で人を相手にする仕事がしたいとの思いから,95年神奈川県立病院付属看護専門学校に入学。卒直後より現職。医療救護班として中越地震への派遣をきっかけに災害医療に足を踏み入れる。きっかけは「偶然」だったが,現在,日本DMATインストラクターとして精力的に活動。「自施設も災害に強い病院にしていきたい」と語る,行動的なナース。

佐藤和彦氏
1991年国立霞ヶ浦病院附属看護学校卒後,同院に入職。内科病棟に配属となるが,救急を学びたいとの思いから,救急救命士資格を取得,災害医療との関わりが始まる。99年国立水戸病院救命センター勤務時,隣町でJCO臨界事故が発生。市民,医療者として災害時の行動の難しさを実感。2002年より現職。院外の医療者へのトリアージ訓練を担当しながら看護技術を磨く。DMATをはじめ,自施設の災害対応の具体的な計画作成の中心的存在。東京DMAT隊員,日本DMATインストラクター,日本集団災害医学会評議員。

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