漢方の知恵を看護に生かす(佐藤禮子,北村聖,喜多敏明)
からだをみる,こころをみる
対談・座談会
2007.07.23
からだをみる,こころをみる漢方の知恵を看護に生かす | |
喜多敏明氏(千葉大学環境健康フィールド 科学センター准教授)
佐藤禮子氏(兵庫医療大学副学長)=司会 北村聖氏(東京大学医学教育 国際協力研究センター教授) |
患者さん一人ひとりへの全人的な視点,身体と心に関する緻密な知識が求められる漢方医学は“個の医療”として発展し,西洋医学とは異なる視点から患者さんの病態,症状,症候をとらえる方法を洗練させてきた。「患者中心の医療」の重要性がいわれて久しいが,漢方医学はこれを実践する一領域といえる。看護師にとっても漢方からの学びは日ごろの看護業務を別の視点から振り返るきっかけにもなるのではないだろうか。本座談会では,漢方医学の考え方の基本や,漢方と看護の接点,漢方の知恵が看護業務にもたらすであろうメリットなどについて先生方にお話しいただいた。
(提供;株式会社 ツムラ)
医学部における漢方教育の現状
佐藤 本日は「からだをみる,こころをみる――漢方の知恵を看護に生かす」というテーマで,北村先生,喜多先生にお話を伺いながら,看護の教育や臨床現場,あるいは看護そのもののなかに,漢方医学の視点を取り入れることの意義,そして実際にそれを患者さんにどう生かしていけるだろうか,ということについてご一緒に考えさせていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。はじめに,医学部ではすでに取り組みが始まっている漢方教育の現状について,北村先生からお話しいただけますか。
北村 わが国で基本とする医学が漢方から蘭学(西洋医学)に移って以来,医師国家試験は西洋医学に基づいて出題されてきたため,医学部において漢方に関する教育は100年近く行われてきませんでした。
しかし患者さんからの漢方診療に対するニーズの高まりを背景に,漢方薬は保険診療が認められている薬剤として教育は行われるべきとする意見や,学生側からも漢方を学びたいという声が聞かれるなど,さまざまなファクターがあり,2001年に医学教育のモデルコアカリキュラムを作成した際,「和漢薬について概説できる」という文言が盛り込まれました(註1)。したがって,国が漢方の教育をやろうといったのは,明治維新以来初めてのことになりますね。
喜多 そうですね。日本の伝統医学である漢方が,現代医療において再評価されたということだと思います。
北村 これをきっかけに,自主的な教育に任されていた漢方教育が,ある意味,強制力をもつことになり,1単位(15時間)の約半分に相当する8時間をめどに各大学で講義が行われています。以来,2年前には全大学で8時間以上の授業が行われているという状況にまでなりました。
ただ,内容は大学によって差があり,厚く取り上げている大学もあれば,薬学の時間に概説する程度にとどまっている大学もあると聞いています。実習が十分な大学も少ないですし,指導医も不足しています。
今後,そういった壁を乗り越えて漢方の教育は充実していくのだと思います。その中でもっとも大事なことは評価で,卒後,臨床の現場で漢方を患者さんのために活用してくれると,この教育は意義があったと評価できますが,「学生時代に習ったけれど,使わないので完全に忘れた」となってしまうと,教育としては失敗,という評価になるのだと思います。そういう意味で,漢方の教育は始まりましたが,その教育が臨床現場でどう定着していくか。そこを注視していかなければならない,と感じています。
佐藤 非常に興味深いお話ですね。実践があってはじめて,教育の真の意味が出てくるということですね。私も教育者の立場として同感です。
それでは,漢方医学の実践者であり,現在まさに学生に教える立場でもいらっしゃる喜多先生が漢方医学に携わるようになられたきっかけをお聞きしたいと思います。
北村 千葉大はモデルケースです。喜多先生のところにたどり着ければ成功なので,“出来上がり図”をお伺いしましょう。
喜多 私は1979年に富山医科薬科大(現・富山大)に入学しました。在学中に寺澤捷年教授の「和漢診療学」という国立大学で初めての漢方医学講座の前身ができました。そこで,講義や外来見学などの実習を通じ,漢方医学の基本的な考え方と実際を学んだことが,私の医師としてのベースになっています。
卒後,寺澤先生の教室に入局し,1年間は大学病院で病棟を受け持ち,内科学と和漢診療学の両方を取り入れた診療を学びました。その後,3年ほど別の病院で,今でいうローテーション形式で内科学をひと通り研修しました。そしてまた大学へ戻り,今度は漢方を中心とした治療体系を実践する仕事を始めて,現在に至っています。本格的に漢方を教育できるレベルに到達するには,10年以上の経験が必要でした。
2003年に私が千葉大に赴任してから,千葉大においても漢方医学が正式に教育されるようになり,年々,その内容は充実してきています(表)。千葉大には戦前から東洋医学研究会という学生サークルがあり,漢方の歴史は富山大よりもずっと古いのです。医学部全体に漢方に対する理解があって,漢方を教育できる教員が数人いれば,千葉大レベルの漢方医学教育を比較的短期間で実践できるようになると思います。
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北村 喜多先生は,千葉大の環境健康フィールド科学センターでも漢方を実践されておられますね。
喜多 センターの前身は園芸学部の付属農場です。緑豊かな園芸フィールドの中で,心身一如や医食同源といった東洋医学の理念をバックボーンにしながら,環境と人間の共生研究を推進しています(図1)。センターがめざしているのは,こころと身体のケア,未病を治す,国民の健康増進などですが,その中で実践的な役割を担っているのが漢方専門の柏の葉診療所であり,私はその所長を兼任しています。
漢方医学の基本的病理観,診断の方法
佐藤 それでは,いよいよ漢方医学の病理観・診断法などについて教えていただきたいと思います。喜多 漢方医学の病理観や診断法は,西洋医学とは基本的に考え方が違うのです。
西洋医学は分析的な学問で,その考え方は要素還元論的です。臓器から細胞,分子のレベルまで詳しく分析し,異常がある部位を確定し治療を進めていきます。それに対して漢方医学は,もう少しトータルに人間全体を診ます。漢方独自の物差しで全体的な病態を捉えて,治療していきます。西洋医学が臓器や細胞を木として診るとすれば,漢方医学は患者さん全体を森として診ていくのです。寺澤先生は「これからは木を見て,森も見る医療が必要だ」とよくいわれています。
「人間全体を診る」ことに加えて,「“心身一如”の医学である」ということが漢方医学の特徴です。心と身体を,ひとつのものとして捉えながら診断・治療をしていく医学なのです。学生時代に聞いたこの“心身一如”という考え方が,漢方を本格的に志す動機になりました。精神的なストレスが身体疾患に影響し,身体の調子が悪ければ精神的な状態も悪くなっていく――そういった悪循環のなかで,病気が治りにくくなるということが,すべての病気にいえるわけです。
当時,心身医学が注目されていましたが,患者さんに対して心身医学的アプローチができることが,漢方のすぐれた特質ではないかと思って,漢方医学をめざしました。
佐藤 患者さん全体をみる,という考え方は看護と共通しています。ただ,いくつかの漢方関連の書籍に書かれていた「全体性」「全人的」という言葉の定義するものがまだ明確には理解できていません。私が考える「全体性」と漢方医学がいう「全体性」は一致しているのでしょうか。
いま先生は,心身一如で,心と身体をひとつのものとして捉えるとおっしゃいましたね。それは心身医学と同じですか。
喜多 心身医学と心身一如というのは,大きく違います。心身医学というのは,もともと心と身体は別のものだという前提があるのです。デカルト以来の心身二元論が前提にあって,心と身体の関係というものを考えていくわけです。脳や自律神経,免疫系,内分泌系を介して,心が身体に影響を及ぼしているのだというのが心身医学の立場です。
一方,心身一如の考え方は,心と身体を分けることをしないでそれ自体がひとつであるという立場に立っています。この考え方が漢方医学の理念であり,哲学なのです。
佐藤 なるほど。そこがわかると,漢方医学全体が理解できるということでしょうか。もう少し,この心身一如を漢方的な診断学の視点も含めながら,お話しいただけますか。
喜多 漢方的な診断では,患者が訴える症状,すなわち主観的訴えを重視します。たとえば,身体的には疲れやすく,食欲がない。精神的には気力がなくて,憂うつであると訴えている患者さんを想定してみましょう。
そのような患者さんに対して,西洋医学は身体症状と精神症状を分けて診断します。身体症状の背景には身体疾患があり,精神症状の背景には精神疾患があるという考え方です。しかし,漢方では身体症状と精神症状を分けずに診断します。心身一如の病態があって,それが身体症状として表現されたり,精神症状として表現されたりすると考えるわけです。
さまざまな生薬が身体と心の両方の症状に効くという経験知が先にあって,あまり身体と心を区別する必要がないという考え方が生まれたのだと思います。漢方医学の体系はその成り立ちにおいて,身体症状はこちら,精神症状はあちらというふうに分類せず,すべてを包括的にひとつの症候群,病態として捉えるところから始まった。それが,心身一如の医学になった理由だと思います。
生体のとらえ方,病態の把握方法
佐藤 生体のとらえ方や病態の把握にも漢方医学には独自の視点があるのでしょうか。喜多 はい。「陰,陽」をはじめとして生体や病態の把握を行うための指標として漢方医学独特の指標があります(図2)。人体の生命活動は「気・血・水(きけつすい)」の三要素によって支えられていると考えています。
佐藤 「気」というのはエネルギーですね。「水」というのは?
喜多 水とは「みず」です。紀元前後に生まれたとされる漢方医学ですが,体を解剖してみると体内をめぐっているのは血液と体液だということは,その当時でもわかっていたようです。それが「血」と「水」です。死んでしまっても「血」と「水」は存在するけれども,死者は動かなくなって,冷たくなっていく。
一方,生きている人は,「気」というエネルギーが体の中をめぐっているおかげで活動ができ,体温も維持できているのだと考えたわけです。要するに「気・血・水」がうまく身体を循環して,不足がなければ生命活動が維持でき,自然治癒力も働く。逆に,この循環が悪くなったり,不足したりすると,自然治癒力が衰え,「虚」と呼ばれる状態になってきます。
佐藤 「気」の概念は難しいですね。
喜多 「気」を理解することが難しいのは,いろいろな意味が込められているからです。日本語にも「気」という漢字を使った言葉がたくさんありますよね。やる気,元気というような精神的な活動にも使うし,目に見えないものにも使います。ですから,なんとなく「気」というものをわかった気になっている。
でも,漢方でいう「気」は,もう少し限定された概念で,人体の生命現象を司るエネルギー=「気」という定義になっています。しかし,先入観があるのでなかなかうまく伝わらないところがあります。
佐藤 「生命現象を司るエネルギー」とおっしゃいましたが,これは非常にわかりやすいですね。生命現象を司っているものが「気」であるということは,「気」がなくなれば死んでしまうということ。その「気」が非常に弱い状態が,「虚」ということなのですね。自然治癒力も低下している。
喜多 そうです。漢方的には,「気」が生命現象を司っている。さらに広義に解釈すれば,森羅万象を司っているのも「気」なのです。このことは,先ほど申し上げました「木を見て,森も見る」という考え方にもつながっていきます。
たとえば,受精卵が成長して,胎児となって生まれてくるプロセスを見たときに,どのように遺伝子が発現して,どのような蛋白が制御されているのかというように,木として捉える方法があります。しかし,そのプロセス全体を見たときに非常に神秘的で全体として調和がとれている。そこには何か遺伝子や分子レベルでは説明がつかないような力,全体をうまく統一しているような力=気が働いているというように森全体で捉えていく方法もあります。
その両方の視点をうまく持ちながら,患者さんにとって最適な医療を実践していく。このふたつの視点を持ち合わせることがよりよい「患者中心の医療」の実現のために求められていると思います。
漢方の学びかた――それぞれの目的に合わせて
北村 医学生に漢方を学んでもらう意義もここにありますね。必修化された臨床研修制度も臨床経験をひたすら問うもので,人間性の涵養についてはあまり問われていません。佐藤先生,看護でも漢方医学を基礎教育の段階で教えると,より意義深い教育になるのではないでしょうか。
佐藤 早い時期に漢方医学の伝える人間の見方が講義されると,さらに患者さんの全体性をいかに看ていくかという部分で役立つと思います。
漢方医学の全人的な視点の学びは,実際の授業ではどのような取り上げ方が考えられるでしょう。看護の専門基礎科目に解剖生理がありますが,そこに漢方医学を入れても,西洋医学が大前提となっている以上,漢方医学という独立した分野ではこう考える,としか教えられませんね。
北村 新しくつくるということは考えられませんか。医学部でよくあるのは「西洋医学と東洋医学の融合」という講義ですが,比較文化論という視点でもよいかもしれませんよね。
一方,臨床経験を積んだ看護師でも,漢方を学ぶなかで「これは,私たちのもっているこの概念と似ている」と感じる部分は多いのではないでしょうか。
東大では,院内の職員を対象に「卒後実践漢方セミナー」を行っていますが,受講者のほとんどが看護師です。それも,ある程度の看護実践を積んで,看護の限界がわかったという看護師が多いのです。自分のなかに漢方という引き出しをもってみたいと思った方が,熱心に聴いています。
そのときには,大人の学び方です。難しい原理原則はさて置いて,自分の経験をもとに「この患者さんにこれをやったら,すごくよくなったのですが,これは本当ですか」というように,きわめて実践的なところから入られて,自分の経験に対照させる,という成人学習理論に基づいた学び方をしますね。そして,得られた学びをすぐに実践して自分のものにしていきます。
喜多 千葉大では生活習慣病の患者さんを対象に,私が診察した後に看護師が問診するという形で,漢方と看護の接点を探る研究をされていた方がいました。たしかに看護領域と漢方医学は,問題点のアセスメントも,方向性も似ていると思います。ただ,お互いに使っている言葉が,歴史的にも違うと思いますので,その言葉の背景にはどういうものがあるのか,という共通理解を得ることが必要かもしれないですね。
漢方の診察技法―フィジカルアセスメント的な視点から
佐藤 話題は変わりますが,フィジカルアセスメントに対する関心が高まっています。看護教員も苦労して学生に教育を行っていますし,臨床現場の看護師でも技術向上に悩む方は多いようです。漢方特有の診察技法についてお聞きしたいと思います。北村 西洋医学は分析的ですから,病歴を聞いて,身体診察や各種の検査を行い,データを総合的にみて診断していますよね。おそろしい知識の量であり,技術の量です。一方,漢方は『傷寒論』(註2)という1800年前の書物を基本としているそうですね。
1800年前の医師が,どういう技術を持っていたのか想像してみると,まずは患者さんの話を思い切り丁寧に聞き,現代とは比較にならないほど丁寧に身体診察をされたのではないでしょうか。情報源はそこですよね。そして,得られた身体所見をどう丁寧に切り分けるかで,処方が決まるという考え方ですよね。分類は難しいのかもしれませんが,診断法自体はプリミティブで普遍的なのだろうと思います。
喜多 具体例をご紹介しますと,診察技法のひとつに脈診があります。西洋医学では脈拍数,脈の結滞,不整脈などをチェックしますが,漢方では,脈が浮いているか,沈んでいるかという診方をします。表在性に触れるのか,深いところで触れるのかですね。風邪をひくと,脈は浮いてきます。それ以外にも,押さえたときにはね返ってくる力の程度,脈管の緊張の度合い,血流はスムーズか,というデータを指で感じていきます。脈の性状からそれだけ多くの情報を得て,診断に結び付けていきます。
佐藤 それはすごいですね。血液の流れを,指を通して測っているということですね。
北村 舌診という診察技法もありますね。舌を診ることで,消化管の状態を診るのです。
喜多 『傷寒論』の「傷寒」とは,急性熱性感染症を意味しています。抗生剤などなかった時代に,漢方薬で治療していったときに,残念ながら亡くなる方もいた。その経過――身体の反応,脈の変化,舌の色や苔の状態の変化――を観察して,...
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