医学界新聞


からだをみる,こころをみる

対談・座談会

2007.07.23

 

からだをみる,こころをみる

漢方の知恵を看護に生かす

喜多敏明氏(千葉大学環境健康フィールド 科学センター准教授)
佐藤禮子氏(兵庫医療大学副学長)=司会
北村聖氏(東京大学医学教育 国際協力研究センター教授)


 患者さん一人ひとりへの全人的な視点,身体と心に関する緻密な知識が求められる漢方医学は“個の医療”として発展し,西洋医学とは異なる視点から患者さんの病態,症状,症候をとらえる方法を洗練させてきた。「患者中心の医療」の重要性がいわれて久しいが,漢方医学はこれを実践する一領域といえる。看護師にとっても漢方からの学びは日ごろの看護業務を別の視点から振り返るきっかけにもなるのではないだろうか。本座談会では,漢方医学の考え方の基本や,漢方と看護の接点,漢方の知恵が看護業務にもたらすであろうメリットなどについて先生方にお話しいただいた。

(提供;株式会社 ツムラ)


医学部における漢方教育の現状

佐藤 本日は「からだをみる,こころをみる――漢方の知恵を看護に生かす」というテーマで,北村先生,喜多先生にお話を伺いながら,看護の教育や臨床現場,あるいは看護そのもののなかに,漢方医学の視点を取り入れることの意義,そして実際にそれを患者さんにどう生かしていけるだろうか,ということについてご一緒に考えさせていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

 はじめに,医学部ではすでに取り組みが始まっている漢方教育の現状について,北村先生からお話しいただけますか。

北村 わが国で基本とする医学が漢方から蘭学(西洋医学)に移って以来,医師国家試験は西洋医学に基づいて出題されてきたため,医学部において漢方に関する教育は100年近く行われてきませんでした。

 しかし患者さんからの漢方診療に対するニーズの高まりを背景に,漢方薬は保険診療が認められている薬剤として教育は行われるべきとする意見や,学生側からも漢方を学びたいという声が聞かれるなど,さまざまなファクターがあり,2001年に医学教育のモデルコアカリキュラムを作成した際,「和漢薬について概説できる」という文言が盛り込まれました(註1)。したがって,国が漢方の教育をやろうといったのは,明治維新以来初めてのことになりますね。

喜多 そうですね。日本の伝統医学である漢方が,現代医療において再評価されたということだと思います。

北村 これをきっかけに,自主的な教育に任されていた漢方教育が,ある意味,強制力をもつことになり,1単位(15時間)の約半分に相当する8時間をめどに各大学で講義が行われています。以来,2年前には全大学で8時間以上の授業が行われているという状況にまでなりました。

 ただ,内容は大学によって差があり,厚く取り上げている大学もあれば,薬学の時間に概説する程度にとどまっている大学もあると聞いています。実習が十分な大学も少ないですし,指導医も不足しています。

 今後,そういった壁を乗り越えて漢方の教育は充実していくのだと思います。その中でもっとも大事なことは評価で,卒後,臨床の現場で漢方を患者さんのために活用してくれると,この教育は意義があったと評価できますが,「学生時代に習ったけれど,使わないので完全に忘れた」となってしまうと,教育としては失敗,という評価になるのだと思います。そういう意味で,漢方の教育は始まりましたが,その教育が臨床現場でどう定着していくか。そこを注視していかなければならない,と感じています。

佐藤 非常に興味深いお話ですね。実践があってはじめて,教育の真の意味が出てくるということですね。私も教育者の立場として同感です。

 それでは,漢方医学の実践者であり,現在まさに学生に教える立場でもいらっしゃる喜多先生が漢方医学に携わるようになられたきっかけをお聞きしたいと思います。

北村 千葉大はモデルケースです。喜多先生のところにたどり着ければ成功なので,“出来上がり図”をお伺いしましょう。

喜多 私は1979年に富山医科薬科大(現・富山大)に入学しました。在学中に寺澤捷年教授の「和漢診療学」という国立大学で初めての漢方医学講座の前身ができました。そこで,講義や外来見学などの実習を通じ,漢方医学の基本的な考え方と実際を学んだことが,私の医師としてのベースになっています。

 卒後,寺澤先生の教室に入局し,1年間は大学病院で病棟を受け持ち,内科学と和漢診療学の両方を取り入れた診療を学びました。その後,3年ほど別の病院で,今でいうローテーション形式で内科学をひと通り研修しました。そしてまた大学へ戻り,今度は漢方を中心とした治療体系を実践する仕事を始めて,現在に至っています。本格的に漢方を教育できるレベルに到達するには,10年以上の経験が必要でした。

 2003年に私が千葉大に赴任してから,千葉大においても漢方医学が正式に教育されるようになり,年々,その内容は充実してきています(表)。千葉大には戦前から東洋医学研究会という学生サークルがあり,漢方の歴史は富山大よりもずっと古いのです。医学部全体に漢方に対する理解があって,漢方を教育できる教員が数人いれば,千葉大レベルの漢方医学教育を比較的短期間で実践できるようになると思います。

 漢方医学教育の到達目標(千葉大)
  • 漢方治療の本質が心身一如の全人的医療であることを認識する
  • 漢方治療の目的が自然治癒力の賦活にあることを認識する
  • 寒熱や虚実の病態に応じて同じ病気であっても異なる方剤が適応になることを理解する
  • 気・血・水の働きとその異常についてホメオスタシスとの関係で理解する
  • 西洋医学との相互補完的関係について説明できる
  • 現代医療における漢方の役割について説明できる

北村 喜多先生は,千葉大の環境健康フィールド科学センターでも漢方を実践されておられますね。

喜多 センターの前身は園芸学部の付属農場です。緑豊かな園芸フィールドの中で,心身一如や医食同源といった東洋医学の理念をバックボーンにしながら,環境と人間の共生研究を推進しています(図1)。センターがめざしているのは,こころと身体のケア,未病を治す,国民の健康増進などですが,その中で実践的な役割を担っているのが漢方専門の柏の葉診療所であり,私はその所長を兼任しています。

漢方医学の基本的病理観,診断の方法

佐藤 それでは,いよいよ漢方医学の病理観・診断法などについて教えていただきたいと思います。

喜多 漢方医学の病理観や診断法は,西洋医学とは基本的に考え方が違うのです。

 西洋医学は分析的な学問で,その考え方は要素還元論的です。臓器から細胞,分子のレベルまで詳しく分析し,異常がある部位を確定し治療を進めていきます。それに対して漢方医学は,もう少しトータルに人間全体を診ます。漢方独自の物差しで全体的な病態を捉えて,治療していきます。西洋医学が臓器や細胞を木として診るとすれば,漢方医学は患者さん全体を森として診ていくのです。寺澤先生は「これからは木を見て,森も見る医療が必要だ」とよくいわれています。

 「人間全体を診る」ことに加えて,「“心身一如”の医学である」ということが漢方医学の特徴です。心と身体を,ひとつのものとして捉えながら診断・治療をしていく医学なのです。学生時代に聞いたこの“心身一如”という考え方が,漢方を本格的に志す動機になりました。精神的なストレスが身体疾患に影響し,身体の調子が悪ければ精神的な状態も悪くなっていく――そういった悪循環のなかで,病気が治りにくくなるということが,すべての病気にいえるわけです。

 当時,心身医学が注目されていましたが,患者さんに対して心身医学的アプローチができることが,漢方のすぐれた特質ではないかと思って,漢方医学をめざしました。

佐藤 患者さん全体をみる,という考え方は看護と共通しています。ただ,いくつかの漢方関連の書籍に書かれていた「全体性」「全人的」という言葉の定義するものがまだ明確には理解できていません。私が考える「全体性」と漢方医学がいう「全体性」は一致しているのでしょうか。

 いま先生は,心身一如で,心と身体をひとつのものとして捉えるとおっしゃいましたね。それは心身医学と同じですか。

喜多 心身医学と心身一如というのは,大きく違います。心身医学というのは,もともと心と身体は別のものだという前提があるのです。デカルト以来の心身二元論が前提にあって,心と身体の関係というものを考えていくわけです。脳や自律神経,免疫系,内分泌系を介して,心が身体に影響を及ぼしているのだというのが心身医学の立場です。

 一方,心身一如の考え方は,心と身体を分けることをしないでそれ自体がひとつであるという立場に立っています。この考え方が漢方医学の理念であり,哲学なのです。

佐藤 なるほど。そこがわかると,漢方医学全体が理解できるということでしょうか。もう少し,この心身一如を漢方的な診断学の視点も含めながら,お話しいただけますか。

喜多 漢方的な診断では,患者が訴える症状,すなわち主観的訴えを重視します。たとえば,身体的には疲れやすく,食欲がない。精神的には気力がなくて,憂うつであると訴えている患者さんを想定してみましょう。

 そのような患者さんに対して,西洋医学は身体症状と精神症状を分けて診断します。身体症状の背景には身体疾患があり,精神症状の背景には精神疾患があるという考え方です。しかし,漢方では身体症状と精神症状を分けずに診断します。心身一如の病態があって,それが身体症状として表現されたり,精神症状として表現されたりすると考えるわけです。

 さまざまな生薬が身体と心の両方の症状に効くという経験知が先にあって,あまり身体と心を区別する必要がないという考え方が生まれたのだと思います。漢方医学の体系はその成り立ちにおいて,身体症状はこちら,精神症状はあちらというふうに分類せず,すべてを包括的にひとつの症候群,病態として捉えるところから始まった。それが,心身一如の医学になった理由だと思います。

生体のとらえ方,病態の把握方法

佐藤 生体のとらえ方や病態の把握にも漢方医学には独自の視点があるのでしょうか。

喜多 はい。「陰,陽」をはじめとして生体や病態の把握を行うための指標として漢方医学独特の指標があります(図2)。人体の生命活動は「気・血・水(きけつすい)」の三要素によって支えられていると考えています。

佐藤 「気」というのはエネルギーですね。「水」というのは?

喜多 水とは「みず」です。紀元前後に生まれたとされる漢方医学ですが,体を解剖してみると体内をめぐっているのは血液と体液だということは,その当時でもわかっていたようです。それが「血」と「水」です。死んでしまっても「血」と「水」は存在するけれども,死者は動かなくなって,冷たくなっていく。

 一方,生きている人は,「気」というエネルギーが体の中をめぐっているおかげで活動ができ,体温も維持できているのだと考えたわけです。要するに「気・血・水」がうまく身体を循環して,不足がなければ生命活動が維持でき,自然治癒力も働く。逆に,この循環が悪くなったり,不足したりすると,自然治癒力が衰え,「虚」と呼ばれる状態になってきます。

佐藤 「気」の概念は難しいですね。

喜多 「気」を理解することが難しいのは,いろいろな意味が込められているからです。日本語にも「気」という漢字を使った言葉がたくさんありますよね。やる気,元気というような精神的な活動にも使うし,目に見えないものにも使います。ですから,なんとなく「気」というものをわかった気になっている。

 でも,漢方でいう「気」は,もう少し限定された概念で,人体の生命現象を司るエネルギー=「気」という定義になっています。しかし,先入観があるのでなかなかうまく伝わらないところがあります。

佐藤 「生命現象を司るエネルギー」とおっしゃいましたが,これは非常にわかりやすいですね。生命現象を司っているものが「気」であるということは,「気」がなくなれば死んでしまうということ。その「気」が非常に弱い状態が,「虚」ということなのですね。自然治癒力も低下している。

喜多 そうです。漢方的には,「気」が生命現象を司っている。さらに広義に解釈すれば,森羅万象を司っているのも「気」なのです。このことは,先ほど申し上げました「木を見て,森も見る」という考え方にもつながっていきます。

 たとえば,受精卵が成長して,胎児となって生まれてくるプロセスを見たときに,どのように遺伝子が発現して,どのような蛋白が制御されているのかというように,木として捉える方法があります。しかし,そのプロセス全体を見たときに非常に神秘的で全体として調和がとれている。そこには何か遺伝子や分子レベルでは説明がつかないような力,全体をうまく統一しているような力=気が働いているというように森全体で捉えていく方法もあります。

 その両方の視点をうまく持ちながら,患者さんにとって最適な医療を実践していく。このふたつの視点を持ち合わせることがよりよい「患者中心の医療」の実現のために求められていると思います。

漢方の学びかた――それぞれの目的に合わせて

北村 医学生に漢方を学んでもらう意義もここにありますね。必修化された臨床研修制度も臨床経験をひたすら問うもので,人間性の涵養についてはあまり問われていません。

 佐藤先生,看護でも漢方医学を基礎教育の段階で教えると,より意義深い教育になるのではないでしょうか。

佐藤 早い時期に漢方医学の伝える人間の見方が講義されると,さらに患者さんの全体性をいかに看ていくかという部分で役立つと思います。

 漢方医学の全人的な視点の学びは,実際の授業ではどのような取り上げ方が考えられるでしょう。看護の専門基礎科目に解剖生理がありますが,そこに漢方医学を入れても,西洋医学が大前提となっている以上,漢方医学という独立した分野ではこう考える,としか教えられませんね。

北村 新しくつくるということは考えられませんか。医学部でよくあるのは「西洋医学と東洋医学の融合」という講義ですが,比較文化論という視点でもよいかもしれませんよね。

 一方,臨床経験を積んだ看護師でも,漢方を学ぶなかで「これは,私たちのもっているこの概念と似ている」と感じる部分は多いのではないでしょうか。

 東大では,院内の職員を対象に「卒後実践漢方セミナー」を行っていますが,受講者のほとんどが看護師です。それも,ある程度の看護実践を積んで,看護の限界がわかったという看護師が多いのです。自分のなかに漢方という引き出しをもってみたいと思った方が,熱心に聴いています。

 そのときには,大人の学び方です。難しい原理原則はさて置いて,自分の経験をもとに「この患者さんにこれをやったら,すごくよくなったのですが,これは本当ですか」というように,きわめて実践的なところから入られて,自分の経験に対照させる,という成人学習理論に基づいた学び方をしますね。そして,得られた学びをすぐに実践して自分のものにしていきます。

喜多 千葉大では生活習慣病の患者さんを対象に,私が診察した後に看護師が問診するという形で,漢方と看護の接点を探る研究をされていた方がいました。たしかに看護領域と漢方医学は,問題点のアセスメントも,方向性も似ていると思います。ただ,お互いに使っている言葉が,歴史的にも違うと思いますので,その言葉の背景にはどういうものがあるのか,という共通理解を得ることが必要かもしれないですね。

漢方の診察技法―フィジカルアセスメント的な視点から

佐藤 話題は変わりますが,フィジカルアセスメントに対する関心が高まっています。看護教員も苦労して学生に教育を行っていますし,臨床現場の看護師でも技術向上に悩む方は多いようです。漢方特有の診察技法についてお聞きしたいと思います。

北村 西洋医学は分析的ですから,病歴を聞いて,身体診察や各種の検査を行い,データを総合的にみて診断していますよね。おそろしい知識の量であり,技術の量です。一方,漢方は『傷寒論』(註2)という1800年前の書物を基本としているそうですね。

 1800年前の医師が,どういう技術を持っていたのか想像してみると,まずは患者さんの話を思い切り丁寧に聞き,現代とは比較にならないほど丁寧に身体診察をされたのではないでしょうか。情報源はそこですよね。そして,得られた身体所見をどう丁寧に切り分けるかで,処方が決まるという考え方ですよね。分類は難しいのかもしれませんが,診断法自体はプリミティブで普遍的なのだろうと思います。

喜多 具体例をご紹介しますと,診察技法のひとつに脈診があります。西洋医学では脈拍数,脈の結滞,不整脈などをチェックしますが,漢方では,脈が浮いているか,沈んでいるかという診方をします。表在性に触れるのか,深いところで触れるのかですね。風邪をひくと,脈は浮いてきます。それ以外にも,押さえたときにはね返ってくる力の程度,脈管の緊張の度合い,血流はスムーズか,というデータを指で感じていきます。脈の性状からそれだけ多くの情報を得て,診断に結び付けていきます。

佐藤 それはすごいですね。血液の流れを,指を通して測っているということですね。

北村 舌診という診察技法もありますね。舌を診ることで,消化管の状態を診るのです。

喜多 『傷寒論』の「傷寒」とは,急性熱性感染症を意味しています。抗生剤などなかった時代に,漢方薬で治療していったときに,残念ながら亡くなる方もいた。その経過――身体の反応,脈の変化,舌の色や苔の状態の変化――を観察して,その状態に応じた治療薬が何なのかをまとめたのが『傷寒論』です。

佐藤 全身の粘膜機能の状態を舌診で診断する,ということですね。機能といういい方は,分析的でしょうか。

喜多 機能は,構造よりも全体につながりやすいのです。機能を重視した病態生理学的な考え方は,漢方と非常に接点があると思います。解剖的な構造は,漢方の考え方と乖離している部分が多いですけれども。

佐藤 なるほど。舌診の技法についてもご紹介いただけますか。

喜多 舌診でまず診るのは舌の色です。健康な方は淡紅色です。貧血の方では白っぽくなりますが,貧血がなくても淡白な舌の方がおられます。それは,気=エネルギーの不足や,冷えを表わしています。逆に,赤みが強い舌は,熱の病態や体液が不足している状態を表わしています。そのような患者さんの状態が,舌の色を見ただけでわかります。

 次に診るのは舌苔の厚さです。舌には体内からの排泄物が苔として付着しています。それが厚いということは,体内で闘病反応が活発に起こっているということを表しています。漢方ではその状態を「実(じつ)」といいます。対して「虚(きょ)」は抵抗力が低下し,反応が十分起こらない状態です。感染症に例えると,病原菌に対する免疫反応がさかんに起こって,高熱となっている患者さんでは苔が厚くなります。

 また,漢方では「二便(にべん)」といって,どの患者さんにも小便と大便の状態を必ず問診で聞きます。二便の状態も病態診断のキーワードになります。排尿は昼,夜何回ずつか,1回の量の多少など。便通も1日の回数,何日に1回か,便秘・下痢や便の硬さなどをすべて聞き,診断につなげていきます。便通や排尿の状態が改善していけば,その方の全身状態,ひいては自然治癒力も改善している,と判断します。

北村 なるほど。二便の状態は看護記録を見ない限り得られない情報ですね。医師は聞かないことが多いのではないでしょうか。もちろん,そこが病気の根本であれば聞きますが,たとえば肺炎で来た人に二便を必ず聞く,ということはおそらくないでしょうね。やはり,看護の視点と漢方医が重要視する所見は,非常に似ていると感じます。

佐藤 身体反応は,看護でもとても重視するポイントです。私たちは,その患者さん自身の心身の反応をみて,その方にとって必要な看護を提供していきますが,看護で意味する身体反応と漢方のそれとは同じような意味なのでしょうか。

喜多 漢方で大事にしているのは患者さんの自然治癒力と闘病反応です。病気があるということは,病気が悪くなっていくような反応が,体の中では起こっているわけです。しかし逆に,その病気を治そうとする反応もある。発病のプロセスと治癒のプロセスが複雑にからみあって,全体としての闘病反応というものが形づくられていると考えています。

 看護の世界で重視する反応と,漢方医学で重視している反応がどこまで同じなのかということは,もう少し議論をする必要がありそうです。

北村 それにしても漢方医学の診察術は奥深いですね。看護師さんも患者さんのベッドサイドで,自分の五感だけを使ってどこまで身体観察ができるのか,ということを試みてはどうでしょうか。

佐藤 たしかに漢方の診察技術はフィジカルアセスメントの技術向上のヒントになりそうです。

看護学と漢方医学の接点

佐藤 これまでのお話のなかで,漢方と看護の接点が浮かび上がってきましたが,座談会のまとめとして今一度,先生方と考えていきたいと思います。喜多先生,漢方の基本的病理観,診断について総括していただけますか。

喜多 はい。病態を全人的に捉えること,心身一如として捉えること,そしてもうひとつは,自然治癒力を中心に据えて診断と治療を考えていることが大きな特徴です。患者さんが持つ自分で自分の病気を治そうとする力をうまく助けていくことが,漢方における治療の目的になっているのです。

佐藤 その考え方は,看護でめざしているものと一致していると思います。看護の立場から「全人的に看る」ということを考えてみますと,患者さんご自身が自ら治していこうとする強い意志を,看護師が手助けをすることによって,お持ちになっている力を十分に発揮できるようにし,よりよい方向に進む力を支えていくことが求められているのではないかと考えています。

北村 私も,看護と漢方のスタンスはきわめて似ていると思います。看護も漢方も,患者さんの苦しみを理解しようとするところから始まっている。分析的な学問である西洋医学で原因が取り除けないという段階であっても,その患者さんが亡くなるまで看護は続きます。たぶん,漢方も続くのだと思います。原因が取り除けないことがわかっても,症状の軽減などいろいろな意味で漢方はあって,看護と漢方医学はそういった意味でかなり似ている。

喜多 実際に,看護師さんに漢方の話をすると,非常に理解がよいのです。理解がよくて,お互いにわかりあえてよかった! みたいな感じになります(笑)。

北村 そうでしょうね。医学部では教育の段階が進むにつれ,臓器別,さらには分子レベル,遺伝子レベルの教育を受けます。そうすると学生は,エビデンスが確立されていないと信じない,という姿勢に変わってきます。しかし「西洋医学で使われている薬物でも,作用機序や有効性のエビデンスがある薬も多いけれど,ない薬もたくさんある」というところまで教えると,学生たちの漢方の受け入れはよくなります。

 若いうちに教えるか,あるいは学習の段階が進んだ後の客観的な振り返りとして「西洋医学はどこまでわかっているのだろう? やっぱり完全ではないではないか」という段階まで到達してから教えるかすると,漢方の受け入れがいいのです。

佐藤 なるほどね。喜多先生もお感じになりますか。

喜多 ええ。分析的な思考回路が,医学部6年間の教育のなかで完全に刷り込まれるのです。患者さんを診たらまず「どこが悪いのだろう」という思考をする。こうなってしまうと,総合的,全人的に診るという方向に頭の切り替えができないのです。漢方の書籍を読んでも,まったく何が書いてあるかわからない。ですから,高度な医学知識を身につける前に,漢方の考え方と西洋医学の考え方を並列で学ぶ機会があったほうがいいのは確かです。

 それから,北村先生がおっしゃったように,ある程度,西洋医学の限界がわかるところまでくると反省します。今までの分析的な考え方でうまくいかなかったときに,「別の考え方はないだろうか」「もう少し違うアプローチはないだろうか」――そういう観点で,自分がいままで培ってきたものをちょっと脇に置いて,違う考え方を勉強してみようという動機づけがあれば,漢方がまた理解しやすくなるのです。でも,自分がもっているものがうまくいっているあいだは,なかなか他のものは受け入れられないですよね。

佐藤 看護は歴史的に医師の介助を基本業務としてきました。しかし現代では,治療を受ける患者さんをどのように介助していくか,という視点も大切にしていますので,看護も多角的に患者さんを看ていくことができるようになってきています。しかし,まだまだ不十分な部分があるかもしれませんね。

北村 最近の大病院では特に,患者さんの近くにいるのは看護師で,医師はオーダーをしたり,検査などで一歩引いているような感じになりましたね。ですから,全体像をみやすいのは看護師だと実感しています。そして患者さんのQOLも看護のテーマとしてはよく挙がってきますが,医師のテーマとしては,なかなか入ってきません。

 ですから,看護のテーマと,漢方医が挙げるテーマ,西洋医が挙げるテーマを比べると,おそらく看護師の挙げるテーマは,漢方医のそれと似ているのではないかと思います。

佐藤 それは,おそらくそうでしょうね。もちろん,漢方医学には医師としての処方が含まれているので,まずは治療的側面を考えなければいけませんから,その点では違いがあると思いますが,その患者さんのためにどんなことをめざすのかとか,患者さんが自分の病いから回復していく過程を支援する,という点ではおそらく一緒の見方をしている可能性がありますね。

喜多 問題点のアセスメントの部分では重なっているということがいえますよね。それを,漢方医学では漢方薬という薬を使って改善していきますが,看護からはまた違うアプローチで改善することをめざしていく。ある意味では,スタート地点が比較的近いので,同じ方向をめざしていけるということがあるかもしれないですね。

おわりに

北村 余談になりますが,看護師さんに「喜多先生に聞いてみたいことはありますか」と聞いたら,看護業務はさておき,まずは自分のこと。看護師特有の症状があって,それを治せるのは漢方だと思っているようです。具体的には,冷え性,生理痛,腰痛,そして二日酔い(笑)。二日酔いはさておき「腰痛などに悩む看護職は非常に多いので“看護師に役立つ漢方”といったらそこでしょう!」と。

喜多 うちの診療所で働いている看護師さんは,全員,漢方薬を飲んでいます。もれなく冷え性です。あと,肩こりです(笑)。

佐藤 私自身も腰痛には悩まされていて,中国気功整体や鍼をやっています。実は漢方薬も煎じ器まで買ったのですが,一度も使わないで,錠剤を服用しただけで終わってしまいました。煎じ薬はやや手間がかかるという印象があるのですが。

喜多 そうですね。私のところでも,患者さんの半分はエキスですね。

佐藤 エキスというのは?

喜多 粉薬とか,錠剤です。煎じ薬とエキス,どちらがいいかと聞かれれば,煎じ薬のほうが効果はありますよと答えますが,手間もかかります。漢方薬は,続けて服用する必要がありますからエキスのほうが継続はしやすいかもしれません。

 においとか,味にも薬効があるのです。飲んだだけでよくなった気がするというところが,漢方にはありますよ。

佐藤 それは私も納得できます。においは粘膜を通して感じ取るわけですね。ですから,漢方の服用自体が,それこそ心身一如で。

喜多 人によって,漢方をどの部分で納得されるかというのは,個性というか,違いがあるのです。でも,効果を実感するというのが一番確かですね。

佐藤 患者さんの個別性と関係性を重視するという意味でも,看護と漢方は似ているといえるでしょう。看護には,身体的な触れ合い,言葉によるコミュニケーション,ノンバーバルの部分……さまざまな側面がありますが,この一連の看護行為を,お一人おひとりの患者さん自身が受け入れてくださってはじめて,看護による効果をもたらします。

北村 おっしゃるとおりですね。看護にもエビデンスは必要かもしれませんが,やはり個別のコミュニケーションが大切ですよね。同じ介入でももたらす効果は千差万別。漢方も,もちろんエビデンスを否定するものではないのですが,煎じ薬ですと,煎じるという患者さんのコミュニケーションつきのお薬ですから,エビデンスがなかなか出にくくても,それは仕方がないことですよね。

喜多 そうなのです。患者さんにとってよいもの,ベストな漢方薬を処方しようという医療者側の意識に,患者さんが主体的に呼応する形で自ら煎じて服用する。煎じ薬が接点になって,医師と患者の関係が構築されている部分があるのです。お互いに苦労しながら,関係を一緒につくり上げていく。そこに漢方医学のよさがあるのかなという気がしています。

(了)

註1;一般目標「診療に必要な薬物治療の基本(薬理作用,副作用)を学ぶ」の到達目標に「和漢薬を概説できる」という項目がある。
註2;後漢時代に原典が著されたといわれる,急性の熱性疾患に対する薬物治療に関する書物。日本での漢方医学の発展においてもっとも重要な役割を果たした成書。


喜多敏明氏(千葉大学環境健康フィールド科学センター准教授)
1985年富山医薬大医学部卒。同附属病院和漢診療部助手,和漢薬研究所漢方診断学部門助教授などを経て,2003年より現職。千葉大柏の葉診療所長を兼任し,漢方治療のQOLに対する効果を検証する傍ら,東洋医学の理念を活かした健康まちづくりを推進。日本東洋医学会の学術教育担当理事として,漢方医学教育の適正な普及にも携わる。

佐藤禮子氏(兵庫医療大学副学長)
1961年岡山大医学部附属看護学校卒。66年ニューヨーク大看護学部オンコロジーナーシングコース修了後,メリーランド州立大病院交換看護師として勤務。東大で保健学博士号を取得した後,千葉大看護学部教授として長く教鞭をとり,学部長・評議員を経て千葉大名誉教授。放送大教授を経て,2007年より現職(がん看護学教授兼任)。日本がん看護学会理事長としてがん看護実践の質向上に取り組む。日本看護学教育学会理事長として国内の看護学教育の発展に携わる一方,JICAの看護学専門家としてウズベキスタンにおける看護師教育にも力を注ぐ。

北村聖氏(東京大学医学教育国際協力研究センター教授)
1978年東大医学部卒,第3内科入局。免疫学教室(多田富雄教授)研究生を経て,84年スタンフォード大に留学。帰国後東大病院検査部に移り,95年同副部長,臨床検査医学講座助教授。2002年より現職。メディカルヒューマニティ教育・卒後臨床研修ならびに教育評価に興味を持っている。また,アフガニスタンとの医学教育を介した国際協力を行っている。

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