問題発見・解決能力を持った探究型熱帯医学専門医の養成(中込治)
熱帯医学修士課程1期生を送り出して
寄稿
2007.05.14
【寄稿】
問題発見・解決能力を持った探究型熱帯医学専門医の養成
――熱帯医学修士課程1期生を送り出して
中込治(長崎大学大学院教授・医歯薬総合研究科・熱帯医学専攻長)
長崎大学では,わが国で初めての熱帯医学修士課程を2006年4月に開設した。2007年3月には,1年間の修業年限を終え,熱帯医学の修士号(Master of Tropical Medicine)を取得した11名(うち日本人2名)の修了生(卒業生)を送り出した。日本人2名は,新興感染症・熱帯感染症を専攻する博士課程に進学し,外国人9名はそれぞれの母国において保健衛生行政,医療・公衆衛生活動に従事している。本稿では,長崎大学がどのようなコンセプトで熱帯医学修士課程を開設し,どのような教育プログラムで,どのような人材を育成しようとしているのかを紹介する。
熱帯地域で発生する脅威
人類は新興感染症の脅威にさらされている。この新興感染症の多くは熱帯地域で発生したものである。エイズやウエストナイル熱はアフリカ起源の風土病である。多剤耐性結核菌もその多くが熱帯地域を中心とした開発途上国から蔓延している。もちろん,SARSも例外ではない。このような新興感染症は,短期間に全世界に伝播し,多くの人的,経済的被害をもたらす。しかも経済活動が地球規模で行われている現代社会では,どの国もこれを水際で食い止めることはできない。国家はこのような脅威から国民を守らなければならない。文部科学省の新興・再興感染症研究拠点形成プログラムはこのような脅威に直接的に対応するものであり,長崎大学熱帯医学研究所もその一翼を担っている。長崎大学は,熱帯感染症による国家レベルでの脅威に対して,長い海外活動の歴史と実績をもとに,熱帯医学を専門とする医療人を養成する役割を自らに課し,これを中期目標に取り入れた。かつて多数の植民地を抱えていた英国は,熱帯医学教育に100年以上の伝統がある。わが国からも,リバプール大学やロンドン大学の熱帯医学校に,臨床医を対象にした熱帯医学のディプローマ(DTM&H)や修士号を取得するために,少なからぬ臨床医が留学している。熱帯医学研究所は日本人を対象にした3か月間の熱帯医学研修課程,JICAとの協力による外国人を対象にした1年間の熱帯医学研究コースを開設してきた。この経験から国内外に熱帯医学に対する基礎と実践的知識を習得したいという臨床医が多いことを熟知しており,正規の修士課程を設置するプランを温めてきた。
このように,上は国家レベルでの感染症危機管理政策の大きな枠組みの中で,下は熱帯医学や国際保健の分野で活躍したいという臨床医の要望に応えるために,長崎大学は,新生国立大学法人としての使命として熱帯医学修士課程を設置した。
タイでの臨床実習も
長崎大学ではどのような人材を育成しようとしているのか。第一は,熱帯感染症の疫学,診断,治療,予防を含めた総合的視野に立脚して医療ができる「専門医」の養成である。第二は,このような専門医が熱帯医学や国際保健を実践するにあたり,新たな課題を発見し,必要な情報を収集し,これを解決できるような能力を付与することである。では,この目的のために,長崎大学が用意した教育プログラムはどのようなものか。修学期間を,前期(4月-8月)と後期(9月第3週-2月)に分け,前期で第一の目的を達成し,後期で第二の目的を達成する。前期の授業は,感染症を中心にした臨床熱帯医学に関する集中的講義,演習,症例検討に加え,基礎となる病原微生物学・分子疫学についての簡単な実習が主体である。また,国際保健と疫学・統計学の基礎などの熱帯公衆衛生学も学ぶ。これらの授業は4月-7月の4か月間で行う。専任の教授陣のほかにも,国内の専門家をはじめ,リバプール大学やロンドン大学熱帯医学校からも熱帯医学の専門家を招聘して講義内容の充実を図っている。ここまで必死で駆け抜けてくると,学生にとっては恐怖の(と誤解されている)試験が行われる。熱帯医学修士は国際的に通用するものでなければ意味をなさないので,英国での熱帯医学専門医の資格であるDTM&Hを範としている。たしかに安易な妥協はできない。
さて,試験にパスし8月に入ると,タイの保健省とその関連病院での海外熱帯医学臨床実習(2-4週間)が行われる。日本人学生にとっては初めて目にする熱帯臨床医学の現場であり,その感激は大きい。途上国から来ている留学生は臨床経験を有する熱帯医学の実践者であるのだが,自国との医療の違いはもとより疾患や鑑別診断の違いなどに大きく刺激されていた。ここまでの5か月間で,わが国の通常の2年間の修士課程で修得する30単位をクリアする。したがってハードスケジュールである。
知識がなければモノは見えないが,知識があっても,新たな問題の発見や不測の事態への対処ができるとは限らない。このためにはリサーチ(課題研究)という方法を通して,問題の設定,文献のレビュー,適切な方法の選択と,得られた結果の解析や解釈の仕方をマスターすることが不可欠である。そこで,学生は,熱帯医学研究所の各教室に配属され,6か月間の修士論文作成に取り組む。約60ページの修士論文は,3人の審査員によって精査され採点される。最後に,個々の学生は公開審査会の席で同僚学生と教授陣の前で発表を行い,厳しい質問に適切に答えることが要求される。
前期の全授業,後期の修士論文や発表会までの全修学期間を通して,教育はすべて英語で行っている。これは熱帯医学の実践の場において英語が事実上のLingua franca(国際語)となっていることによる。しかし,教員や事務職員には大きな負担である。そこで,熱帯医学専攻長の下に,修学コーディネータ(助教)が配置され,諸問題の解決にあたっている。
この専攻の教授陣は熱帯医学研究所の教授11名と専攻長である医学部の教授1名(筆者)の12名からなり,いずれも熱帯医学分野の専門家である。このような陣容で熱帯医学教育の基本的な部分をまかなえるのは長崎大学の大きな特徴であろう。
本稿が熱帯医学や国際保健に関心のある医学生,医師の参考になるとともに,この分野に造詣のある関係者のご批判・ご意見をいただければ幸いである。
中込治氏
1977年秋田大卒,81年東北大大学院修了。米国NIH・LID疫学部門に留学(83-85年)。86年秋田大病院中央検査部助教授,92年微生物学講座教授。2003年5月に長崎大衛生学教授に転任し,熱帯医学修士課程設置の準備にあたる。06年4月から現職を兼任。04年9月から英国リバプール大の臨床微生物学教授を兼任,同大の修士課程で授業,実習,大学院生指導を行う。専門は胃腸炎ウイルスの分子疫学。 |
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